第4章 灰色の街へ ⑧遺体安置所
3人の遺体が見つかったのは、それから一週間後だった。
高田のおじさんとおばさんが遺体安置所にオレをつれていってくれたんだ。
確か、その前日、おじさんは自分の親の遺体を安置所で見つけたと言っていた。
オレをつれていくかどうか、おじさんとおばさんは相当悩んだらしい。でも、「遺体の顔が確認できるうちがいい」と、オレをつれていくことにしたって、後になってから聞いた。
遺体安置所に入ると、ビニールに包まれた遺体がずらりと並んでいた。オレはそれを見たとき、後ずさりした。ビニールから顔が。変色した顔が出ている。
何ともいえない匂い。今までかいだことのない匂いがした。おばさんは思わず「うっ」とタオルで口を覆った。
「ねえ、ママ寝てるの?」
小さい女の子の、無邪気な声が響き渡る。
見ると、隅のほうで女の子と、白髪の男の人と女の人が、ある遺体を見下ろしていた。
その男の人と女の人は、きっと女の子のおじいちゃんとおばあちゃんだと思う。二人とも、声を上げて泣いていた。
女の子は、たぶん3歳ぐらいだと思うけど、おばあちゃんと手をつなぎながら、不思議そうに遺体を見ている。
「ママ、起きて起きて、しなきゃ」
女の子は、おばあちゃんの手を離すと、しゃがみこんだ。
「ママ、起きて起きて」
女の子が顔を叩いているのを見て、おばあちゃんは泣き崩れてしまった。
「そうだね、かなちゃん、お母さんを起こしてあげて。早く起きなさいって」
おじいちゃんが泣きながら女の子の頭をなでる。
ああ、いやだな、こういうの。
オレは全身に力を入れた。
そうでもしないと、何かがこみ上げてきそうだった。
端から一体ずつ顔を見ていく。
あのときの遺体の顔、オレは一生忘れない。
どす黒く変色した顔もあれば、眠るようにきれいな顔もあった。苦しそうに目を瞑っている顔もあれば、びっくりしたように目を見開いているのもある。
父ちゃんじゃない。母ちゃんじゃない。真吾じゃない。
オレは一体見るたびにホッとした。
大丈夫、3人は生きてるんだから。
ここにはいない。ここにはいないんだから。
でも、何十体目かで、オレの足は止まった。
父ちゃん?
オレはしゃがんでその顔をよく見た。
父ちゃん? 父ちゃんなのか?
目をつぶっているけど、それは、父ちゃんに似ている。
逆さから見てるから、そう思うのかもしれない。
正面から見てみた。やっぱり似ている。でも、まさか。
ほかに。ほかに父ちゃんがどうか、確認できるもの。
見ると、足元にビニール袋が置いてある。そこには、身に着けていたものが入れられていた。
おじさんはオレが何を考えているのか、分かったみたいだ。
ビニール袋を開けて、オレに中を見せてくれる。
紺色の上着。ジーパン。緑色のセーター。見慣れた服だった。泥だらけになってるけど、見慣れた服だった。
おじさんは財布から免許証を取り出し、黙ってオレに差し出した。
松島彰
父ちゃんの名前だった。
オレはじっとその免許証を見つめた。
免許証の父ちゃんは、口をへの字に曲げて、ムッとしたような顔で映っている。
「オレ、免許証の写真、いっつも変なんだよな」
よく父ちゃんは、ぼやいていた。
目の前にいる父ちゃんは。
苦しそうに目を閉じ、口はちょっと開いている。まるで何か言いたそうに。
そうだ、オレが幼稚園だったころ、父ちゃんはたまに死んだふりをしてオレを驚かせた。
家に帰ると、父ちゃんが苦しそうな顔をして畳に横たわっている。
オレが声をかけても、揺さぶっても、父ちゃんはピクリとも動かない。
父ちゃん。父ちゃん。
何度も揺さぶって、半べそをかいたころ、父ちゃんはパッチリと目を開けるんだ。
きっと、今もそうだ。死んだふりをしてるんだ。
どれぐらい、そこに座り込んでいたんだろう。
おじさんが、オレの腕をそっとつかんだ。
「なあ、こっち」
おじさんはオレを抱えるように立ち上がらせると、数列先に置いてある遺体まで連れて行ってくれた。おばさんは遺体のそばに立ち、体を震わせ、タオルで口元を覆っている。
その遺体は、女の人が子供を抱きしめていた。
遺体を離そうとしても離れなかったのか。
あまりにもかわいそうで、そのままにしておいたのか。
二人とも、服を着たままだった。
そう、津波にさらわれた、あの日に来ていた服を。
真吾はまるで眠っているかのように、穏やかな顔をしていた。寝息が聞こえてきそうだった。母ちゃんは必死に目をつぶり、口は父ちゃんと同じように開いていた。
気がつくと、男の人が二人がかりで隣の遺体を移動して、父ちゃんの遺体を横に並べてくれていた。きっと、おじさんとおばさんが頼んでくれたんだろう。
父ちゃんと母ちゃんと真吾。
3人の遺体の顔を、オレは代わる代わる見ていた。
おじさんとおばさんは、いつの間にか外に出ていた。そこにいるとオレが泣けないと思ったんだろう。
なんで。
なんでなんでなんでなんで。
あんなに祈ったのに。
あんなに何度も何度も祈ったのに。
ひどいよ神様。ひどいよ。
オレはいつしか嗚咽を漏らしていた。
立っていられなくなって、床に座り込んで泣いた。
あんなに大声で泣いたのは、幼稚園以来かもしれない。
いや。あんなに。
あんなに、体の奥底から湧き出てくる泣き声は初めてだった。
きっと、生まれて初めて、オレは悲しみを知ったんじゃないかな。
そして、絶望も。
冷たかった。父ちゃんも母ちゃんも真吾も、触ったら氷のように冷たかった。温めてあげたかった。体をさすって、温めてあげたかった。
こんなお別れなんて、ひどすぎる。
こんなお別れなんて、悲しすぎるよ。
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