第4章 灰色の街へ ⑦みんな、どこに行ったんだろう。
翌日。
おじさんとおばさんは、卓也を探しに中学校まで行くことになった。
「一緒に、お父さんたちを探す?」
おばさんは俺の顔を覗き込んだ。オレはうなずいた。
昨日から、何も食べてない。
でも、それどころじゃない。3人を見つけなきゃ。
「きっと、どっかに避難してるからね」
おばさんは慰めるように何度も言った。
オレを真ん中にして、軽トラックの座席に3人で並んで座った。
高台から街に下りたとき。
3人とも、言葉を失った。
なんだろう、これは。
なんだろう、これは。
街がなかった。
街がなくなっていたんだ。
がれき、っていうのはこういうのを指すのかと、そのとき思った。
材木の山、そのところどころに屋根が転がっているのを見ると、家がめちゃくちゃに壊れたんだって分かる。
がれきの山のほかは、道路もない。畑も田んぼもない。コンビニもない。道端の木もない。電柱もガードレールも、信号も、自販機も、川すらどこにあったのか分からない。
辺り一面水が残っていて、まるで湖の中に街があったかのようだ。あちこちで炎がくすぶっているのが見える。なんで、水をかぶったのに燃えてるんだろう? ガキだったころのオレは、不思議に思った。
海に浮かんでいるはずの船が家に突っ込んでいた。2階の屋根の上に車が乗っかっている家もある。3階建てのコンクリートの建物も中はめちゃくちゃだった。
ありえない光景の連続。
「なんてこった」
おじさんは絶望的につぶやいた。
ぬかるみのなか、軽トラックはゆっくりと走っていく。
進路はたまにつぶれた家や車で阻まれた。その家や車の中には――。
「見るなよっ」
おじさんはオレを制した。
「下を向いとけっ」
オレは言われたとおりに下を向いた。でも、脳裏にしっかりと焼きついてしまった。苦悶の表情の遺体が、転がっている光景が――。
おばさんはハンカチを握り締めて、震えている。
オレらはほとんど無言のまま、卓也の通う中学校に向かった。
「うわっ、なんだこれ」
校門から校庭に入ったとたん、おじさんは素っ頓狂な声を上げた。
校庭だけじゃない、校舎の中もめちゃくちゃになっているのは、建物に入らなくても分かった。電柱が窓ガラスを割って教室に突き刺さり、玄関に車が何台もぐちゃぐちゃになって突っ込んでいた。校庭には木や車、机や椅子、教科書や学生カバンが散乱していた。
「こりゃ、大変だわ」
子供を捜しに来たらしい大人たちが、校庭でウロウロしている。
おじさんが車から降りると、「隼人君は、ここにいなさいね」とおばさんもオレに言ってから降りた。校庭にいる人たちとしばらく話してから、おじさんとおばさんは足早に戻ってきた。
「ここには誰もいないって。この上の高校に行ってるんじゃないかって」
高校は津波の被害を受けていなかった。
避難している人たちがせわしなく行き交い、校庭では炊き出しの人たちが作業をしていた。
「もしかしたら、ここにお父さんたちいるんじゃないの?」
おばさんに言われて、オレも車から降りて探すことにした。
校庭に、チラホラと子供の姿が見える。小学生もいれば、中学生もいる。階段に座り込んで膝に顔をうずめていたり、港のほうをぼんやりと見つめていたり。きっと、まだ親と連絡が取れないんだろう。みな不安げで本当はどうしようもなく怖くて、ショックに打ちひしがれている。でも何とか耐えているような顔つき。
そう。その日の朝、トイレの鏡に映っていたオレと同じ顔だ。
目が合うと、どちらともなく目をそらした。
校舎の中や体育館の中も一通り見て回ったけれど、3人は見つからなかった。
途中からおじさんが一緒に探してくれて、近くにいる人たちにも聞いてくれた。ずっとオレの手を握ってくれて、体育館では「見えるか?」と肩車をしてくれた。
「伝言残しとこうな」
体育館の掲示板にオレの名前と、どこに避難しているのかを書いてくれた。
おじさんの目は真っ赤だった。
卓也が見つかって、思わず泣いたんだろう。
トラックに戻ると、おばさんと卓也が抱き合っていた。卓也はおばさんの腕の中で眠っていて、おばさんは赤ちゃんをあやすように、背中を優しく叩いていた。おばさんの目も真っ赤だった。
おばさんは卓也を揺り起こした。卓也はオレのことを聴いていたんだろう。何も言わずに、オレが座るスペースを開けてくれた。
軽トラックの座席は4人でキツキツになった。
おじさんと卓也に挟まれ、服越しに人肌の暖かさが伝わってきた。それだけで、なんだか泣きそうになっていた。
昨日、おじさんがオレを見つけてくれた辺りまで車を走らせた。
もちろん、そこに行くまでもずっと同じ光景が続いていた。がれきの山、道ではなくなった道。田んぼは泥の海だった。そして沼のような水溜り。いきなり田んぼに船が止まっていたりする。魚もあちこちに横たわって、たまにピクピク動いているのもいる。
もう、オレ達は圧倒されていた。津波というものの威力に。
「この辺じゃなかったかな」
やがて、おじさんは車を止めた。
「あそこの電柱にしがみついてたんじゃなかったっけ」
その電柱は泥の沼の中に、ぽつんと立っていた。
昨日は暗くてよく分からなかったけど、その電柱だけがかろうじて元の形を留めていた。ほかの電柱は大きく倒れていたり、根元から折れて津波で持っていかれてしまっていた。オレがしがみついていた電柱だけ、奇跡的に無傷だったんだ。
オレはトラックを降りた。
潮の匂いと、ガソリンスタンドにいるときのような油の匂いと、何かが腐ったような匂いと、いろんなものの匂いがした。
遠くまで目を凝らしても、父ちゃんの車は見当たらない。
父ちゃんはレンガ色の車に乗っていた。
「ほかの車と違うから、駐車場でも、すぐに見つけられっからいいだろ?」
いつもそう言っていたんだ。
すぐに見つけられる。あの車なら、すぐに見つけられる。
おじさん達も、オレの説明を聞いて、一緒に探してくれた。
オレは窓側に座らせてもらって、窓から身を乗り出した。
ひしゃげて転がっている車、がれきに押しつぶされている車、何台も積み重なって山のようになっている車……それがどんなにつらい光景であっても、オレは目をそらさずに懸命にレンガ色の車を探した。
どれぐらい探しただろう。
レンガ色の車が見えた。どこかの家の1階に突っ込んでいる。それもがれきに乗り上げて、宙に浮いているような感じだった。
「あっ」
オレの声に、おじさんは慌ててブレーキをかけた。
「あれ、あの車っ」
オレはトラックから飛び降りると、泥で滑って転びそうになりながら、車に駆け寄った。車は泥まみれ、草まみれ、海草まみれになっていた。しかも、後部座席のドアがない。
ドクン。オレの心臓は大きく鳴った。体中の血の気が引いていくのが、自分でも分かった。
伸び上がって中をのぞこうとしても、見えない。
「危ないから、あんま近寄んな」
おじさんがオレの腰を抱えて、持ち上げてくれた。
「見えっか?」
車に手をつき、中をのぞく。運転席のガラスが割れている。父ちゃんが割ったところだ。中は暗くて見づらいけど、誰もいないのは分かった。床にも、誰も転がっていない。
「誰もいない」
オレは半べそをかいていたかもしれない。
「ほんとに、この車か?」
オレは、これが父ちゃんの車である証拠を探した。
確か、バックミラーにお守りがぶらさがっていたはず。母ちゃんが父ちゃんに、「交通安全のお守り」って、だいぶ前にあげた、緑のお守り。
ミラーにそのお守りがぶら下がっているのが見えた。
「うん。鏡んところにお守りがあるもん」
おじさんはオレを下ろした。
おじさんとおばさんは伸び上がったりしゃがんだりしながら瓦礫の隙間から家の中を確認し、「誰かいますか?」と呼びかけていた。
おじさんは慎重に家の中に入って、階段を上ろうとしたけれど、「天井がつぶれてるから、これ以上はムリだな。人がいられる場所じゃない」と言いながら、出てきた。
「きっと、近くの避難所にいるんじゃない? 行ってみようよ」
おばさんは慰めるように提案してくれた。
それからのことは、あまりよく覚えていない。
確か、周囲の公民館や体育館を回ってみたんじゃないかと思う。
その日は何の収穫もなく、また避難所に戻った。
今考えても、ガソリンが底をつくかもしれないのに、オレのために何日もトラックで探してくれたおじさん達の行動には、本当に涙が出る。見ず知らずのオレのために、あんなに懸命になってくれるなんて。
「きっと、どこかに逃げてるって。明日も探そう」
おばさんは何度もそう言ってくれた。
卓也は、ほとんど何も話さなかった。
本当は、卓也はおじさんとおばさんに甘えたかったのかもしれない。けれど、家族が見つからないオレがいる前で、それはできないとグッと堪えてたのかも。
避難所は寒かった。4人で体を寄せ合っても、それでもまだ寒くて眠れなかった。
オレはひたすら同じことを祈っていた。
どうか、父ちゃんと母ちゃんと真吾が見つかりますように。
見つかったら、オレは絶対、いい子になります。
もう、父ちゃんに怒られるようなことはしません。
母ちゃんのお手伝いをもっともっとします。勉強もたくさんします。
真吾とも遊んであげます。
だから、3人が見つかりますように。
3人が見つかったら、オレは何にもいりません。
ゲームもおもちゃもいりません。
だから、神様、3人を守ってください。
あのとき、オレは何度祈ったんだろう。
数えきれないぐらい、祈った。
それでも3人が見つからなかったから、きっと祈り方が足りないんだって、食事をしてるときも、トイレに行ってるときも、夜眠る前も、ずっと祈っていた。
あのときのオレには、それしかできなかったから。
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