第4章 灰色の街へ ⑥みんな、いなくなった。
目の前で何が起きたのか、分からなかった。
津波はゴウゴウと音を立てながら、父ちゃんと車を一瞬で呑み込んだ。
黒い波はどんどん水かさを増していく。
いつの間にか、オレは太ももまで水につかっていた。慌てて、さらによじ登る。見下ろすと、あたり一面海になっていた。さっきまで、そこは確かに陸地だったのに。
まるでお湯が湯船からあふれるように、堤防から波がこぼれ落ちている。
父ちゃんと車はどこに行ったんだろう。
大丈夫だ。きっと、またどこかに引っかかって、電柱かなんかに登って、助かってる。
きっと、みんな、助かってる。
神様。お願い、みんなを助けて。
父ちゃんと母ちゃんと真吾を助けて。
もう、悪いことはしないから。絶対にしないから。母ちゃんをもっと手伝うから。父ちゃんの言うことも聞くから。真吾を泣かせたりしないから。
どうかどうかどうかどうか。お願い、お願いだから!
何度繰り返し、そう祈ったんだろう。
気がつくと、波は引いていた。
車も、父ちゃんの姿も、そこにはなかった。ぐるりと見回しても、どこにも見当たらない。
オレは、電柱から降りて探そうとした。でも、父ちゃんは「絶対に離すな」って言っていた。
きっと、このままつかまってれば、助けに来てくれる。
いつの間にか、雪が降っていた。寒い。水につかっちゃったから、凍えそうに寒い。
オレは震えながら、電柱にしがみついていた。
どれぐらい時間が経ったんだろう。
あたりは暗くなりかけていた。
寒い。死にそうなほど、寒い。
オレは電柱にしがみついたまま、ガタガタ震えていた。このまま凍え死ぬのかな。ぼんやりとそう思っていたとき、誰かに呼ばれた気がした。
「おーい、大丈夫かあ?」
父ちゃん?
一瞬、そう思った。
でも、見下ろすと、見知らぬ茶髪のおじさんが、膝まで水につかりながらこっちを見上げていた。
「大丈夫かあ? 降りてこられっかあ?」
それが高田のおじさんだった。
オレはかじかんだ手と足でゆっくりと電柱から降りた。体が思うように動かない。途中からおじさんが体を支えてくれた。
「あんなとこで、よく頑張ったなあ」
おじさんはオレを抱き上げて、近くに止めてある軽トラックに連れて行ってくれた。
おじさんは、いったん避難所におばさんと一緒に逃げたんだけど、自分の子供を探しに来たんだって。
「でも、道路がふさがってて、学校に近づけねえんだ。無事だといいんだけどな」
おじさんは運転しながら、ポツリポツリと話していた。
避難所に戻ろうとしたとき、電柱に人がしがみついているのに気づいたのだという。
「最初、サルかと思ったけど、こんな時期に、こんな場所にサルなんているわけないし。人だって分かったときは、ビックリしたよ」
オレは何も答えられなかったような気がする。おじさんが貸してくれた上着にくるまって、震えていた。
おじさんたちは高台にある公民館に避難していた。
おばさんも茶髪で、うちの母ちゃんよりは小柄で若く見えた。
おじさんが事情を話すと、おばさんは毛布をオレにふわりとかけてくれた。
「寒かったでしょ?」
そういって、ストーブの前につれていってくれた。その前で暖をとっていたお年寄りたちは、黙ってオレを前に座らせてくれた。おじさんとおばさんで交互にオレの体をさすってくれた。あったまっても、さすってくれた。
おじさんとおばさんの息子・卓也は先生と生徒全員で別の場所に避難し、助かったんだけど、その晩は連絡を取れずにいた。
「お父さんとお母さんは?」
おばさんに聞かれて、オレは「車と一緒に流された」と短く答えた。それ以上、話せなかった。
おばさんは黙って肩を抱いてくれた。おばさんの胸にそっと顔を寄せる。暖かい。オレは、それ以上何も考えたくなくて、じっと身をゆだねた。その夜は眠れなかった。
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