第3章 あの日へ ⑥あの日の教室

 私の部屋のクローゼットには、今もランドセルがしまってある。

 私と一緒に、津波から生き延びたランドセル。

 千葉に引っ越してからも、そのランドセルを使っていた。本当は、毎朝見るたびに胸が張り裂けそうだったけど、それでも背負って学校に出かけた。自分の罪を背負っているつもりだったのかもしれない。


 摂食障害で入院しているとき、お医者さんに打ち明けたことがある。私が死ねって思ったから、みんなは津波に呑まれたんじゃないかって。そうじゃないって頭では分かっていても、心は納得できないんだ、って。

 そのとき、女医さんはこう言った。

「でも、あなたもいじめられてたんでしょ? だったら、その人たちは天罰に当たったようなもんでしょ。あなたが罪悪感を抱く必要はないんじゃないの」

 何の慰めにも、解決にもならなかった。

 その時以来、私はその想いを誰にも語っていない。話しても分かってもらえないだろう。隼人にも言えない。そんなことを聞いたら隼人が困るってのは、分かってるから。

 私は、どんな答えが欲しいんだろう。

 その答えは、今日、見つかるんだろうか。


 昇降口に入ると、下駄箱のいくつかは倒れたままで、泥だらけの上履きがあちこちに落ちてホコリにまみれている。ドアは大きくひしゃげてガラスがなくなっていた。

「津波が襲ったときのまま、保存してあります。足下にお気をつけください」

 入口に、そう書いた立て札が置いてあった。靴のまま廊下に上がる。ホコリっぽいので、ハンカチで口と鼻を覆った。

「うわ……」

 私と隼人は同時に声を上げた。 

 廊下から見える光景は、まるで映画の世界だった。

 木が窓から突っ込んでいる。錆びた自転車も、机も椅子もバスケットボールも、どこから来たのかドラム缶や何かの看板まで散乱している。ホコリまみれの教科書やノートは、すっかり色あせている。窓ガラスは割れてあちこちに飛び散り、足の踏み場もない。車も突っ込んでいたって話だけど、さすがにそれは取り除いたのかな。

 隼人が、私の肩をギュッと抱き寄せた。

 私、震えている。それは、寒さのせいなのか、ショックのせいなのか――。

 ゆっくりと階段を上がる。

 階段は泥とホコリまみれで、足を滑らせたら大変だってヒヤヒヤした。踊り場には割れた鏡の破片が散らばっている。隼人は私の手を取り、ゆっくり、一段ずつ、上った。


 3階、階段から右に3つ目の教室。入り口には「5年2組」という表札が掲げてある。10年前、私が授業を受けていた教室だ。

 ドアはなくなっていた。

 足を踏み入れると、教室はガランとしていた。

 泥だらけの机や椅子が2・3脚転がっている。先生の机はくの字にひしゃげて横倒しになっていた。ほかの机は全部、津波で持っていかれてしまったんだろう。そこに色を添えるように、ランドセルや教科書、笛やお道具箱、掃除道具が散らばってる。

 窓ガラスはすべて割れて、ボロボロになったカーテンが一枚だけ、かすかな風で揺らいでいた。壁には、ビリビリになった世界地図や、みんなが図工で書いた絵や、掃除当番の表がわずかに残っている。

 黒板には、まだうっすらと文字が残っていた。

3月11日(金) 日直 今野 近藤

 とたんに、涙が零れ落ちた。堪える間もなかった。大粒の涙は、床にボロボロと跳ねるように落ちる。うわあああんと、まるで子供のように、私は泣き声を上げていた。

 隼人が胸に抱き寄せてくれた。ダウンコートにしがみついて、私は吼えるように泣きじゃくった。





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