第2章 静かの海へ ⑥運命の出会い

「うー、さみー」

 隼人は立ち上がり、ジーパンについた砂を払った。

「乗ってればいいのに。風邪ひいたら困るっしょ?」

「すっごく着込んでるから平気」 

「いいから、乗って乗って」

 急かされて、私は助手席に乗り込む。隼人も「寒い寒い」と肩をすくめながら、運転席に乗り込んだ。

「まだ時間はあるから、どこかでお茶でも飲んでく?」

「お店があればね」

「そうだなあ。お店……」

 車のエンジンをかけながら、隼人は軽くため息をついた。

「ないだろうね。ここまで何もなくなっちゃってるんなら」

 私はお腹をさすった。

 10年。

 10年なんて長いように感じるけど、そうでもない。あっという間だった。

 あのころ、あの苦しみからは一生抜け出せない気がしてたけど、今は私、ここにいる。

 私は今、ここにいる。


 海を右手に眺めながら、車は北上していく。

 少しでも潮風を吸いたくて窓を開けたら、隼人が、「風邪ひくかもしれないから、開けちゃダメだよ」って、速攻で閉めた。妊娠してから、すっごく私の体を気遣ってくれる。本音言うと、たまにちょっとウザく思ったりもするけど。 

 車の免許も、産むって決めてから、速攻で取りに行ってた。産まれてくる子供のためかな、って思ってたら、私を学校まで送り迎えするためだって。

「妊娠しているときに、長時間電車に乗ってるのはつらいかなって思ってさ」

 真面目な顔で、そう言ってた。

 それを聞いたとき、私は感動して涙してしまったんだけど、ママに話すと、「隼人君、過保護すぎるわねえ。そんなんで大丈夫かしら」って、ちょっと呆れてた。ママは、そこまでしなくていいと隼人に言おうとしたんだけど、パパがそれを止めた。

「隼人君なりに責任をとろうとしてるんだ。こっちが口をはさむべきじゃない」

 パパのその言葉にもグッときた。

 なんていうか、パパがそんなに父親っぽいって、初めて知った気がする。私が摂食障害になったときも、どう接すればいいのか分からないって感じでオロオロしてたし。

 隼人も、父親になっていくんだろうな。私の知らない隼人が、どんどん出てくるんだろうな。

 道沿いには、同じ方向に傾いている松林。

 これって、やっぱ、津波の力だよね。奇跡的に残った林は、そのままにしておくって聞いたけど、まだ頑張って生きてる木もあるんだ。

 そして更地。どこまでも、更地。

 津波の話は学校の避難訓練とかで聞いてたけど、ここまで強烈だなんて思わなかった。コンクリートの建物でも勝てないなんて。

 あの街も更地になってるのかな。

 私が生まれ育ったあの街は、どうなってるんだろう。

 あれ、なんだか、緊張してきた。

 私はそっとお腹をなでた。

 ねえ、君。

 ちょっとの間だけ、お母さんを守ってね。お母さんが、あの街に、あの学校に帰っても、平気でいられるように。


 隼人とは、弓道部で出会った。

 私はそれまで男の人とつきあったことなんて、全然なかった。

 好きな人はいても、美人でもかわいくもない私が好かれるはずはない、ってどこかで冷めてた。バレンタインのチョコを渡したこともなかったし。一生、独身かも、と中学の頃から結構本気で思ってた。

 短大に入ってから、合コンに誘われても行く気になれなかった。お酒を飲んで男の人とはしゃぐなんて、私には絶対ムリ。

 部活も入りたくなかったけど、入学してすぐに仲良くなった雪ちゃんが高校から弓道をやっていて、一緒にやろうって誘われたんだ。

 うちの学校は大学もあるから、弓道部は短大と四大の合同になってる。

 ホントは面倒だったんだけど、見るだけ見てみるかなって感じで、道場に稽古を見学に行った。

 一目見て、凛と張り詰めた空気に心を奪われた。

 道場の外ではわいわいと騒いでいる人も、道場に入ると顔が引き締まり、無言で的に向かう。弦を引き絞り、一瞬の静寂の後、パンと射放つ。紙の的に矢が当たったときは、快い音が響く。

 なんか、いいな、こういう空気。

 私はその場で入部を申し込んだ。

 そのとき、隼人と初めて出会ったんだ。入部届を持ってきて、説明してくれたのが隼人だった。でも、後で隼人にその話をしても、「そうだっけ?」って、覚えてなかった。

「新入部員、結構多いからさ」って言ってたけど、よっぽど私、影が薄いんだな……。

 隼人は道場の片隅で見学している私に一瞥もくれず、黙々と弓を引き、当たっても当たらなくても、表情を変えなかった。他の人は、外れたら「あーっ」って、声を出して悔しがる人もいた。苦笑いしてる人もいた。だから、何の表情も変えない隼人がカッコよく見えたんだ。

 ホントいうと、隼人よりもかっこいい先輩はいた。それなのに、的を見つめる隼人の強いまなざしに惹かれたんだ。


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