第2章 静かの海へ ⑤隼人、出会うべく人との出会い
伯父さんも伯母さんも、オレには完全に無関心だった。
オレがテストで何点とろうと、成績がよかろうと悪かろうと、何の関心も示さなかった。もちろん、授業参観なんて来やしない。三者面談でさえ嫌がったので、いつも担任の先生は困っていた。
三者面談の途中で伯母さんが携帯で「もしもしぃ?」と話しはじめたときは、さすがに先生は目を吊り上げた。
「今はあなたが保護者なんですから、隼人君のことをもっと考えてあげてください」
普段は優しい男の先生だったけど、そのときは声を荒げていた。伯母さんはむくれていたけど。
その日から、伯母さんは、ことあるごとにオレにあたるようになった。
「いいわね、あんたは。津波で家族を亡くして、同情してもらえて」
最初聞いたとき、耳を疑った。
キレイな人から出るセリフだとは思えなかった。
伯母さんは、ホントに憎々しげな感じでそのセリフを吐くんだ。
そして、ある日、とうとうこう言った。
「あんたなんて、ホントは引き取りたくなかったんだからね。あの人が仕方ないって言うから、引き取ることにしただけ。あんたのせいで私が悪者にされちゃって、迷惑なんだから、ホンットに。早く仙台に帰ればいいのに」
そのとき、伯母さんは酔っていた。
でも、子供には酔った勢いなんて分からない。
オレは伯母さんの顔を見るのが怖くなって、部屋に駆け込んで、ベッドの上で膝を抱えていた。今すぐ、伯母さんがオレを家から放り出すんじゃないかって、ビクビクしてた。
きっと、寂しいんだ。伯父さんとも大樹兄ちゃんとも話せないから、寂しくて八つ当たりしてるんだ。
オレは必死で伯母さんの気持ちを分かろうとした。
そして、伯母さんの顔色を伺う日々が始まった。
朝食を頑張って作ったこともあったし、伯母さんが遊んで帰ってきたら、お茶だって入れてあげた。それなのに、伯母さんはますます不機嫌になるだけだった。
「何、子供のクセに、媚売ってんの?」
キツイ一撃だった。オレという人間を全否定された気がした。
大樹兄ちゃんは、ある日オレの様子に気づいた。
「あいつに何か言われたのか?」
オレは黙って首を横に振るだけだった。
「あんなババア、何言われても、無視しとけよ。気にすることないからな」
オレだってそうしたいけど、伯母さんはオレの姿を見ると、何か言わなきゃ気が済まないみたいなんだ。
今思うと、伯母さんは嫉妬していたのかもしれない。
大樹兄ちゃんの部屋でゲームをしていたときのことだった。
ジュースがなくなり、冷蔵庫から取ってこようとドアを開けたとき、ドアの前で腕組みをしている伯母さんと鉢合わせになった。伯母さんはオレをものすごい形相で睨みつけた。
「何、どうしたの?」
無邪気な声で大樹兄ちゃんが尋ねる。
その声を聞き、伯母さんの瞳が、一瞬ゆらりと揺れた。そして、顔をそむけると階段を下りていった。
「あれ、ババア、帰ってきてたの?」
大樹兄ちゃんは嫌そうな声を上げる。その声は、きっと伯母さんに届いただろう。
自分の子供にあれだけ嫌われたら、きっとショックだろう。
寂しい人。悲しい人だった。
伯父さんと伯母さんが離婚したのは、オレが東京に行ってから4年後だった。
オレは高校生になっていた。
伯父さんも伯母さんも浮気していて、慰謝料で相当もめたって聞いた。
「聞いた」というのは、オレはそのころ、家にいなかったからだ。大樹兄ちゃんと一緒に、安いアパートに住んでいた。
ある日、オレが洗面所で歯磨きをしているときに、いつものように伯母さんがオレに向かってネチネチと嫌味を言っていた。オレは慣れていたから、何も感じないように完全に空気になってたんだけど、それを目撃した大樹兄ちゃんが、激怒したんだ。
後にも先にも、大樹兄ちゃんがあんなに怒った姿は見たことがない。
体重計を風呂場のガラス戸に投げつけたから、ガラスは粉々。伯母さんは悲鳴をあげて、警察を呼んだ。警官が来たら、意外にも大樹兄ちゃんは、何が起きたのかを淡々と説明していた。伯母さんのほうがヒステリックになってたから、警官は伯母さんをなだめて帰って行った。
そのすぐ後、大樹兄ちゃんは髪をバッサリ切った。
築地で働くことになった、って聞かされた時は、ビックリした。
「待ってろよ、お金貯まったら、こんな家二人で出て、一緒に暮らそうな」
そのときの、大樹兄ちゃんのまっすぐな目。何か、スイッチが入ったって感じだった。
兄ちゃんが選んだ仕事は、築地の卸の仕事。それまで引きこもっていた大樹兄ちゃんが、毎朝始発で仕事に行くようになったんだから、すごい変化だ。
お店の人は厳しいけど、大樹兄ちゃんが自立してオレと暮らそうとしている話を聞いて、あれこれ世話を焼いてくれたらしい。オレも、何回か一緒にお店に行って、おいしいものをたくさん食べさせてもらった。大樹兄ちゃんは怒鳴られながらも、キビキビ働いていた。カッコよかった。
大樹兄ちゃんはみるみる体が引き締まって、顔つきもキリっとした大人の男って感じになった。
「すっげえハード」って言いながらも、楽しそうだった。
伯母さんは、大樹兄ちゃんが暴れてから家にいないことが増え、やがて帰ってこなくなった。
大樹兄ちゃんが働きはじめて半年後、オレらは家を出て、ボロいアパートで暮らし始めた。
一度、大樹兄ちゃんは家に呼ばれて帰ったことがある。何について話したのかはわからない。その夜、大樹兄ちゃんは帰ってきてもほとんど何も話さなかった。目に涙がたまっているのを、オレは見て見ぬふりをした。
その翌日、「隼人は大学を出ておいたほうがいいよ。オレみたいにならないように。あいつら、高校に通うお金は出してくれるってさ」とだけ、短く伝えた。
オレは高校に入ってからはマックでバイトを始めたけど、大樹兄ちゃんは、「そのお金は貯金しとけ」って、オレにお金を使わせようとはしなかった。
二人で暮らしていた4年間は、ホントに楽しかった。大樹兄ちゃんとはいろんな話をしたな。将来の夢や、好きな女の子のことも話した。
大樹兄ちゃんは、伯母さんに殺意を抱いたことがあると打ち明けてくれた。自殺しようと何度も思った、とも話してくれた。
「こんなオレなんかが、生きてて何の意味があるんだって思ってさ」
大樹兄ちゃんはまるで世間話でもするかのように、普通に話していた。オレはただ黙って話を聴いているだけだった。
「死ななくてよかったね、兄ちゃん」なんて、オレが気楽に言えるわけない。
その後、大樹兄ちゃんは海外青年協力隊に入って、今もタイに行ってる。
「あのとき隼人と会わなかったら、今ごろ、オレはどうなってたんだろうな」
タイに出発する前の夜、二人で飲んでいるときに大樹兄ちゃんは感慨深げにそう言った。
「オレは、初めて人のために本気になれたんだ。オレのようにひきこもりで人生を投げている人も大勢いる。子供が引きこもりで悩んでる親もいる。でも、今のオレのままじゃ、社会に対して何もできないってことも分かってる。だから、いったん日本の外に出たいんだ」
大樹兄ちゃんの話に、オレはうんうんとうなずくだけだった。
初めて会ったときとは別人のように、目が輝いている大樹兄ちゃん。人にはすごい力が眠ってるんだな、ってオレは感動していた。
「オレがそう思うようになったのは、隼人のおかげだよ。だから、ありがとうな。こんなこと、お酒を飲んでないと言えないけどさ」
照れくさそうにお礼を言われて、オレは泣きそうになってしまった。
オレのほうこそ、どんだけお礼を言えばいいのか分からない。
あの家で、オレが壊れずに済んだのは、大樹兄ちゃんのおかげだよ。
そう言いたかったけれど、まだ高校生のガキだったオレは、うまく言葉にできなかった。
見送りには、築地の人たちも来てくれた。大樹兄ちゃんが「おやっさん」って呼んで慕っていた社長さんは、顔を真っ赤にして泣くのを堪えていた。
「お前、初めて会ったときは目が死んでて、髪も長くて青っ白くて女みたいで、まともに話せなくてなあ。こいつ、大丈夫かって思ったんだけどよ、みるみる成長していってさ。家が大変なのに、隼人のことも世話してさ、お前、ホント、偉いよ。偉いっ、ウン」
それを聞いて、大樹兄ちゃんは泣いた。
お店の人たちも、「泣くなよ」と言いながら泣いている。オレもボロボロ泣いてしまった。
「隼人のことは心配すんな。オレが大学まで行かせてやっから。まあ、オレがお金を出すわけじゃないけど、人の道から外れないようについててやっからさ」
おやっさんの言葉に、大樹兄ちゃんとオレは頭を下げた。
オレは最後に、大樹兄ちゃんに「ありがとう」と伝えた。いろんなものがこみあげてきて、それを言うので精いっぱいだった。
大樹兄ちゃんは、「元気でな」とオレの髪をくしゃっとかきまぜた。
オレの何が大樹兄ちゃんを変えたのかは分からない。
人の出会いって、ホント、不思議だ。
誰と出会うかによって、全然変わってしまう。そう考えると、オレは出会うべく人と出会ってきたのかもしれないな。
伯父さんも伯母さんも、出会うべく人だったんだろうか。
正直、伯母さんの仕打ちは今でも忘れられない。一生背負っていく傷になった。
伯母さんはどうなんだろう。オレにしたことを思い出して、後悔したりするんだろうか。
それなら、ちょっとはオレも救われるけど。
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