第2章 静かの海へ ③寄り添う

 東京に来てしばらく経ったころ。

 休みの日に家にいたら、家がかすかに揺れ始めた。

 あ、地震だ。

 そう思ったとたんに、大きな横揺れが来た。

 オレはリビングの真ん中で呆然と立ちすくんでいた。

 この揺れ。家を揺らすこの音。あのときと同じだ。

 逃げなきゃ。テーブルの下に、隠れなきゃ。

 そう思っても、体が動かない。

「こっちだよ、こっち!」

 突然、腕を引っ張られた。

 大樹兄ちゃんだった。二階から駆け下りてきたらしい。

 大樹兄ちゃんに引っ張られて、オレはテーブルの下にもぐりこんだ。

 台所で何かが割れる音がする。二階で何かが倒れる音がする。

 今度こそ、ダメかも。

 今度こそ、死ぬかも。

 オレは大樹兄ちゃんにしがみついていた。

 父ちゃん。母ちゃん。真吾。

 助けて、助けて。

 オレは心の中でずっと叫んでいた。

 揺れがおさまっても、大樹兄ちゃんにしがみついていた。いつの間にか、オレは泣いていた。東京に来てから、人前で泣いたことなんてなかったんだけど。

 大樹兄ちゃんは黙って、そしてぎこちなく、オレの背中をなでてくれた。

 泣き止んだころ、ふと大樹兄ちゃんの顔を見ると、鼻が真っ赤になって、すっかり涙目になっていた。オレに見られると、慌てて涙を拭いて、テーブルの下から這い出た。キッチンに行き、冷蔵庫のドアを開ける音がした。

 オレも這い出て、鼻をかんでいると、「飲む?」とオレンジジュースを持って来てくれた。受け取ると、一息に飲んだ。

 大樹兄ちゃんをこんなに間近で、長時間見たのは初めてだ。意外に、優しい目。そして、意外に大人っぽい感じ。

 ジュースを飲み終わり、「ごちそうさまでした」と空になったコップを渡す。大樹兄ちゃんは、照れくさそうに目を伏せた。

「一緒にゲームでも、する?」

 その日から、オレは大樹兄ちゃんと一緒にゲームをするようになった。

 大樹兄ちゃんの部屋は独特な匂いがした。お菓子やジュースがあちこちに転がってたし、脱いだ洋服はベッドの脇に積み上げてあった。お風呂にもあんまり入ってなかったみたいだし、結構強烈な匂いだったと思うけど、避難所でも似たようなものだったから、あんまり気にならなかった。

 最初は、互いにおずおずと歩み寄るような感じだった。

 オレは敬語を使ってたし、大樹兄ちゃんは人と接するのが久しぶりだったせいか、どう話せばいいのか分からなかったみたいだ。「あー」「うー」とよく言葉につまっていた。

 でも、オレらはすぐに打ち解けた。

 大樹兄ちゃんはよくゲームで負けてくれたし、いつ外出してるのか分からないけど、オレの分のお菓子も買ってきてくれるようになった。

 勉強もよく見てもらった。転校してきてから、勉強がよく分からなくなってたから、ホントに助かった。

 大樹兄ちゃんは、確かに頭がよかった。父ちゃんなんか、宿題で分からないところがあって聞くと、「オレに聞くなあああ」って、ふざけて逃げてたのにさ。

「あーあ、早くこの家を出てえ」

 よく大樹兄ちゃんは、ため息混じりにそうぼやいていた。

 なんで引きこもるようになったのか、直接聞いたことはない。けれど、伯父さんと伯母さんが原因なのかな、ってことは何となく分かった。

 お金があれば幸せってもんでもないんだな。

 あんな大きな家に住んでいたのに、三人ともちっとも幸せそうじゃなかった。



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