第2章 静かの海へ ②美咲、中学の夏
人生のピークには、必ず終わりが訪れる。
私の場合、その終わりは中一の夏休みにやってきた。
中学生になり、私は美術部に入った。育ち盛りの時期だったから、部活の友達と帰り道によく買い食いをしてた。
夏休みに入るころ、別のクラスになった静香ちゃんと久しぶりに会った。静香ちゃんは明らかにほっそりしていた。
「静香ちゃん、痩せたね」
無邪気に私が言うと、
「バレー部に入ったから、練習がきつくて」
照れながら、でも嬉しそうに言う。
「美咲ちゃんは、運動部じゃないんだね。いいなあ、楽で」
その言葉に、かすかな棘があるのを私は聞き逃さなかった。去り際に、チラリと浮かべた優越感に浸ったような表情。何なんだろう?
その夜、私は家の体重計に乗ってみて、愕然とした。たった3ヶ月で7キロも体重が増えていたのだ。
おそるおそるママの寝室にある三面鏡で確認すると、顔は丸くなり、体全体に肉がついてふっくらしていた。きっと傍から見れば、健康的な女の子らしい体型だったと思う。でも、そのときの私にはそう思えなかった。
太った。
また、デブになっちゃった。
どうしよう。
痩せなきゃ。絶対、痩せなきゃ。
またみんなからいじめられる。
なんかもう、人生のどん底に突き落とされた気分だった。
その日から、私はダイエットに励んだ。ううん、憑りつかれたって言ったほうが正確かも。
夏休みは、朝ご飯とお昼を抜き、夜はおかずしか食べなかった。
最初は夏バテかと思っていたママも、8月に入るころにはさすがに心配になったみたい。「病院に行って、お医者さんに診てもらおう」って何度も言われた。しょうがないから、食べるふりをして、ママの目を盗んで料理をこっそり捨ててた。
二学期に入るころ、私はきっちり7キロ痩せていた。
始業式の日、何人もの友達から、「痩せたねえ」「いいなあ」と羨ましがられた。ホッとした。これでまた、憧れの対象になれる。
でも、そこからが地獄だった。
食べるのが怖くなってしまったんだ。
あのころの思い出は、いつもお腹をすかせていた光景しか思い浮かばない。
授業中にお腹が大きく鳴り、みんなから笑われた。それが恥ずかしくてご飯をたくさん食べると、今度は罪悪感でいっぱいになる。朝からご飯を食べてしまった日は、学校に行ってもずっと落ち込んでて、みんなと一緒に笑えなかった。
「どうしたの、最近元気ないね」
心配してくれる友達もいたけど、そんなことで悩んでいるなんて言えなかった。
ある朝私は、とうとう食べたものを吐いてしまった。それも口に指を突っ込んで、自分から吐いたんだ。そうしたら痩せるって話、聞いたことがあったから。あまりにも苦しくて、気持ち悪くて、さすがにそれはもうする気になれなかった。
そして、頼ったのが下剤。下剤を買ってきて飲んだんだ。
食べても出しちゃえば平気だと思うと、楽な気持ちになれた。
食べたら下剤を飲んで、ウンチを出す。食べては飲んで出し、食べては飲んで出しの繰り返し。体重は減っていったけど、加速度的に食欲は増えていった。パパもママも、私がガツガツ食べているのを見て、目を丸くしていた。
「そんなに食べて、お腹痛くならないのか?」
「無理して食べなくていいから」
そう言われても、私の食欲は止まらない。でも、食べるのが止まらないと、今度は不安になった。「太っちゃうんじゃないか」って。
それで下剤の量を増やした。拒食症だか過食症なのか、自分でもよく分からない状態になってしまった。
最初は羨望のまなざしで見ていた友達も、段々私を薄気味悪そうな目で見るようになった。
私の頬はこけ、制服のスカートはゆるゆるになっていた。肌はガサガサで、抜け毛もひどかったな。痩せてていいね、なんてレベルの話じゃなかった。
あのころの私は、お小遣いでお菓子と下剤しか買わなかった。周りの子は漫画を買ったり、化粧品やアクセサリーを買ったりするのに、私の眼中にあるのは食べ物、そして体重だけ。毎日何度も体重計に乗り、一喜一憂していた。
あまりにも何度も下剤を買いに行くので、「お父さんとお母さん、そんなに便秘がひどいの?」って、薬局の人に尋ねられたこともある。親のだと嘘ついて買ってたんだ。同じ薬局で続けて買わないようにする知恵までついたっけ。隣町の薬局まで、自転車で買いに行ってた。ホント、ビョーキだなあ。
けど、授業中に何度もトイレに行く私を担任の先生が不審に思い、ママに相談しちゃった。ママは私の部屋から大量の下剤を見つけて、相当ショックを受けたみたい。病院に連れて行かれて、即入院。そのころの私は生理が止まり、手は黄色く、歯はガタガタになっていた。
パパは私を慰めて、ママは私を叱った。
千葉に来てから、ママはずっと働いていた。震災後に義援金はもらえたけれど、そんなのあっという間に底をついた。仙台よりも、こっちのほうが家賃も物価も、何もかも高い。公団住宅に住んでいたけれど、暮らしは全然楽じゃなかった。
パパとママはよくケンカするようになった。
「なんで娘の変化に気づかないんだ」ってパパは責めたし、ママは「あなただって気づかなかったじゃない」って、二人で不毛な言い争いをしていた。
ママは、そのころ、ちょっとおかしくなった。おかしくなってた私が言うのも変だけど。
退院してから、食事中に私を監視するようになった。
ちょっとでも食べ過ぎると、
「そんなに食べないでよ、お医者さんから、私が怒られるんだからっ」
とピシリと叱る。
私は物足りなくても箸を置いた。
そして、食後下剤を飲んだりしていないかも、しつこくチェックした。食後、トイレに行こうものなら、「ドアを開けてしなさい」。お風呂にも一緒に入ったし、部屋もしょっちゅう覗きに来た。
あれにはうんざりした。今思うと、真剣に心配してくれてたんだって分かるんだけど。
私は食べちゃいけないんだ。
今度はそう思うようになって、拒食症になってしまった。
これは、きっと罰なんだろうな。
あの地震のときの私を、神様は赦してくれないんだ。
私は人生を楽しんじゃいけない。
人から羨ましがられるような人生を、送っちゃいけない。
神様が、そう決めたんだ。私はもっと苦しまなきゃいけないんだって。
私は心のどこかで、本気でそう思っていた。
結局、学校にはあまり通えなくなり、ぎりぎりの出席日数で中学を卒業した。
封印してしまいたい、私の過去。
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