第1章 あの場所へ ⑤真っ白な大地

 カーラジオをつけると、英語の曲が流れた。

 おそらく最近流行っている、とくに特徴のない、軽快なだけのダンスミュージック。洋楽は似たような曲が多くて、覚えられない。

 いつの間にか、アパートや一軒家が建ち並ぶ地帯に入っていた。

 やがて家並みも途切れ、雪に覆われた畑がところどころに広がり、いかにも田舎らしいのどかな光景になった。今にも雪が降り出しそうな曇り空を背景に、枯れた切り株が残る畑。冬の仙台の光景だ。それを見て、「ああ、帰ってきたんだ」としみじみ思った。

 有料道路のガードをくぐるまでは、「この辺まで、津波は来たんじゃなかったっけ」「この辺は、それほどひどくもなかったみたいだね。普通に家が建ってるし」なんて話していたけど。

 延々と続く真っ白な大地になったとき、オレらは黙り込んだ。

 間違いなく、そこは畑なんかじゃない。

 あの地震の前まで、家や会社やアパートやコンビニや公園があったところだ。あの津波は、本当に一瞬で街を破壊してしまった。容赦なく、躊躇なく、人々の生活を呑みこみ、流し去ってしまったんだ。

 10年経っても、この地はまだ完全に立ち直れないでいる。がれきはなくなったけど、そこには何も生まれていなかった。

「次のリクエストは、キャット・スティーブンスの『雨にぬれた朝』。この曲は、70年代に日本でもヒットし……」

 渋い声の男性DJが、落ち着いた口調で曲を紹介している。

 一瞬の静寂。そして。

 ピアノが奏でる、美しく、切ない旋律が車内に響き渡った。

 ギターに合わせて、ハスキーな男性ボーカルが語りかけるように歌い、ところどころでピアノが入る。まるで天上から差し込む光のように、優しく零れ落ちてくるメロディー。

 オレには歌詞の意味は分からないけど、まるで祈りの曲だと思った。一語一語を丁寧に、祈るように歌っているんだ。まるで、赦しを請うかのように。何もなくなったこの地に、希望が降り注ぐよう、乞うかのように。

 

 あのとき、オレ達は、なぜあんな目に遭ったんだろう。

 悪いことをしたらバチが当たると教わったけど、どう考えても、あれだけの罰を受けるようなことをしたとは思えない。みんな、普通に暮らしていただけなんだ。

 なんでオレ達の街が、選ばれたんだろう。

 なんでオレ達が、あんな仕打ちを受けたんだろう。

 もしかして、オレが、この地から離れるためだったんだろうか。

 さらなる試練を受けるためだったんだろうか。


 オレは伯父さんの家に行くまで、伯父さんの家族と会ったことはなかった。

 伯母さんがそういうつきあいを嫌がるんだって、母ちゃんから聞いた気がする。伯母さんは父ちゃんと母ちゃんの結婚式にも来なかったらしい。年賀状や暑中見舞いのやりとりもなく、いとこの名前さえ、オレは知らなかった。

 伯父さんと初めて会ったのは、避難所だった。

 伯父さんは長身で、顔の彫りが深くて、男のオレから見てもカッコよかった。兄弟でも必ずしも似るわけじゃないらしい。黒縁のメガネをかけ、この辺じゃ見たこともないカッコいいスーツを着ていて、いかにも都会の人って感じだった。

 伯父さんはオレを見ると、「大変だったね」と感情のこもってない声で言った。

 それから、父ちゃんの両親、つまりオレのじいちゃんとばあちゃんが行方不明になっていると説明した。遺体安置所を回ってみたけれど、見つからなかったらしい。

「もう、見つからないかもしれないな」

 疲れきった声で、ポツリとつぶやいた。

 伯父さんは、いきなり、オレにどこで暮らしたいかと尋ねた。

 ここで暮らしたいのか。それなら、しかるべき措置をとってやる。

 そんなことを言っていたと思うけど、オレには何を言っているのかさっぱり分からなかった。避難所ではずっと暮らせないのに……とか、的外れなことを考えてた、確か。

 そばで聞いていた高田のおじさんが、突然怒り出した。

「あんた、よくそんなことが言えるよな。隼人は、家族を亡くしたばっかりなんだぞ? それなのに、仙台で暮らしたいなら手続きを取ってやるって、何だよ、それ。どっかの施設に入れるのか? 隼人は、まだ11歳なんだぞ? 唯一あんたが肉親なのに、簡単に見捨てる気かよ」

 伯父さんは、「いや、引き取りたいのはやまやまなんだけど、うちも色々と大変で……」なんてゴニョゴニョ言い訳していた。

 けれど、周りに集まって来た人たちがみんな険悪な表情で睨みつけるので、気まずそうに口をつぐんだ。高田のおばさんは、オレをギュッと抱きしめてくれた。

 東京に戻って、家族に相談して、話がついたら東京に呼ぶから。

 最後はしどろもどろにそんなことを言って、伯父さんは逃げるように帰ってしまった。


 そんな風に、歓迎されないまま東京に迎えられたオレは、伯父さんの家では完全に〝いない存在〟だった。伯父さんも伯母さんも、オレと「おはよう」の挨拶をしないどころか、目を合わせようともしない。

「本当は、引き取りたくなんかなかったのに」という拒絶のオーラを、ビシビシ発していた。

 オレは、徐々に分かってきた。

 暴力よりも、存在を無視されるほうが、ボディーブローのようにジワジワと効いてくるのだと。

 オレは自分が無気力になっていくのを感じていた。

 勉強もスポーツも、何もする気になれない。だって、どんなに頑張っても、誰もほめてくれないし、認めてくれないんだから。

 オレは小学生にして、人生を投げようとしていた。

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