第1章 あの場所へ ④美咲、初登校の日

 カーナビに誘導され、車はスムーズに南下する。

 137号線に入ってしばらく走り、信号待ちをしていたとき、子供の集団が横の建物から出てきた。どうやら小学校らしい。

 頬を真っ赤にした子供たちが、手を挙げて横断歩道を渡っていく。笑いさざめきながら。無邪気にこっちに手を振っている子もいるし、スキップのように飛び跳ねている子もいる。

 ああ、よかった。みんな、元気そうだ。みんな、幸せそうだ。

 自然と、オレの頬は緩んだ。

 美咲もゆったりと微笑んでいる。それは母親の微笑だった。

 もうすぐ産まれてくるオレたちの子にも、そうやって美咲は笑いかけるのだろう。

 そう思ったら、体の底からわいてきた。幸せだ、っていう実感が。

 不覚にも涙が出そうになって、奥歯をギュッと噛みしめる。こんなところでいきなり泣き出したら、カッコ悪いよな。

 美咲は窓に寄りかかって、次から次へと校門から出てくる子供たちを眺めていた。


 はじめて学校に行った日のことは、今でも覚えてる。

 夏休み明けの9月1日。その日から新学期だった。

「名取美咲さんは、仙台から転校して来ました」

 先生のその言葉に、クラスは軽くざわめいた。50代ぐらいの女性の先生で、確か浅田って名前だった。独身だったんじゃないかな。

「仙台ってさ、地震があったとこ?」

「津波が来たんじゃなかった?」

 そんなささやき声が、私の耳に届く。

「皆さんも覚えていると思うけど、仙台は3月11日の地震のときに津波に襲われて、大変な被害に遭いました。名取さんのところは、運よく、家族皆さんで助かったのよね?」

 浅田先生が私の顔をのぞきこむ。私は小さくうなずいた。

「名取さんのクラスのお友達は、大勢亡くなられたのよね? 名取さんは、その日は早退して、助かったのよね」

 私は固まっていた。緊張のせいじゃない、先生の話に呆然としてたんだ。

 ママが先生に「あんまり津波のことには触れないでください。この子、まだ立ち直ってないみたいで」とお願いしていた。だから、クラスのみんなには話さないと思ってたのに。

 なのに、先生はなぜか目に涙を浮かべながら話し続ける。

「ねえ、みんなも忘れちゃいけない、あの地震のことは。多くのお友達が津波に飲まれて亡くなった。私たちは、そのお友達の分も、命を大切にして生きてかなきゃならない。命を粗末にしちゃいけないの。だから、みんなで名取さんを支えてあげよう。亡くなったお友達の分も、名取さんを助けてあげようね。名取さんは、もうこれ以上、つらい目にあったらいけない。これ以上、つらい目にあったら、いけないんだからっ」

 芝居がかった口調で話し、話しながらどんどん感極まっていくみたいで、先生は涙をポロポロこぼしながら訴えかけた。

 はっきり言って、あのときクラスのみんなは〝ドン引き〟していた。私もその一人。

「名取さんは、亡くなったみんなの分も生きなきゃダメよ?」

 そう言って、先生は涙をためた目で私の肩に手を置いた。あのときの先生の顔、忘れられない。私に同情していたんじゃなくて、あれは自分に酔っていた顔なんだって、今ではハッキリと分かる。

 自己紹介をするように促されても、私は小さい声で「よろしくお願いします」と言うのが精一杯だった。

 早く席に着いて、授業が始まって欲しい。そう思ったんだけど、よりによって、私は先生の真ん前の、一番前の席だった。席に着いても、クラスのみんなの視線が背中に突き刺さるのが分かる。

 お願い、こっちを見ないで!

 自分でも耳まで真っ赤になっているのが分かった。

「ハイ、それでは、教科書を出して」

 浅田先生は涙を拭き、鼻をかんでようやく気がおさまったみたい。授業が始まった。

 隣の男の子が、広げた教科書を差し出してくれた。その子は、気の毒そうな顔をしていた。

「あいつ、ウザイだろ?」

 そっと耳打ちした。

「気にすんなよ」

 その一言で、私は随分気が楽になった。


 浅田先生は私を悲劇のヒロインに仕立てたがっていたのか、それからもやたらと私に干渉してきた。

「つらいことがあったら、何でも話してね」

「無理して明るくしなくていいのよ」

「泣きたかったら、いつでも泣いていいのよ」

 時には私の両手を握って、そんなことを言うから、もう、ウンザリした。

 千葉に来たら、普通の学校生活を送りたかったのに。

 あの地震も、津波も早く忘れたいのに、なんでこの先生は思い出させるようなことばっか言うんだろう。

 PTAの集まりでも「美咲さんは、つらい体験を乗り越えて、よくやってます、立派です」なんて褒めるから、ママも困っていたみたいだった。

 私は、普通じゃない。そんな意識がちょっと芽生えたのはこの時期だったのかも。





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