第1章 あの場所へ ③隼人、東京初日

 車は仙塩街道から仙台バイパスに入る。周囲には倉庫や工場が密集している。どうやら工場地帯らしい。海辺に住んでいたオレにとっては、まるで別世界。仙台って、こんなに栄えた街だったんだな。

 美咲は、「あー、この辺、覚えてる」なんて、軽く興奮している。

 オレにとっては、初めて来たような街。

 いつしかオレは、10年前の、初めて東京に着いた日のことを思い出していた。


 東京で引き取られたのは、父ちゃんのお兄さんの家だった。

 伯父さんには、奥さんとオレより5歳上の息子がいた。

 あの日、東京駅でホームに降りたったオレは、迎えに来てくれているはずの伯母さんを探してキョロキョロしていた。足早に行きかう大人たち。誰もオレに声なんてかけてくれない。

 もしかして、今日じゃなかったとか? それとも、時間を間違えたとか?

 どうしよう。誰も迎えに来なかったら。どうすればいいんだろう。

 オレは心細くなり、ボストンバッグを抱きしめた。

 駅員さんに相談しようか。でも、何て言えばいいんだろう。

 混乱して、焦って、心細くて、軽いパニックを起こしていた。

 別のホームに行こうとしかけたとき、「もしかして、隼人君?」と女の人に声をかけられた。

 オレはポカンとして、その人の顔を見つめた。その女の人は、さっきからずっとそこにいたのだ。

 ホームの椅子に座り、熱心に携帯でメールを打っていた。まさかその女の人が、伯母さんだなんて。

 オレが降りて来たのに気づかなかったとか?

 でも、何時に東京駅に着くってことも、どこの車両に乗ってるかってことも、ちゃんと伝えたって高田のおじさんは言っていた。

 なのに、なんで?

 なんで、ほっとかれたんだ?

「隼人君じゃないの?」

 女の人の目が、急に吊り上って、声音がキツくなった。

「あ、ハイ、隼人です」

「そう」

 突然、伯母さんは背中を向けて歩き出した。「行こう」とも何も言わないで。

 オレはそのまま固まっていた。階段を下りる前に伯母さんは振り向き、アゴで「こっち」と促した。

 オレは慌てて後を追う。

 色白の肌に、クリンクリンとカールしている茶色い髪。ちょっと目尻が上がった大きな瞳、すらっと鼻筋が通った高い鼻。まるでテレビに出てくる女優さんのようにきれいな人だった。メイクも髪も完璧にキマっていて、母ちゃんと同じ子持ちの主婦だとはとても思えない。

 伯母さんが袖なしで、胸が大きく開いたワンピースを着ていることにも驚いた。母ちゃんがそんなカッコをしているところなんて、見たことがない。街に出かける時だって、重ね着して長めのスカートを履いていた。

「お腹を隠さなきゃ!」ってよく騒いでたっけ。

 後で聞いたけど、伯母さんは学生時代に雑誌でモデルをやっていたらしい。どうりで、完璧な美人だったわけだ。

 オレは伯母さんに追いつき、「あの、伯父さんは」と尋ねると、

「今日は、あの人は仕事だから。私が来たの」

と、面倒くさそうに答えた。

 あの人?  

 ああ、伯父さんのことか、と気づくまで時間がかかった。

 なんかもう、頭が混乱していた。

 避難所でも、今の新幹線の中でも、みんなが優しくしてくれたからかもしれない。

 オレがホームに下りるなり駆け寄ってきて、

「大変だったね」

「よく頑張ったね」

そう言って、頭をなでてくれるぐらいのことは想像していたんだ。

 それが、何なんだろ、この薄い反応は。

 

 東京駅の人の多さに、オレは圧倒されていた。お祭りでもないのに、一体どこからこんなに人が集まってくるのか。

 しかも、こんなに人がいるのに、みんな歩くのが早い。ぶつからないように、時にはぶつかっても強引に、人のすぐ横をすり抜けていく。

 伯母さんは、オレの手を引こうなんてまるっきり考えてなかった。それどころか、オレのほうを振り返ろうともしない。

 時折、男の人が伯母さんを振り返る。伯母さんもそれに気づいているような感じだった。背筋をピンと伸ばし、高いヒールの靴で、カツカツ音を立てながら、カールを揺らしてカッコよく歩いていく。ホントに、まるで映画みたいな人だった。

 オレは伯母さんを何度も見失いそうになった。

 山手線のホームに上るエスカレーターの前で、ようやく伯母さんは振り返った。オレはヨレヨレになって追いつく。そんなオレを一瞥し、伯母さんはエスカレーターに乗った。何が何でもついていくしかない。こんなところで、置いていかれたら困る。

 オレは、電車に乗る頃にはすっかり息が切れて、汗だくになっていた。鼻水まで出ている。肩から提げたボストンバッグが肌に食い込んで痛い。あっちにいたときは、高田のおじさんが新幹線に乗るまで荷物を……いや、もう、意味ないや、そんなこと考えても。

 オレは伯母さんの横に並ぶのさえも、ためらった。というより、伯母さんは全身で、明らかにオレを拒否していた。

 数歩離れたところで待っていたとき、伯母さんの携帯に電話がかかってきた。

「もしもしぃ?」

 伯母さんは、明るい甲高い声で電話に出た。とたんに、表情も明るくなる。ホントに、華やかできれいだった。オレは理不尽な仕打ちを忘れて、思わず見とれてしまった。

「えー、ってゆうか、それってやばくなあい?」

 伯母さんはちょっと身をくねらせる。隣に立っていた男の人が、伯母さんをチラチラ見ている。伯母さんはそれに気づいている。ってことは、子供ながらも、オレにも分かった。

 母親っていうより……女の人、って感じ。

 結局、伯母さんはそんな感じで、家に着くまで完全にオレを無視していた。電車の中でもさっさと自分は座って、携帯に釘付け。

 オレは荷物を抱えて転びそうになりながら、何とか踏ん張って立っていた。見かねたおばさんが、「ボク、ここに座りなさい」と座らせてくれた。それでも、伯母さんは完全に、完璧に、無視。

 オレは歓迎されていない。

 それに気づいて、オレは何か理由を探していた。

 きっと、嫌なことでもあったんだ。

 それとも、オレがちゃんと挨拶をしなかったから怒ってるのかな。

 もしかして、今日は忙しくて来たくなかったのかも。

 そんなことをグルグル考えていたけど、結局、特別な理由なんてなかったんだ。

 嫌なものは、嫌。多分、それが答えだったんだろう。伯母さんは、オレを引き取りたくなかったんだ。

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