第1章 あの場所へ ②10年前の仙台、10年後の仙台

 あの日は、夏だった。

 確か、夏休みに入ったばかりの7月下旬。

 私たち家族は、ここのホームに立ってたっけ。

 あの日は蒸し暑くて、妹の優海はママの腕の中で、ずっと「暑い」ってぐずってた。

 ママとパパは、見送りに来てくれた人たちと話してた。

「千葉って、どの辺になるの? 東京の隣?」

「ディズニーランドがあるとこでしょ」

「嘘、ディズニーランドは東京でしょ? 東京ディズニーランドって言うじゃない」

「さあ、分かんないけど」 

「あっちで就職先が見つかって、よかったよな、ホント」

「オレもさ、東京に行けるもんなら、行きたいよ」

「東京じゃないって。千葉だよ、千葉」

「でも、向こうも不景気だって言うじゃないか」

「不景気でも、働けるだけいいよ。こっちはこれから、どうなるんだかなあ」

 大人の話し声が頭の上で交差して、私はうつむいてずっと足で点字ブロックをいじっていた。

 早く新幹線に乗りたい。もう来てるんだから、早く乗ろうよ。

 何度も目でママに訴えかけたけど、気づいてくれなかった。

 優海にも、保育園の友達が3人ほど、母親に連れられて見送りに来ていた。でも、優海も友達もまだ3歳で、何が起きているのかなんて分かってなかった。みんな暑さにダラッとしちゃって、お母さんたちが「ホラ、優海ちゃん、行っちゃうよ」とあやしても、ぐずってた。

 私には。

 私には一人も見送りが来てなかった。

 そんなこと、分かってた。分かってたけど。

「美咲ちゃん、元気でね」

 最後に、ママとパパの知り合いが声をかけてくれたけど、何だかビミョーな表情をしていたのは覚えている。

 私は、何て答えたのかな。

 きっと、あの時私は苛立っていた。早くここからいなくなりたかったんだ。早く逃げたかったんだ、あの出来事から。


 駅前でレンタカーを借りると、オレは運転席に、美咲は助手席に乗り込んだ。

「どっこいしょ」

 思わず、美咲の口から掛け声がもれる。お腹が重いから、車の乗り降りは一苦労だ。

「赤ちゃん、つぶさないようにしないと」

 シートベルトをかけながら、美咲はつぶやく。臨月まで、後一ヶ月。日に日に膨らんでいくお腹は、見ているだけでも重たそうだ。できれば手伝ってあげたいけど、お腹を持ち上げるわけにはいかないし。

 美咲は昨日が短大の卒業式だった。

 友達はみんな袴を身につけて、艶やかな晴れ姿で笑いさざめいていた。

 そんななかで、美咲は一人、マタニティ用の黒いワンピーススーツ。

 それはもう、かなり目立っていた。オレは式の帰りに迎えに行ったんだけど、正直、申し訳ない気分だった。ほかの子はキラキラと輝いている。20歳の、女性として一番輝いている旬の時期、って感じに。

 美咲は。

 お腹に時折手を当てて、すっかり落ち着いた雰囲気になっている。

 大人の女性になる前に、母親になってしまった感じだ。

 オレがそうさせた張本人だから、バツが悪くて校門の隅に隠れるように立っていた。

 美咲はオレを見つけると、友達との記念写真を撮るよう、せがんだ。何枚か撮ると、「先輩も、美咲と一緒のとこ、撮ってあげますよ」と、美咲の友達の雪ちゃんが言い出した。オレは拒んだけど、美咲に腕をとられて、仕方なく校門の前に並んだ。

 行き交う人がみんな、「あ、あのお腹の子の父親、あの人なんだ」という目でオレらをジロジロと見る。オレはもう、穴があったら入りたいっていうのは、こういうときに使う言葉なんじゃないかって思った。美咲は全然気にしてないみたいだったけど。


 美咲は間違いなく、妊娠してから強くなった。

 女って、すごいな。オレはこの数ヶ月間、美咲からにじみ出てくる女としての強さに、度々圧倒されていた。出会った頃は、あんなに弱々しくて、守ってあげなきゃいけないって感じだったのに。

 今、美咲は珍しく化粧をしている。

 オレの命の恩人に会いに行くから、気を遣ってくれてるんだろう。眉毛を整え、薄くファンデーションを塗り、淡いピンクの口紅を縫っている。天然パーマの髪は緩やかにウェーブを描き、肩にかかっている。

 半月のような眼、美咲が自分の中で一番嫌いだとぼやいているだんこっ鼻(オレは愛嬌があるって思うんだけど)。ほくろが多いのは、色白だから余計に目立つ。正直、美咲はブスではないけど、美人でもかわいくもない。たぶん一度会っても覚えてもらえない顔立ちだ。

 オレが美咲を初めて意識したのは、出会ってしばらく経ってからだった。

 弓道部の新歓コンパのとき、自分の気配を消すかのように、隅っこのほうで黙って紙コップをいじっている子がいた。それが美咲だった。

 その不安げな眼には見覚えがあった。

 避難所のトイレで鏡を見たとき、そこに映っていた自分の眼。あの眼と同じだったんだ。

 あの瞬間に、惹かれたのかもしれない。


 エンジンをかけ、アクセルを踏むと、銀色の車はゆっくりと街に滑り出した。ビルが建ち並ぶ駅前の通りは、東京とあまり変わりがない。居酒屋もあれば、コンビニもあるし、消費者金融の看板も目立つ。

 こんなに仙台って、都会だったっけ?

 オレは軽いカルチャーショックを受けていた。道行く女の子も、東京の女の子とあまり変わりない格好をしている。ロングコートにミニスカート、そしてロングブーツ。茶髪で、メイクはちょっと濃い目かな。

「この辺、変わってないね」

 美咲のそのひと言は、意外だった。

「そう?」

「マツキヨもあったし、ヨトバシもあったし」

「美咲んち、金持ちだねえ。オレん家、めったに仙台駅なんて来なかったよ?」

「そんな、市内じゃん」

「市内でもさ、仙台駅に来るって、都会だなあって思わなかった?」

「それは思った……あ、牛タンのお店もある」

「オレさ、仙台出身っていったら、必ず牛タンのこと言われんだけど、住んでたときは牛タンなんて全然食べたことないよ」

「私も。東京で初めて食べた」

「なんで仙台名物なんだろ」

「ねえ」

 心なしか、オレも美咲も興奮していた。

 10年ぶりの故郷。

 興奮しないほうが、おかしいか。


 

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