第30話 ただそれだけの理由(中)

 ブレイバス帝国王都に突然現れた壁は、目抜き通りを東西に二分し、凱旋門から帝城まで続く長いものだった。

 高さが人の背丈の三倍ほどもあるので、通りの左右に立ちならんでいた民衆は互いへの視界が遮られたことになる。

 そんな壁の両面に、ある人物が映しだされた。

 テレビのような映像文化が全くない世界だ。民衆は写し出された映像に釘つけになった。

 薄暗い部屋を背景に浮かびあがったのは、民衆もよく知る、亡き先代皇帝ブレイバス六世だった。

 年老いた皇帝は、白い顎ひげを撫でながら画面のこちらへ語りかける。


「マーシャルよ、成人となるお前に、我が国の秘事を伝えておこう」


 マーシャルというのは、現皇帝ブレイバス七世の幼名である。


「お父上、秘事とは?」


 会話は、プライベートな空間で行われたものらしい。本来「陛下」と呼ぶべきところが「お父上」となっている。


「心して聞くのじゃ。初代皇帝のこと、お前はどう聞いておる?」


「はい、およそ二百年前、この地が乱れし時、天帝から遣わされた聖人だとうかがっております。その後、我が国をおこし、大陸の大部分を平定した英雄王だと」


「うむ、それは建前にすぎんのだ」


「えっ? 建国史が建前だとおっしゃるのですか?」


「その通りじゃ。お主は、この国に暗部があるのを知っておるな」


「詳しくは知りませんが、『皇帝の尻尾』と呼ばれる組織のことですね?」


「そうだ。あの組織は、獣人によって構成されておる」


「獣人! なぜそのような下賤なものを?」


「この国を建てた初代皇帝は、獣人だったのじゃ」


「な、なんですと!」


「落ちつけ。ワシも先代からそのことを聞いた時には、驚いたものじゃ。それはもう、腰を抜かすほどな」


「しかし、父上も私も、獣人の血など入っておらぬはず」


「それはそうじゃ。我らが祖先は、帝位を簒奪さんだつしたのだからな」


「さ、簒奪……」


「初代皇帝の宰相を務めていたのが、我らが祖なのじゃ」


「な、なんと……」


「初代皇帝は、獣人世界からの渡来人だったそうじゃ。伝承では、『神獣』という存在がこの世界へ渡るとき、護衛としてつき従っていた一団の長だったそうじゃ」


「……」


「なんでも、虎人族であったらしいのじゃ」


「父上、虎人族といえば、もしや……」


「うむ。先ほど暗部のことに触れたな」


「はい、『皇帝の尻尾』と呼ばれる組織で、獣人で構成されているとか」 

   

「その通り。きゃつらは、初代皇帝の係累である虎人じゃよ」


「なんと!」


「子供のうちから並々ならぬ戦闘力を誇るのが虎人族じゃ。そのため、虎人の子供を暗部として外へ出しておる」


「ならば、成人したあかつきには――」


「始末するのじゃよ、子種だけ残してな」


「……」


「よいか、このことは秘中の秘。決して洩らすでないぞ。そうなれば、皇位継承者といえど命はないものと思え」


「はい……」


「このことは、お前が帝位を譲る時、次代皇帝にのみ伝えよ。よいな、マーシャル。このことくれぐれも他言無用じゃぞ」


「はっ、おおせのままに」


 映像が終わり、それが映しだされていた白い壁も消えたが、目抜き通りに音はなかった。

 卑しいものとして見下してきた獣人が初代皇帝であるという、驚愕の事実を知らされた群衆は、半ば口を開けたまま呆然とたたずんでいる。


 そして、壁が消えた目抜き通りのまん中を、白猫を肩に乗せた青年がゆっくり帝城の方へと歩いていく。

 それに続くのは、今では頭のフードを外した『皇帝の尻尾』、獣耳をあらわにした虎人族の少年少女だ。ブランが彼らの記憶を一部消去したおかげで、幼いころから植えつけられてきた洗脳ともいえる国家至上主義は、小さな獣人たちの頭から綺麗さっぱり拭いさられている。


 その後ろを白馬にひかれた皇帝の客車が進んでいくのだが、肝心の皇帝は屋根の上で意識を失い頭をぐらつかせているので、なんともしまらないことになっている。

 やがて彼らは、帝城の中へと入っていくのだった。

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