第29話 ただそれだけの理由(上)


 その日、皇帝ブレイバス七世は、朝から機嫌がよかった。

 宰相から次のような報告を受けたからだ。

 

「例の者たちは、ポンポコ商会会長シロー確保に成功いたしました。

 早ければ、今日夕方には、彼を連れ我が国へ帰参いたします」


 その男からエリクサーの秘密さえ手に入るなら、アリストへの軍事侵攻など後まわしでもよい。

 余は永遠の命を手に入れるのだ。


 皇帝はそんなことを考えているが、エリクサーは蘇生薬であって不老長寿の薬などではない。    

 取りまきたちが皇帝にとって耳当たりのいい情報を吹きこんだ結果、とんだ誤解をしているようだ。

 ところが、ポンポコ商会で開発されたものは、エリクサーではなく『神薬』であり、その薬効には不老長寿の可能性まで含まれていた。

 皮肉なことに、皇帝の誤った考えが、もしかすると『神薬』の真実を言いあてているかもしれなかった。


 ◇

 

 その日、昼過ぎ、ブレイバス帝国帝都は、いつにない興奮に包まれていた。

 皇帝の行幸があるというのだ。

 暗殺を恐れ、山沿いの城からめったに出てこない皇帝としては、珍しいことだった。

 店先や街路は整えられ、スラム街でさえ塵一つ落ちていなかった。

 城へと続く大通りには住民がつめかけ、中央が空けられた道の左右は、あまりの混雑ぶりに身動きできないほどだった。

 

「パパパーン!」


 管楽器の甲高い音が響くと、五頭の白馬が引く巨大な、そして華麗な客車が城門から現れた。

 それを目にした民衆の歓声は、天にも届くばかりだった。


 ブレイバス七世は、二階建ての屋根ほども高さがある、皇帝専用の客車から王都の街並みを見下ろしていた。 

 平屋が多い王都は、大通りをたどると、はるか遠く凱旋門の辺りまで見通せる。

 凱旋門は、平民の居住区と貴族の居住区を隔てている。今日は国家行事として平民にもその門が開放されていた。

 住民たちが興奮しているのは、いつもなら入れない貴族地区への通行が許可されているからでもある。


「「「皇帝陛下万歳!」」」


 民衆が声を合わせたのは、そうなるよう役人たちが準備していたからだ。

 皇帝の馬車は、ことさらゆっくり進み、凱旋門前の広場で停まった。

 客車の屋根が開き、きらびやかな玉座がせり上がる。

 この演出に民衆の歓声が高まり、たち並ぶ商店の壁を揺らす。 


「栄光ある帝国の民よ!

 心して聞け!

 我らが雌伏の時は終わった。

 我がブレイバス帝国は、今この時をもって建国の始祖にならい、蛮族どもを滅ぼし大陸に覇をなすこととなる。

 その手始めに、まずはアリスト王国を攻めおとす。

 ブレイバス帝国に栄光あれ!」


「「「栄光あれ!」」」


 宮廷魔導士たちが打ちあげた、火魔術の鮮やかな閃光が雲一つない青空を彩る。

 皇帝は玉座から立ちあがり、両手を天に突きあげた。

 民衆の興奮が最高潮に達したと思われたその時、凱旋門の下に黒いローブをまとった一団が現れた。フードを目深にかぶっているので、彼らの顔は見えない。

 

「な、なにやつだ!」


 広場を警備していた衛士が、十名ほどの不審な一団を最大限の警戒で包囲した。

 そうしている間にも、皇帝が乗る客車の前には、銀色に磨かれた鎧を着けた騎士たちがずらりと並んだ。緊急時とっさに動けるのは、たゆまぬ鍛錬のたまものだろう。


「皇帝陛下の御前であるぞ!

 この無礼者が!」


 騎士団長が、黒ローブの集団を怒鳴りつける。


「とり押さえろ!」


 しかし、その時、彼の頭上から声が掛かった。


「待て」


 絶対権力を持つ皇帝の一言で、今にも動こうとしていた騎士たちの足が停まった。


「お前たち、もしや『尻尾』ではないか?」


「はい、そうでございます」


 皇帝の問いかけに、黒ローブの一人が落ちついた声でそう答える。そして、一団の中から大柄な一人を前に押しだすと、そのローブをひき剥がした。

 現れたのは、頭に茶色の布を巻いた青年だった。この国では一般的でないのっぺりした顔つきの彼は、このような場だというのに、どこか眠たげだった。肩に乗った白い小動物が、強い日差しに目を細めている。


「ポンポコ商会会長シローでございます」


 黒ローブの言葉を聞き、皇帝の顔に喜色が浮かぶ。


「おお!

 お前がポンポコ商会のかしらか」


「ああ、そうだよ」


「『尻尾』は、任務を果たしたようだな」

 

 いつもなら許すはずのない青年の不遜な態度を、皇帝は気にも掛けなかった。 そう、彼は上機嫌だったのだ、次の瞬間までは。


「アリスト城と俺の家に刺客を送ったな」


 この言葉はさすがに許せなかったようだ。皇帝は騎士長にむけ命じた。  


「そやつの手足を切りおとせ!」


「はっ、直ちに!」


 答えた騎士長は、しかし、それを実行することはできなかった。

 なぜか、ぴくりとも体が動かないのだ。 

 シローという名の青年が、ゆっくり騎士長に近づいていく。

 肩に乗る白い小動物が前足を伸ばし、騎士長の額にちょんと触れる。

 大柄な騎士長は突然体の力を失い、ぐにゃりと崩れおちた。

 

「おい、何をしておる!」


 騎士長がやられたのに、青年を拘束しようともしない騎士たちに皇帝の怒りがぶつけられる。

 しかし、青い顔で脂汗を流しながらつっ立っているだけの騎士たちは、言葉一つ発っすることができなかった。なぜか眉一つ動かせないのだ。

 

「お、おい、誰か!

 そやつをなんとかせよ!

 おお、そうだ!

 『尻尾』よ、この男を殺せ!」


 皇帝の命令を聞いても、『尻尾』は黙ったままだ。ただ、彼らは動けるようで、今では青年のすぐ後ろ、つまり皇帝の目の前まで近づいていた。      

 

「早うせい!

 その男を殺すのだ!」


 静まりかえった民衆、言葉を失った騎士たちの中、皇帝の言葉はことさら大きく響いた。怒りに我を忘れた皇帝は、なんのためにポンポコ商会を手に入れようとしたかさえ忘れてしまったらしい。

 そのため、自分の肩に白い子猫が跳びのったことにも気づけなかった。

 伸ばされた子猫の前足が、皇帝の額に触れる。 

 彼の身体は騎士長同様ぐにゃりと力を失い、さっきまで座っていた椅子の上へ倒れてしまった。


「ろ、狼藉ろうぜき者!

 皇帝陛下をお守りしろ!」


 遅まきながら、沿道を警備していた衛士たちが、皇帝が乗る客車へ押しよせようとする。

 しかし、客車に近づいた衛士も次から次へと動かなくなっていった。

 そんな仲間が死んだと思ったのだろう。残りの衛士たちは、恐怖に我を忘れ逃げだそうとした。


「ひいい!」

「助けてくれー!」

「死にたくないー!」


 叫んだところで、彼らも体が動かなくなる。

 衛士の恐慌は民衆へも飛び火した。

 凱旋門広場に集まっていた人々が、その場から逃げようとする。

 しかし、そんな彼らも自分の身体が動かないことに気づいた。

 騎士たちと違い、首から上は動くから、あちらこちらで助けを求める声が上がる。


「なにが起きたんだ?」

「皇帝陛下が襲われたらしい」

「お母さん、動けないよう!」


 騒ぎは凱旋門広場から目抜き通りへと伝わり、帝城の方へと広がっていく。

 ところが、急にその騒ぎがおさまった。

 皇帝の馬車が通るため空けられていた目ぬき通りに沿って、帝都を貫く長い壁が現れたのだ。

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