第5話 初めての異世界転移(中)


 墨を塗ったような闇の中で、エレベータが下降する時のような感覚に襲われる。

 私は思わず目を閉じ、自分の身体を抱きしめていた。

 転移には、おそらく十秒もかからなかったのだろうが、私にはとても長く感じられた。

 足が地に着く感覚で、転移が終わったと気づく。

 瞬間移動と似たものを想像していた私は、異世界への転移が全く別ものだと気づくとともに、軽いめまいと吐き気を覚えていた。


 閉じていた目を開けると、教室の中にいたはずが、薄っすら霧のかかった木立の中にいた。

 さっきまで夕方だったのに、ここでは朝のようだ。

 鳥の声さえ聞こえない森は、深閑としていた。

 

「ふう、これが異世界転移ですか?

 ちょっと車酔いのような気分になりますね」


 後藤が丸めていた背を伸ばすようにしてそう言った。

 

「思ったよりあっけない」


 遠藤は平気なのか、すでにキョロキョロ辺りを見まわしている。


「ここ、リーダーの家……じゃないわよね。

 いったいどこ?」


 落ち葉を踏みしめ、森の空気を思いきり吸いこんでいるシロー君に尋ねてみる。


「ええ、ここは『霧の森』といって、アリストの北東に広がる森ですよ」


「……なんでこんなところに転移したの?」


「俺たち『初めの四人』が、さっきの教室からランダムポータルで跳ばされたのが、この辺りだったんですよ。

 もちろん正確な位置は分かりませんが、この『霧の森』が俺たちにとって最初の異世界でした」


「高校生が、教室からいきなりこんなところへ……。

 心細かったでしょうねえ」


 音一つしない森だ。周囲に人がいなければ、不気味さだけを感じたかもしれない。


「うーん、確かに心細さもありましたが、予想外の事態に対応するためにそれどころじゃありませんでしたね。

 舞子や加藤、畑山さんが一緒だったってのもありましたし」


「優しいシロー君としては、友達を助けるためにがんばったのかしら?」


「そんな余裕はありませんでしたよ。

 いきなり三メートルもあるウサギが出てきましたから」


「あ、ヒロが言ってた、なんとかっていうウサギね。

 大きいけどすごく人懐っこいって言ってたけど……」


「ははは、誰にでも懐くわけじゃないんですけどね。

 あのウサギ、聖騎士とは相性がいいようです」


「そういえば、ヒロって聖騎士に覚醒したって言ってたわね」


「ええ、ヒロ姉には、『水盤の儀』、ああ、それって覚醒するための儀式なんですが、それを受けさせるつもりなんてなかったんですよ。

 だけど、勝手に受けちゃって――」


「あのバカ!」


 思わず口をついて出た罵声に後藤から突っこみがはいる。


「社長!」


「あ、ごめんなさい。

 シロー君、それがヒロが国王と結婚するきっかけだったの?」


「うーん、加藤がマスケドニアの食客的な立場だったんです。

 アイツ、勇者ですからね。

 で、ヒロ姉が弟の加藤を訪れたとき、陛下から見初められたようですよ」


 もう、あの娘ったら、なんだか無性に腹が立つわね! 

 

「後藤さん、どうです?

 取材の参考になりますか?」 


 そういえば後藤は、さっきからしっかりメモを取っている。

 

「そりゃもう!

 こりゃ、凄いスクープですよ!

 なんせ『初めの四人』が転移した足跡を追えるんですから!

 ジャーナリストとしては、こんなに美味しい機会はありませんよ」


 後藤、なんか興奮しまくってるわね、まあ、気持ちは分かるけど。

 でも、まあ確かに、シロー君が初めて転移した場所に来れるなんて、ホント感慨深いわ。


「社長、顔が赤いけど大丈夫ですか?」


「わ、私は大丈夫よ、遠藤」


 次の瞬間、周囲の景色が変わっていた。


 ◇ 


 私たちが瞬間移動で現れたのは、芝生が生えた公園のような場所で、目の前には噴水があり、少し離れたところに東屋あずまやがある。周囲は木々に囲まれていた。


「シロー君!

 前から言ってるじゃない!

 瞬間移動するときには、前もって知らせてって!

 そういえば、異世界転移するときにも、合図なかったわよね!」

 

「ご、ごめんなさい。

 いつも普通に使ってるから、すぐ忘れちゃって」


「……なんだか、怒る気も失せるわね」


 呆れた私の口調に後藤も同意する。


「ホント、次は瞬間移動とか異世界転移する前に教えてくださいよ」


「申しわけない」


「ところで、ここってどこなんです?

 シローさんの家ですか?」


 後藤の問いかけにシロー君が答えようとするが、遠藤の声によってそれはさえぎられた。


「あわわわわ!」


 遠藤らしからぬ、悲鳴にも似た声にそちらを見ると、口を大きく開いた彼が私たちの背後を指さし、芝生の上に腰を落としている。

 

「遠藤、どうし――」


「あわわわわ!」


 遠藤に声を掛けようとしたが、後藤まで頭を抱えうずくまってしまった。


「あなたたち、なんで――」


 振りむくと、視界が白い壁にさえぎられていた。

 なんだろう、これ?

 手で触れると、柔らかい毛が生えている。

 ゆっくり見上げていくと……黒く大きな目が二つ、ピンクの丸い鼻ごしにこちらを見下ろしていた。


「ウサ子!

 柳井さん!?」


 意識を失う前に、シロー君の慌てた声が聞こえた気がした。

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