第4話 初めての異世界転移(上)


 出発当日、最後まで残っていた仕事を片づける。

 シロー君からは、昼食を終えたらゆっくりしておくよう言われていたが、結局夕方まで働いてしまった。


 転移するのは、夕方の四時と決まっている。

 この取材旅行だが、最初は遠藤を残し、後藤と私だけで行くつもりだった。シロー君からの要望で、三人全員で行くことになった。

 確かにウチの有料サイト、更新が一週間おきだし、異世界関係の記事は三か月分以上書きためてある。

 サイトの管理に関しては、伝説のハッカーこと桃騎士がいてくれるので心強い。

 

 カフェ『ホワイトローズ』地下、『異世界通信社』の会議室に集まった私たち三人は、それぞれが海外旅行用の大型アタッシュケースと手荷物を持ち、シロー君が現れるのを待っていた。

 彼はここから二百キロほど離れたK市の郊外に、巨大な邸宅を構えている。彼自身が魔術で建てたものだが、おそらくそこからここへ来るはずだ。


 約束の四時きっかりに、会議室の扉がノックされ、シロー君が顔を出した。

 いつもの通り彼はカーキ色の冒険者服で、『ブラン』という名の白い子猫を肩に載せていた。 


「「リーダー、こんにちは!」」


 後藤と遠藤が声を揃える。この二人、知性派と肉体派という真逆のタイプだけれど、実は気が合うのだ。

  

「こんにちは。

 用意は済ませてありますか?」


「こんにちは、リーダー。

 今日はお世話になります。

 忘れ物は、ないはずですよ」


「じゃあ、スーツケースはかさばるから、俺が収納しますね」


 シロー君が指を鳴らすと、三つの大型ケースが、ぱっと消えた。


「うーん、見慣れていても、やっぱり驚いてしまいますね」


 後藤が苦笑いしている。


「今日は、異世界転移する前に小さなイベントを用意しています。

 楽しんでください」


「な、なんだろう?

 シロー君のイベントなんて、ちょっと怖いな」


 私の言葉に、シロー君は邪気のない笑い声を上げた。


「ははは、驚かせるようなイベントじゃないですよ。

 では、用意はいいですか?」


「え、ええ」

「は、はい」


 後藤と遠藤は、ガチガチに緊張している。

 二人の手前、社長がビビるわけにもいかないので、平気な顔をしているが、私も怖くて握った手に汗が出てきた。

 シロー君が、パチリと指を鳴らす。


 周囲の景色が一瞬で変わった。

 ガランとした部屋で、前に黒板があった。


「「「あれ?」」」


 後藤、遠藤、私の声が重なる。

 これって、異世界転移じゃなくて瞬間移動?

 そこは、明らかにどこかの教室だった。

 不思議なのは、机と椅子が一つも置かれていなかった。

 二階だろうその教室からは、川の土手やその向こうにある小さな街並が見えた。

 いったいどこだろう?


「あ、ここ、リーダーの母校ですね?」


 窓から外を見ていた後藤が、疑問に答えてくれた。


「ここって、『初めの四人』が異世界転移した教室ですよね?」


 そういえば、後藤はシロー君の母校で取材したことがあったわね。

 なにせここは――


「世界遺産になった、あの教室ですか?」


 遠藤が言うとおり、シロー君たちが初めて異世界へ転移したこの場所は、世界遺産に指定されている。


「ええ、そうです。

 あの年の三月、放課後のこの教室から俺たち四人は異世界へ迷いこみました」


 後藤が胸ポケットからメモ帳を出し、さっそく取材モードになった。

 シロー君は、チョークで様々な線と文字が書いてある黒板の横に立った。

 

「ちょうどこの辺りに黒い穴ができたんです。

 大きさはこのくらいでした」


 彼は黒板のまん中辺りを指さした後、その上から下まで手を広げた。

 

「最初キリキリという音がして、この辺りに黒いもやのようなものが現れると、それがさっきの大きさまで次第に広がったんですよ」


 実際に体験したからこその、実感がこめられた言葉は、とても迫力があった。 

 

「最初に加藤が穴に入って、それを俺が追いかけたんです。

 向こうに出たらすぐ穴が閉じはじめて、慌てて帰ってきたんですが、加藤の足が穴の縁に引っかかったんですよ。

 彼を教室へ戻そうと引っぱったんですが、気がついたら向こうの森でした」


「渡辺さんと畑山さんはどうやって向こうへ?」


 メモを手にした後藤が、勢いこんで尋ねる。


「巻きこまれたんですよ」


「巻きこまれた?」


「ええ、ポータルの黒い靄ですが、あれちかづくと転移に巻きこまれるんですよ。

 ちなみに、身をもってそれを証明したの、ヒロ姉ですから。

 柳井さんと後藤さんは、コロンビア大学の講堂でヒロ姉が消えたの覚えてるでしょう?

 あれ、俺たちが異世界転移した後、その場に残ってた黒い靄をヒロ姉が指でツンツンしたのが原因です」


 あいつめー!

 異世界に行ったのはそういう経緯だったのか。


「まあ、彼女の場合、二度目の異世界転移は意図的なものでしたが……」 

  

 やっぱりか!

 それなら、会社こっちに一言くらい伝えておくべきでしょ!

 なにやってんのよ、アイツ!

 その上、美形の王様に玉の輿って――


 ガラリと教室の扉が開き、知人が入ってきたので、私の怒りは宙ぶらりんとなった。


「あ、林先生!

 ご無沙汰しています」


 中年の、少し頭髪が薄くなりかけたこの先生は、転移事件の際、シロー君の担任だった。


「シロー、久しぶりだな。

 ここ使うなら早めに言ってくれよ。

 本来なら、申請から一か月はかかるからな」


「林先生、ご無沙汰しております」


「柳井社長、シローがお世話になってます。

 頼りないやつですから、どうか支えてやってください」


「やれやれ、俺は頼りないやつですか?」


 林先生の言葉にシロー君が口をとがらせる。


「いや、学生時代のお前を知ってる身からするとな。

 こいつ、授業中にいつもボーっと窓から外を眺めてたんですよ」


「ははは、確かに、ここから見える景色は、いたってのどかですもんね」


 学生時代のシロー君がそこに見えるようで、私は嬉しくなった。


「じゅ、授業は聞いてましたって」


「ほう、お前が数学で赤点をなん回取ったか、柳井社長に聞いてもらうかな?」


「そ、そんな!

 それは立派な個人情報でしょうが!」


「お前が個人情報どうのこうの言える立場か?」


 林先生は、シロー君の肩に乗る白猫の頭を撫でている。


「英ゆ……いえ、リーダーも、恩師の前では形無しですね」


 危うく禁句を言いかけた後藤が、慌てて言いつくろった。


「そうそう、生徒の中に、修学旅行先を異世界にって言ってるやつがいるらしい。

 親御さんが反対するだろうから無理だとは思うが、シロー、心の隅にとめておいてくれよ」


「ははは、異世界修学旅行ですか。

 もし実現したらすごいですね」


「まあ、夢物語にすぎんだろうがな。

 おっと、そういえば、『異世界通信社』のみなさんは、これからどうされますか?

 よければお食事でもどうですか?」 


「林先生、お気づかいありがとうございます。

 この後、ちょっと社用がありまして」


 異世界への取材旅行については、外に洩らさないようシロー君から言われているの。


「そうですか、それは残念。

 また次の機会にご一緒しましょう」


 事情を察したのか、林先生は、あっさり引きさがってくれた。

 

「林先生、今日は手続きの方ありがとう。

 では、行きますね」


「おう!

 渡辺、畑山、加藤や、お前の家族にもよろしくな!

 あ、そうそう、ヒロに会ったら、おめでとうって言っておいてくれ」


 そういえば、この先生、ヒロの担任でもあったらしいわ。


「では、失礼します」


 夕陽が差しはじめた部屋から林先生が出ていくと、私たちの足元に黒い靄が立った。

 シロー君の額にある金色の「ホクロ」が光っている。

 次の瞬間、私は黒い何かに呑みこまれた。

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