第42話 カーライルの戦い
女帝からカーライル領を攻めるよう命令を受けたモスナート帝国軍五千は、すでに街が見えるほどの距離まで進軍しており、攻撃に備え最後の準備に忙しかった。
遠距離攻撃の魔術が唱えられる魔術師が多数いるため、作戦はまず街の外から魔術で攻撃し、守備隊の抵抗を奪ったところで歩兵、騎兵が突入するというものだった。
作戦とも呼べないおおざっぱな計画だが、カーライル側の兵力五百、帝国軍五千という戦力差を考えれば十分有効だろう。
遠見の魔道具でカーライルの街を眺めているネチコラ将軍は、自軍の優位が分かりすぎるほど分かっていた。
「ふぁ~、まったく、退屈な戦だぴい!
豆粒のような街を攻めなきゃならないなんって、ぴぴぴ!」
その異様な音は、巨大な椅子に座った男が笑う「声」だった。
常人より頭二つ大きな将軍の身体は、その胴回りともなるとまるで酒樽のようだった。
そのぶよぶよに膨れあがった腹が、鎧ごと大きく波うつ。
「ああん?
あいつら正気なのか、ぴ!」
街の門が開き、そこから外へ出てきたカーライルの兵士たちが横一列の陣を張ると、将軍は特別あつらえの巨大な白い鎧をがちゃがちゃ鳴らした。
「魔術部隊に攻撃の合図をするっぴゃ!」
その声を受け、ワンドを取りだした伝令兵が空へむけ魔術を放つ。
火属性の魔術は、明けたばかりの空に三本の白い尾を引いた。
それを合図に遠距離魔術に特化した魔術師たち三十名が、見事に声を揃えた詠唱の後、特別製の杖を斜め上方に突きだした。
空中に現れた握りこぶしほどの石くれが、人数分だけ打ちあがる。
それは大きな放物線を描き、敵陣へ落ちていく。
長い距離を飛んだ石の塊は、思わぬエネルギーを持っていた。
モスナート帝国軍と比べ可哀そうなほど数が少ないカーライルの兵は、土煙を上げ着弾しはじめた石の「雨」に右往左往している。
それを盾で受けとめた者は、着弾の衝撃で腕を骨折し、また、直接体にくらった者は、手や足を破壊された。
動けるものが怪我人を引きずり、門の中へ戻っていく。
「ぴぴぴぃ!
あいつら、馬鹿っぴい!」
伝令兵が打ちあげた魔術が、空に一本白い線を引いた。
それは進軍の合図だ。
横に長く広がった帝国軍の前線が、街を包囲するため弧を描き伸びていく。
ネチコラ将軍が座った巨大な台車も、四頭の馬にひかれ前へ出る。
「ぴぴぴぴ、進めーっ!」
将軍がそう叫んだとき、台車がガタリと傾いた。
「ごばあっ!」
ゴシャッ!
ガシャガシャーン!
傾いた椅子から投げだされたぶよぶよの巨体が、白い鎧ごと地面に投げだされる。
「い、痛いっぴーっ!」
助けようと駆けつけた兵士の一人が将軍の腕をとり引っぱるが、鎧の重量が加わったその巨体を動かすことはできなかった。
「ぴぴぴぴぃーっ!」
分厚い唇から、つばを撒きちらし、将軍が上半身を起こす。
泥にまみれたその顔は、怒りに満ちていた。
「よ、よくもやってくれたっぴーっ!
皆殺しぴーっ!」
そう叫んだ将軍は、横にいた兵の肩に金属製の小手を載せ、よろよろ立ちあがろうとしたが、やっと立ちあがった彼が地面を踏むと、そこがぺこりと沈み、顔面からもろに地面に衝突した。
グシャ!
「ぐわっぴーっ!」
カーライル軍が、そして街の人々が、無数にしかけた落とし穴に引っかかったのだ。
顔を押さえ、のたうちまわった将軍がやっと上半身をおこした時、その目からは理性が失われていた。
「ぴぴぴー!」(突撃ー!)
どうやって理解したのか、伝令兵は将軍の叫びを読みとり、魔術を連続で唱えた。
幾本もの白い煙で、空中に扇状の図形が描かれた。
突撃の合図だ。
兵士の中には、落とし穴に足を取られた者もいたが、数多くの兵が街へ迫った。
「ぐわっ!」
「おい、どうしだっ!?」
そんな彼らの足元が沈みこむ。
今度の落とし穴は、かなり深かった。
しかも、その底にはごつごつした岩が敷かれている。
その上に落ちた兵士は足を痛め、あるいは骨折し、身動きが取れなくなった。
◇
カーライルの街、門の脇にある
「父上!
思ったほか、足どめが上手くいってます!」
「うむ、そうだな。
敵の大将が無能で助かった」
「しかし、本当に
籠城とは、本来なら友軍が助けにくるという前提でおこなうものだ。
そんなものが期待できない彼らにとって、確かに籠城は愚策ともいえた。
「いいのだ。
ここで足どめしただけ、領民が遠くまで逃げられる」
カーライル公の顔が苦渋に満ちているのは、その後のことはどうしようもないからだ。
彼はあることを恐れているのだ。帝国軍がこの街の領民を一人残らず殺す命令を受けているということを。
なぜなら、かつてある街が住民はもちろん建物まで消えてしまったことがあり、その調査をした小隊を率いたのが、若き日の彼自身だったからだ。
街の跡地には、隠しきれない戦いの痕があった。
そして、そのような大規模な戦いができる組織は、帝国軍以外考えられなかったのだ。
そのことを上司に報告した彼は、故郷であるこの街へ左遷され、帝都で築いた地位や屋敷を失った。
「皮肉なものだな。
あの街と同じことが、今ここで起ころうとしているとは……」
閉じていた彼の目が開くと、そこには不屈の意志があった。
たとえ今日滅びようとも、誇りまで失ってなるものか!
「プロテ、次の作戦に入るぞ!」
「はっ、父上!」
励ますように息子の肩に載せたカーライル卿の手は、しかし、小さく震えていた。
◇
「ぴぴぴ、皆殺しだぴい!
一人として逃がすでないぴ!」
なんとか修理を終えた台車にその巨体を収めたネチコラ将軍は、鎧を外した手をぶるんぶるん振りまわしながら、そんなことを叫んでいた。
彼の右足は、二枚の添え木が当てられ、包帯でぐるぐる巻きにされていた。
右手に干し肉を持った将軍は、それをかじりながら、街の防壁近くまで迫った自軍を見ていた。
思わぬ罠で五百ほどの兵が使いものにならなくなったが、まだ戦力の差は圧倒的だ。
街の正門前には、すでに
将軍は、足つきの金属杯に満たされたルビー色の果実酒をグイッとあおる。勢いがすぎてこぼれた酒は、彼の胸を赤色に染めた。
「トドメを刺すぴー!」
右手の干し肉が戦扇のように振られると、破城槌の後ろに並んだ五人の魔術師が、呪文の詠唱を始めた。
巨大な台座に載せられた長大な杭、その端がはめ込まれた黒い筒が薄赤く光りだす。
この黒い筒は、大きな魔道具だった。
風魔術により筒内で圧縮された空気がはじけ、巨大な杭が恐ろしい勢いで飛びだす仕組みだ。
ガシュッ!
大きな音を立てた破城槌は、しかし、その本来の役目を果たすことができなかった。
なぜなら、杭の発射に合わせるように、街の門が勢いよく開いたからだ。
ぶつかるべき対象を失った巨大な杭は、街の大通りを直進すると中央広場で地面に落ちるとその場でぐるぐると回転し、やがて停まった。
ネチコラ将軍は、門がはじけ飛ぶのが見られず、肩すかしを食らったかたちだ。
ぷるぷる震えていたアゴの肉が、やがてぶるんぶるんと波打ちだした。
「ぴぴょー!
塵一つ残さず破壊するっぴー!」
将軍の甲高い叫び声を合図に、帝国軍がときの声を上げ、開いた門から突っこむ。
しかし、彼らは、ふわふわした足元に、その勢いを失った。
「な、なんだこれは!?」
「ひぐっ、く、臭えっ!」
「げぼっ!」
丈夫な布を張り、その上に砂をまいたものを踏んだ兵士たちは、巨大な落とし穴に落ちることとなった。
ただ、この穴には汚水が満たされていた。
猛烈な悪臭が周囲に立ちこめる。
帝国兵は、涙、鼻水、よだれを流し、地面にうずくまることとなった。
あまりの臭さに、気を失う者まで出た。
海風にあおられた臭気は、門の比較的近くにいたネチコラ将軍のところまで漂ってきた。
「ぶっ、ぶぉぴー!
く、
台車の上で、びたんびたんと巨体がのたうつ。
その衝撃で台車の車輪が壊れ、将軍は地面に投げだされた。
白目をむいて動かなくなった将軍を見て、初老の副官がワンドを振り、声を張りあげる
「布で鼻を押さえろ!
全軍、突撃ー!」
門の内側では、整然と隊列を組んだカーライルの兵士たちが、やはり最後の戦いへ向かおうとしていた。
「全員、鼻に粘土をつめるのを忘れるな!
突撃ー!」
門から少し入った辺りで、帝国軍とカーライル軍、双方がぶつかろうとしていた。
グオオオオオオ!
そんな彼らが足を停めるほどの重圧が頭上から降りかかる。
生物的本能から生じる恐怖が、兵士たちの体を痺れさせた。
空から降りてきたのは、巨大な黒竜だった。
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