第45話 異世界ダイエット


 リンダにとって久しぶりの通学路は、まぶしいものだった。

 弾むような足どりの生徒たちが、学校へ向かっている。

 彼女は、道を踏みしめる感覚を確かめるように、ゆっくり歩いていた。


「リンダ先生ー!

 お早うございます!

 もう、お身体の方は大丈夫なんですか?」


 声を掛けてきたのは、異世界科二年生の白神だ。

 リンダが直接担任しているわけではないけれど、異世界クラブの顧問をしていることもあり、なじみ深い生徒だ。


「ええ、もうすっかり元気よ!」


 この三日間、林の家でゆったりと過ごし、リンダは心身ともに力が戻っていた。


「先生、無理しないでくださいね」


 小西少年が、そう声を掛けたのは、リンダが以前より痩せているのを心配したからだ。

 

「うん、ありがとう。

 でも、もう本当に大丈夫よ」


 昨日、林の家にアメリカ大使館から連絡があり、リンダが極秘任務から解放されたこと、彼女に新しく日本滞在の許可がおりたことを、正式に伝えられたのだ。


「先生、ご機嫌ですね」


 そう言った三宅が、リンダの前をぴょんぴょん跳ねている。


「こら、萌子!

 スカートめくれてるよ!」


 親友の白神が、そんな三宅をたしなめる。


「すごく素敵な家に引越したの。

 それで……かな」


「へえ、誰か好きな人ができたのかと思った」


 三宅が、いかにも彼女の年頃らしい興味を示す。

 リンダの脳裏に、ある人物の笑顔がふっと浮かんだが、それは淡雪のように溶けた。


「君たち二年生は、一限目体育でしょ?

 着替える時間を考えたら、急いだほうがいいんじゃない?」


「うわっ!

 もうこんな時間!」


 スマホで時間を確認した白神が慌てている。


「じゃ、先生、お先にー!」

「お先にー!」

「失礼します!」


 駆けだした白神、三宅、小西たち三人の背中を見て、リンダの顔に笑顔が広がった。


 ◇


 朝の職員会議で長期の病欠を謝った後、二階にある異世界科一年の教室前まで来たリンダは、そこで立ちどまっていた。

 勇気を振りしぼり、引き戸を開ける。久しぶりの教室は、まるで見慣れない風景のようだった。  

 なんとか教壇に立つと、生徒が礼をする。


「「「お早うございます」」」


「お、おはよう」


 様がわりしたリンダを見て、生徒たちがざわついている。


「先生、痩せてる!」

「綺麗になってる!?」

「異世界に行ったから?」


「ええと、みなさん、長い間お休みしてすみませんでした。

 やっと元気になりました。

 異世界について、また一緒に学びましょう」


「先生、修学旅行、どうでした?」


 異世界科クラブの一員でもある、小山という小柄な女子生徒が、立ちあがって発言した。


「え、ええ、私、転移酔いにかかってしまって、ずっと寝てたの」


「ええ、うかがっています。

 大変でしたね。

 でも、こう何か印象とかありませんでしたか?」


「異世界の印象かあ……そうだなあ、なんか優しかった」


 リンダの脳裏には、頭に茶色の布を巻いた青年の姿があった。


「優しい?

 もしかして、誰かから優しくされたとか?」


「こら、小山、失礼だぞ!」


 学級委員長の男子が、女子生徒をたしなめる。


「でも、先生、すっごく綺麗になってるもん!」


「ほんとほんと!」

「きっと何かあったのよ!」

「相手は王子様よ!」


「こ、こら!

 みんな、大人をからかわないの!」


「でも、異世界に行ったら痩せられるんですか?」


 これは、ちょっとぽっちゃりした女子生徒からの質問だ。

 

「いえ、その、なんと言えばいいかしら……」


「センセー、怪しー!」

「原田って先輩も、チョー痩せてたよ!」

「異世界に行って――」

「ダイエット?」

「異世界ダイエットよ!」

「「「おー!」」」


 リンダの復帰初日は、こんな感じで始まった。


 ◇


 カフェ『ホワイトローズ』の地下には、二つの会社が入っている。

 その一つである『異世界通信社』は社長含め三人しかいない小さな会社だが、社長室、オフィス、給湯室、大小会議室、客室と、広いスペースを使っている。

 

「後藤、この記事書いたのあなた?

 なに、この締まらない文章?」


 三十になったばかりの若い女性社長、柳井がプリントアウトを手にしている。

 長身のイケメン社員、後藤が横からそれをのぞきこんだ。


「どれどれ……あ、これ、俺じゃありませんよ。

 持ちこみです」


「持ちこみ?

 ウチは持ちこみの原稿なんか受けつけてないわよね」


「それ、シローさんが持ってきたヤツですよ。

 なんでも、異世界科の生徒に書かせたらしいです」


「えっ、そうなの?

 じゃあ、手を加えて記事に載せましょうか」


「社長、さっきとまでとまるで変わってますよ 

 そう言うのを豹変ひょうへんって言うんです」


「失礼ねえ、私、ひょうなんかじゃないわよ」


「ええ、確かに。

 豹というより女豹めひょうですから」


「後藤、あんたねえ……」


 二人がそんなやりとりをしている間に、遠藤がプリントアウトを手に取った。


「異世界ダイエットですか。

 今、世間を騒がせているヤツですね」


「遠藤、その『異世界ダイエット』ってなに?」


「社長、ご存じないんですか?

 今、凄い話題ですよ。

 異世界に行けばダイエットできます、ってやつ」 


「なによそれ!

 都市伝説じゃない!

 ああ、この場合、異世界伝説か。

 私なんか、この前、異世界から帰ってきて体重計見たら……。

 まあ、それはいいわ!

 それより、誰が、そんなこと広めてるの?」


「ネット上に拡散してますから、元ネタがどこかはちょっと……」


「そのうち下火になるでしょうけどね」


 柳井はそんなことを言ったが、彼女の予想に反し、この異世界伝説は世界中のメディアを騒がせることになるのだった。

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