第44話 リンダ先生のお引越し


 異世界科の教師であるリンダは、修学旅行の後、学校を休んでいた。

 アリストに滞在中、食べるものも食べず、鬱々うつうつと過ごしていから、本当に体調を崩してしまったのだ。

 幸い、教員用のアパートに越してきた母親のデボラが、かいがいしく娘の世話を焼いている。


「さっきも、生徒さんたちがお見舞いにきてたよ」


 通学路沿いにあるアパートには、ちょくちょく通学途中の生徒がお見舞いに訪れていた。

 弱っている姿を生徒に見られるのが嫌で、リンダはまだ生徒たちと会っていない。


「うん、分かってる。

 早く元気になりたい」


 二人の間では、ここのところ毎日、そんな会話が交わされていた。

 そんな時、ノックの音が聞こえてきた。


「また、生徒さんかねえ」


 玄関扉を開いたデボラが目にしたのは、彼女を病院から連れだしてくれた青年だった。


「シローさん!」


 ふくよかなデボラが、シローをぽよんとハグする。

 驚いた白猫が、ぴょんと床に跳びおりた。

 やっと抱擁を解いたデボラが、シローを部屋に招きいれる。

 キッチンと二間しかないアパートだ。彼女は、シローをキッチンの椅子に座らせた。

 グラスを三つテーブルの上に置く。それは、この国に来てから彼女のお気に入りとなった、麦茶で満たされていた。

 ジャージ姿のリンダが、寝室から出てくる。


「シローさん、いらっしゃい」


 彼女が恥ずかしそうにしているのは、パジャマ代わりのジャージの上に、カーディガンを羽織っただけという格好だからだろう。


「リンダさん、さあ座って」


 シローは、まるでここが自分の家であるかのように振舞っている。

 彼女が腰を下ろすと、シローが切りだした。


「お国のこと、日本での滞在のこと、手続きは全て済ませました。

 お二人とも、好きなだけこの国にいられますよ」


「シローさん!」

「まあっ!」


 リンダとデボラが、感謝の眼差しをシローに向ける。


「それから、日本での滞在先ですが、林先生のところへ移りませんか?

 実は、俺、先生たちに家をプレゼントしたんですよ。

 林先生、聡子先生が、あなた方のことを受けいれたいということでしたから、別棟べつむねも用意してます。

 ぜひ、引越されされるといいですよ」


「家をプレゼント?

 でも、そこまでしていただいていいんでしょうか?」


 ありふれた反応のデボラだったが、リンダは違った。


「そんなこと、私が所属している組織が許すはずありません」


 彼女の表情は、とても暗かった。組織のことが気がかりなことが、心労の大きな原因だったのだ。


「ははは、その辺は、俺がなんとかするって言ったじゃないですか。

 二日前、サムに会って話はつけときました。

 組織の事は、解決済みですよ」


「サム?」


 リンダは、シローの言っていることがのみこめないようだ。


「サム=トーマス。

 お国の大統領でしょ?」


「「ええっ!?」」


 よほど驚いたのか、デボラなど、手にしたグラスから半分ほど麦茶をこぼしてしまった。


「俺、ハーディ卿と以前から親しくしてもらってて、その関係でサムとも旧知の仲なんですよ」


「ハーディ卿って、あの大富豪のですか!?」


 リンダが目を丸くする。


「ええ、彼には俺がやってる『ポンポコ商会』っていうなんでも屋の顧問をしてもらってます」


「「ええっ!?」」


 二人は驚いたが、さすがに大統領の名前を聞いたときほどではなかった。


「話がそれましたが、とにかく、そっちの問題は全て片づいてます。

 この国での滞在許可証も、新しいものを取得しておきましたよ」


「「シローさん……」」


「とにかく、まず林先生の新居を見にいきませんか?」


「でも、私……」

「私、よそ行きの服がありませんの」


 リンダとデボラが二の足を踏む。


「とにかく、見に行きましょうよ」


 シローが指を鳴らすと、周囲の景色が変わった。

 先ほどまで、寂れたアパートの一室だったのに、おしゃれな調度にあふれた広い空間に変わっている。

 

「こ、ここは?」

「ど、どこですか?」


 腰が抜け倒れそうになった二人は、点魔法に支えられ、不自然な姿勢で静止していた。


「点ちゃん、ありがとう」


『(*'▽') 喜んでー!』


 シローが顔をしかめているのは、相棒が新しい言葉を覚えたからだろう。


「今、頭の中で、声が?」

「ママも聞こえたの?!」


「ああ、『点ちゃん』って言うんです。

 姿は見えませんが、お二人にとって頼もしい味方ですよ」


『(*'▽') こんちはー!』


「こ、こんにちは?」

「はじめまして?」


 戸惑っている二人に、肩の白猫を撫でながらシローが声を掛ける。


「ここと二階が、お二人の住居です。

 トイレ、バス、簡単なキッチンは一階奥についてますが、食事は、なるべく母屋で林先生たちとご一緒なさってください」


「こ、こんな広くて素敵なお部屋、お家賃が払えるかしら?」


 デボラは、その辺のことが気になるらしい。


「家賃はタダですよ。

 電気代、水道代はかかりません。

 まあ、食費程度は、林先生に払ってあげてくださいね」


 シローが窓を開け、外のウッドデッキを見せる。

 そこには、二人掛けの白いロッキングベンチが置いてあった。

 眼下には、こじんまりした田舎町の風景が広がっている。

 

「ほ、本当にここを使ってもいいのかしら?

 それに、林先生たち、新婚でしょ。

 私たちが来たら――」


「リンダさん、あなたがたと一緒に住むのは、林先生の希望でもあるんです。

 遠慮しないでくださいね。

 ここの扉を閉じれば、母屋から独立するようにもできますから」


「……シローさん、なにからなにまで――」


「あっ、デボラさん、お風呂は好きですか?」


「えっ?

 ええ、好きですが、それがなにか?」


「ちょっとこっちへ来てください」


 シローは、母屋への扉を抜け二人を奥へ案内する。

 

「ほら、ここから出ると……」


 裏戸を開くと、竹林を背景に、地面に埋めこまれた、だ円形の青い浴槽が見えた。

 シローが指を鳴らすと、それに満たされたお湯が泡だちはじめた。


「ジャグジーバスになってます。

 ちなみに、お湯も温泉水ですよ」


「きゃっ、シローさん、なにを?」


 リンダが驚いたのは、シローが服を脱ぎはじめたからだ。

 仕方なく彼の肩から飛びおりた白猫ブランが、すごく不満そうな顔をしている。


「あ、俺、下は水着ですから」


 あっという間に、トランクス型の海水パンツだけになったシローが、ジャグーバスに身をひたす。

 呆れたようにそれを見ていたリンダが、思わず尋ねた。


「あのー、ここって林先生のお宅では?」


「いーのいーの。

 お二人は、これからここに住むんだから!」


「いや、でも、シローさんは――」


 続けて何か言いかけたリンダは、シローが指を鳴らすと同時に、ばさりと頭を覆った赤いなにかに戸惑っている。


「それ、リンダ先生の水着。

 サイズは、点ちゃんが合わせておきました。

 色と柄は、好みのものを選んでおきました」


「そ、それはいいけど……あっ、お母さんも?」


 白髪交じりのブロンドに、オレンジ色のワンピースが載っている。


「さあ、さっきの部屋でそれに着替えていらっしゃい」


 リンダとデボラは、のろのろと家の中へ戻っていく。


「ふぁーっ!

 朝のジャグジー露天風呂最高ー!

 やっぱり竹林の香りがいいね~」


 ブランは、お風呂の脇に座り、シローの後頭部を前足でぺしぺし叩いている。

 そんなことを叫んでいるシローに、点ちゃんが突っこむ。


『(・ω・)ノ ご主人様、これがしたくて、リンダ先生の引越し手伝ってません?』


「な、なんのことかな?

 俺は、お風呂の使い方を説明してるだけだよ」


『d(u ω u) だけど、家主の林先生が留守の間にこれは、いくらなんでもやり過ぎですね』


「えっ!?

 い、いや、リンダ先生も、半分家主みないなもんだから、いいかなって――」


『(; ・`д・´)つ いいわけあるかーっ!』

「みーっ!」(あるかーっ!)


 点ちゃんとブランのお叱りの声は、ご満悦のシローに届かなかったようだ。

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