第32話 リンダの苦悩


 異世界科の生徒たちが異世界を満喫した、アリストでの滞在も今日で終わりだ。

 夕方の転移を前に、生徒たちは帰還の準備に忙しかった。

 関係者への挨拶はもちろんだが、買い物をしそこねた者はもう一度街へ出かけていた。

 

 そんな中、ずっと部屋にこもっている者がいた。

 リンダだ。

 スパイであるとバレてから、彼女は部屋から一度も出ていない。

 心労に加え、ここのところ食事が喉を通らなかったことで、生徒が見たとしてもすぐに彼女とは分からないほどやつれていた。

 

「ううう……」


 寝乱れたベッドで寝がえりを打ちながら、うめき声を上げる。

 数えきれないほどついたため息も、今では出なくなっていた。

 そんな時、入り口の扉が開き、五人のメイドが入ってきた。


「あ、あなたたち?」


 聞こえないほど細い声を出したリンダを、年配のメイドが見おろす。


「さあ、みなさん、手はずどおりに」


 彼女が二度手を叩くと、若いメイドたちがリンダがくるまった毛布を彼女から引きはがした。


「きゃっ……」


 小さな悲鳴を上げたリンダを、四人のメイドが抱えあげる。

 弱々しく抵抗するリンダを抱えたメイドたちは、彼女を浴室の浴槽に運びいれた。

 なにが起きたか分からずリンダが戸惑っている間に、メイドたちは彼女の服を全て脱がせた。

 魔道具から注がれた、ぬる目のお湯が浴槽に満ちる頃には、弱りきったリンダの目は、眠気で中ば閉じかけていた。


 メイドたちに全身を磨かれ、洗いたての服を着させられる。

 その服は、アリストの町人が着ているものだった。

 年配のメイドは彼女を頭の先からつま先まで無遠慮に見たあと満足したようにうなずいた。部屋からメイドたちが出ていくと、リンダは再び横になろうと、ふらふらベッドへ近づいた。

 すると、突然目の前に、頭に布を巻き肩に白猫を載せたシローが現われる。


「失礼」


 彼がそれだけ言うと、周囲の風景が変わった。

 シローの姿も消えていた。


「ど、どこ?」


 この世界に転移してから、一度も街に出たことがないリンダには、ここがアリストの街中だと分からない。

 目抜き通りには多くの住民がいたが、なぜか誰一人リンダの方を見なかった。

 体に力が入らない彼女は、急に手を引かれ転びかける。


「ここは、アリストの城下町だ。

 あなたと俺、二人に透明化の魔術を掛けてる。

 俺たちの姿は、人々から見えないんだ」


 見えない青年はリンダを支え、そう話しかけた。   

 

 ◇


「い、いったい、どこへ――」


 手をぐいぐい引かれたリンダは、なかば息を切らせながら尋ねる。


「今は黙ってついてこい」


 シローの答えは、そっけないものだった。

 二人は大通りをしばらく歩き、一軒の店に入った。


「声を立てるなよ」


 リンダの耳元でシローが囁く。

 店は雑貨屋らしく、腰ほどの高さの棚には様々な小間物が並んでいた。

 セーラー服姿の少女が二人、学生服姿の少年が二人、その棚に屈みこんでいた。

 それは、リンダが知っている異世界科の生徒だった。


「ねえ、これがいいんじゃないかしら?」


 白神は色石を繋いだブレスレットを手に取り、他の三人に見せた。  

 

「うーんどうかなあ。

 リンダ先生なら、こっちの方が似合うんじゃない?」


 三宅が手にしているのは、編みひものペンダントだった。光沢がある小豆大の緑石が飾られている。

 

「ボクはこれがイイと思うけど」


 小西が眺めているのは、ケースに並べられた指輪の一つだ。


「いや、恋人に贈るならまだしも、リンダ先生を元気づけようって目的なら、それはどうかと思うぞ」


 長身の大和が、小西の肩越しに指輪を見ている。


「だけど問題は値段なのよねえ」

「「「そうそう」」」


 白神が洩らしたため息混じりの言葉に、他の三人が同意する。


「あー、あんな高いの買うんじゃなかったよ」


 大げさな身振りで嘆いた小西に、白神が突っこむ。


「小西、あんたいったい、なに買ったのよ?」


「そ、それは、……ショートソードだけど」


「はあっ!?

 あんた、馬鹿なの!

 ショートソードって剣でしょ!

 なんでそんなもの買うかなあ!」


 白神は、心の底から呆れたという顔をしている。


「私、観光地のおみやげもの屋に、木刀が売ってるの見て、誰があんなもの買うんだって、ずっと不思議だったんだよね。

 小西みたいなのが買ってたのか。

 まさか、大和君はそんなもの買ってないよね?」


「……そ、それが――」


 三宅の質問に、大和が煮えきらない答えを返した。


「えっ!?

 まさか、買ったの!?」


 三宅が、口をポカンと開けている。

    

「くっ、買いました。

 ロングソードを買いました!」


 やけっぱちな感じで答えた大和は、天井を見あげている。

  

「「男子は、これだから……」」


 声を揃えた白神と三宅が、首を左右に振る。


「い、今はそんなことどうでもいいじゃない!

 みんなから預かったこのお金で、リンダ先生へのプレゼント買わないと」


 小西が広げた手には、硬貨が山盛りになっていた。 


「そういえば、三宅さんって、雀の涙ほどしかお金出さなかったよね」


 小西が先ほどのお返しをする。


「そ、それは――」


「萌子はね、お小遣いあるだけ、素焼きの壺や置物につかったの」


 言いわけしようとした三宅を親友が裏切る。


「ひっ、ひどいよ倫子!

 確かにそうなんだけど――」


「なんだよ、三宅も俺たちと同じじゃねえか」 


「ぐっ……」


 憎からず思っている大和から図星を指され、三宅は言葉を失った。


「とにかく、今はリンダ先生へのプレゼントよ!」


 困りはてた友人に、白神が助け舟を出す。


「リンダ先生、ずっと召喚酔いなんて可哀そう。

 私、先生と一緒に買い物したかったのに……」


 感情豊かな三宅は、もうそれだけで目に涙をためている。


「そうだな。

 みんなの気持ちのこもってるお金だ。

 よく考えて、最高のプレゼントにしようぜ」


 大和の言葉に、三人が深く頷いた。


 ◇


「うああー!」


 リンダが恥も外聞もなく大声で泣きはじめる寸前、また周囲の景色が変わる。

 ただ、彼女はそれにも気づかず、泣きくずれて床にうずくまっている。


「とにかく、落ちついて。

 さあ、ここへ座って」


 すでに透明化の魔術を解いたシローが、リンダを抱えおこし、ソファーに座らせる。

 ここは、シロー邸の離れである『やすらぎの家』一階に設けられたラウンジだ。

 シローがあらかじめ人払いしておいたのか、やや暗い室内には他に誰もおらず、窓から見える神樹にとまった小鳥の声だけが聞こえている。


 カウンターの中に入ったシローは、シェーカーを手際よく振ると、ボナンザリア世界産のフルーツ『マラアク』と地球のジンをつかったカクテルを作った。

 カクテルグラスをリンダが座るテーブルに置く。

 

「俺のオリジナルカクテルなんだ。

 名前は『デカゴリン』

 一口飲んでみてくれ」


 まだ涙を流しているリンダが、魅入られたようにグラスに手を伸ばす。   

 カクテルグラスに口をつけるなり、彼女の泣きはれた目が大きく開かれる。


「……優しい味。

 甘くておいしい」


 シローが満面の笑顔になる。そんな彼の笑顔を初めてみたリンダは、包みこむような暖かさに包まれていた。


「リンダ、あなたはこれからどうしたいだ?」


 長い沈黙の後、ようやくリンダが口を開いた。


「できるなら、ずっとあの子たちの先生でいたい……。

 でも、それは無理なの」


「あなたが言っているのは、母国への責任と、デボラさんのことだね?」


 シローの言葉は、リンダにとって驚愕以外のなにものでもなかった。  


「ど、どうして母さんの事を!?」


「あなたは、政府からの命令で非営利団体の職員となり、そこから日本へ派遣された」 


「……」


 知られるはずがないことを話す青年に、リンダは信じられないという表情をさらしてしまう。それだけでスパイ失格と言われてもしかたがない。


「あなたには、難病で苦しむ母親がいる。

 まだ許可が下りていない、驚くほど高額な治療法を受けるために、あなたはその仕事に自分から就いた。

 違いますか?」


「……なぜ?」


「サムも危ないことをする。

 もし俺がそう判断したなら、彼を含め政府上層部が全て消されるというのにね」


「サ、サム?」


「サム=トーマス。

 あなたの国の大統領だよ」


「……」


「あなたが、あの学校で先生を続けたいなら、俺がなんとかしよう。

 だが、その決断は、自分自身でしてもらう」


「でも、母さんが――」


 リンダの発言をさえぎるように、シローが声を上げた。


「舞子、頼む」


 カウンター奥のパントリーから、聖女舞子に連れられ初老の女性が出てくる。

 それを見たリンダが、テーブルを揺らし立ちあがる。


「母さん!」


 リンダは彼女の目が信じられなかった。なぜなら、目の前にいる母親は、五年前から、たくさんのチューブを繋がれ、ベッドに寝たきりのはずだからだ。 


「リンダ!」


 しっかりした足どりで、駆けよった母親のデボラが娘を抱きしめる。


「全て聞かせてもらったよ。

 私のために、お前……」


「母さん、母さん、あああ……」


 母娘を二人きりにするため、シローは舞子と一緒に席を外し、しばらくたってから戻ってきた。


「聖女様、母を助けてくださり、本当にありがとうございました!」


 デボラから、なぜ病が治ったかその事情を聞いたのだろう、リンダが舞子の手を取り、感謝の気持ちを伝えた。


「お二人とも、いいですか?

 お母様の病気が治ったのは、異世界で特別なポーションを飲んだから。

 舞子の事は、絶対に洩らさないように」


「はい、もちろんです!」

「絶対、秘密にします!」


 実のところ、シローは、彼女たちの記憶から舞子に関する情報を消すことも考えたのだが、それには触れなかった。

 

「リンダさん、先ほどの質問を繰りかえしますが、あなたはこれからどうしたいですか?」


「許されるなら……許されるなら、異世界科の先生でいたい!」


 それは、心の奥から噴きだした血のような叫びだった。 

 

「いいでしょう。

 後は俺に任せてください。

 スパイをしていたことは、生徒たちに伝えないこと。

 これは、そちらの都合ではなく、こちらの都合です」

 

「「……」」


 リンダとデボラはシローにお礼を言おうとしたが、感極まって言葉が出なかった。

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