第23話 異世界ハネムーン(上)


 異世界科の生徒が自由日程を捨ててまで、自分たちが覚醒した職業クラスに取りくむと決めた時、林は教師として嬉しいような寂しいような気持ちを味わっていた。

 生徒たちが自立するということは、彼の手を離れるという事でもあるからだ。


 聡子は、イキイキしている生徒たちを、微笑んで見守っていた。

 林はそんな彼女を見て、自分がなぜ彼女に惹かれたか、改めて気づかされた。   


 そんな二人は、今日一日思わぬ休暇をもらった形となった。

 女王陛下であり、かつての教え子でもある畑山に勧められて街まで来てみたものの、土地勘がないこともあり、二人は、さっきから目抜き通りを右往左往している。

 

「あら、ここって……本屋さんかしら」


 一軒の店先で、聡子が立ちどまる。

 木の棚が並んだ店は、言われてみれば、どこか下町の小さな古本屋を思わせた。


「入ってみようか」


 林はそう言うと、先に立ち店の中へ入った。

 印刷技術と製紙技術の発達していないこの世界では、本が高価だと知っていたのだが、棚に並ぶ本の値段を見た林は驚いてしまった。

 薄い本でも銀貨二十枚、つまり、日本円で二十万円もするのだ。


「シローから聞いてたけど、こりゃ確かに高いなあ!」


 お土産に本を買ってかえるつもりだった林は、値札を見てそれを諦めた。


「こんなことなら、『ポンポコ商会』で、もっと両替しとくんだったなあ」


「見るだけでも楽しいわ」


 聡子は、楽しそうに本を手に取っている。


「これ見て。

 素敵ねえ……」


 彼女が見つけたのは、押し花がそのまま草花の図鑑になっている本だ。

 林が値段を見ると、金貨三枚とある。

 

「おい、そんな本が三百万円もするのか!」


 思わず口走った林を、聡子が咎めるように横目で見る。  


「そんな夢のないこと言わなでください」


「すまんすまん。

 驚きのあまりつい、な」


「お客さん、その本いいだろう?」


 木枠の眼鏡を掛けた、中年の店主が声をかけてくる。

 西部劇の脇役に出てきそうな、味がある顔をしている。


「あら、言葉が分かるわ!」


 聡子が驚いたのは、二人のうち多言語理解の指輪をしているのは林だけだから、今まで街の人から話しかけられても言葉が分からなかったからだ。 


「お客さん、遠くから来たのかね?」


「ええ、別の世界からです」


「言葉には苦労するだろ。

 この街は、英雄の街ってんで、最近観光客が増えてねえ。

 思いきってこれ買ったんだよ」


 店主が手を立てると、その中指に指輪がある。

 林が着けているのと同じ、多言語理解の魔道具だ。 


「ドラゴンの巣に飛びこむ気持ちで買ったんだが、カミさんには、えらく叱られてねえ」


「「はははは」」


 林と聡子は、声を合わせて笑った。


「それより、あんた黒髪だけど、まさかシローさんの関係者かい?」 


「ええ、そうですよ。

 彼は私の元教え子です」


 林が言うと、店主が目を丸くした。


「ええっ!?

 あんた、シローさんの先生かい!」


 それからが大変だった。

 店主が店先に出て大声で叫ぶと、その辺りの店からぞろぞろ人が出てきて、本屋の前に人垣ができた。


「あんたが英雄を教えたのかい?」

「シローさんて、どんな生徒だったんだね?」

「ウチの店にもおいでよ!」


 林と聡子は、引っぱりだこになる。

 二人はいろんな店から野菜や果物、パンなど両手に持ちきれないくらいもらい、よろよろと歩くことになった。

 さすがに見かねた本屋の店主が、荷物を少し持ってくれ、その上、食事処まで案内してくれた。


「おかみさん、この人たち、シローさんの先生だからよろしく頼んだよ」


 本屋の店主は、そう言うと、そそくさと店を出ていった。


「あれあれ、まあまあ、荷物がいっぱいだねえ。

 ほら、ここに置けばいいよ」


 えびす顔の女性が、二人を席に案内する。

 日本の店にくらべると、ずい分暗い店内は、それでも、落ちついた雰囲気だった。

 四つある木の丸テーブルは、その一つに五人の若い男女が座っていたが、二人の方をチラリと見ただけで、すぐ食事に戻った。

  

「カラス亭へようこそ。

 シローの先生なんだって。

 あの子にはずい分世話になっててねえ」


 そこまで言うと、彼女は店の奥へ声をかける。


「あんたー、ちょっと出てきな!

 シローの先生様だよ」


 背は低いが、ガッチリした男性が出てくる。


「英雄に向かって先生様はねえだろう。

 あれ?

 で、シロー先生はどこだい?」


「やだねえ、あんたは。

 この人たちが、シローの先生だよ」

 

「なんでえ、そういう意味だったのかい。

 ウチのがすみませんねえ」


「あんたが『すみません』だよ、まったく。

 さっさと挨拶しな!」


「お、そうか。

 コイツの亭主でさあ。

 以後、ごひいきに」


「全く愛想がないねえ、この人は。

 とにかく、シローの先生なら、しっかりご馳走させてもらうよ。

 さあ、あんたはさっさと料理作んな!」


 ごつい男性は、早足に奥へと消えた。


「お二人も、多言語理解の指輪をされてるんですね」


 おかみと亭主のやりとりに、心温まった聡子が、朗らかに話しかける。


「そうなんだよ!

 いいだろ、これ!

 あたいの誕生日に、シローからもらったんだよ。

 余計な事に、あの人にまでもらっちゃってねえ」


 小太りのおかみさんが、まるで少女のようにくるりと回ると、ぷくぷくした指にはまった指輪をさも誇らしげに見せた。

 

「まあ、素敵ですね!」


 聡子が指輪をほめる。


「だろう、シローは、顔に似合わず気が利くからねえ」


「あはははは!」


 おかみさんの言葉は、林の笑いのツボを押したようだ。

 彼女が店の奥にひっこむと、林と聡子は顔を見合わせた。


「シローのヤツ、この環境なら心配いらないな」


「ええ、彼、みんなに好かれてるみたいね」


 二人がそんなことを話していると、おかみさんが最初のお皿を持ってくる。


「さあさ、ハーフラビットのスープだよ」

 

 熱々の白いスープは、柔らかく煮てある肉が優しい風味を引きだしている。


「美味しい!」


 聡子が木のスプーンで一口食べると、思わず声を上げる。 


「だろう?

 これ、メルちゃんの好物なんだ。

 新鮮なハーフラビットがないと作れないから、あんたたちツいてたよ」


 それからは、出てくるわ出てくるわ。二人のテーブルは、様々な料理が盛りつけられた皿でいっぱいになってしまった。


「あ、あなた、お金は足りるかしら……」


 聡子が不安そうな顔になる。


「だ、大丈夫だと思うよ」


 林も、目の前の料理を見て顔色が変わりかけている。


「お、おかみさん、これ、全部でいくらでしょうか?」


 大きなステーキが載った皿を追加しようとしたおかみさんに林が尋ねる。


「そうさね、銀貨一枚ほどもらおうかい」


 そうなると、これだけの料理で一万円程度でしかない。どうみても赤字だろう。


「もう、お腹いっぱいです。

 お茶を頂けますか?」


「ははは、しけたこと言うんじゃないよ。

 とっておきの酒があるから、それ飲んでみな」


 やがて林と聡子の前に、この世界では珍しい、ごく小さなカットグラスが現われる。

 それには、黄金色の酒が満たされていた。

 一口飲んだ林が驚く。


「なっ、これってもしかすると、『フェアリスの涙』ですか!?」


「おや、先生、ご存じかね?」


「な、なんなのこのお酒!

 口の中にお花が咲いたみたい!」


 聡子の口から出た、少女のようなたとえを聞き、おかみさんが笑顔になった。


「ははは、味が分かる人に飲んでもらえて、この酒も幸せだねえ」


「あなた、このお酒はいったい?」


「前に話したことがあるだろう。

 エルファリアという世界に住む、妖精族が作る幻のお酒だよ」


「ええっ!」


 彼らが飲んだだけでも、金貨一枚、つまり日本円で百万円はするだろう。


「ははは、お二人はシローの先生なんだろう?

 このくらいの事で驚いてちゃいけないよ。

 後は二人でゆっくりやんな」


 おかみさんは、いい笑顔を浮かべ、奥へ姿を消した。


「「……」」


 林と聡子は、しばらく無言だったが、やがてそれぞれグラスを手にすると、チンとそれを合わせた。


「「素敵な出会いに乾杯!」」

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