第10話 出発の日
異世界への出発当日は、あいにくの小雨模様だった。
異世界科二年生、三十名余りと、付きそいの教師三人、そして『プリンスの騎士』五人は、高校がある街の郊外に建つ、シローの家に来ている。
家主が『地球の家』と名づけたその家は、一辺が五十メートルもある巨大なものだ。
周囲に比較する人家が無いから、それほど大きくは見えないが、以前その中を案内されたことがある二年生の生徒たちは、その広さを知っていた。
四十人近い人数が入っても余裕あるリビングは、落ちついた色の家具が並べられていた。
「ちょっと、なんなのこのソファー!」
遠慮も見せず、さっそくソファーに座った白神倫子が声を上げる。
「どれどれ……なんなのこれ?!
ふっかふか~」
白神の隣に腰掛けた少女
「ねえ、萌子、どうフカフカなの?」
横に立つ友人からそんな声を掛けられても、三宅は、ぼうっとした表情でソファーに身を鎮めたままだ。
「いいソファーって、座るだけで快感なのねえ」
三宅はそんなことをつぶやいている。
「この絨毯なんだろう。
すっごく座り心地がいいぞ」
膝を抱え床に座った小西が、そんなことを言っている。
ソファーを女子に占拠された男子は、床に敷かれた絨毯に座っている者が多い。
やがて、引率役である林と彼の妻、そしてリンダがリビングに入ってきた。
「みんな、準備はいいか?」
林の言葉に生徒たちが立ちあがるが、三宅だけはまだソファーで夢心地だ。
「先生、一年生はどうしたんです?」
小西が尋ねる。
「ああ、あいつらなら、先に中庭へ出て待ってるぞ」
異世界科の一年生は、二年生の二倍以上、八十人近くいる。
まだ、異世界への転移を見たことがない彼らは、授業の一環としてそれを見学にきているのだ。
「さて、じゃあ、忘れものがないよう確認してから中庭に出ろよ」
「林先生、大きな荷物は、全部さっきシローさんに預けちゃいましたけど」
「ああ、そうだったな。
じゃあ、手荷物を忘れるな」
「「「はい!」」」
生徒たちは、自分の手荷物を確認している。
「おい、誰か、そこのふにゃらけてる三宅を起こしてやれ。
では、中庭に集合!」
林の掛け声で、生徒たちがぞろぞろ部屋から出ていく。
この大きな家は、「ロ」の字型をしている。建物に囲われた中庭が異世界への出発地点だ。
◇
芝生が生えた中庭は、小さな公園ほどの広さがあった。
その中央辺りに、かなり背の高い木が生えているが、ガラスのような幹と枝を見ると、明らかに地球の植物ではなかった。
木は万華鏡のように、刻々とその色彩を変え輝いている。
建物の内側に沿って等間隔に並んでいる、異世界科一年生の生徒たちは、初めて目にする異世界の植物、その美しさと威厳に言葉を失っている。
それはそうだろう。この木はただ異世界のものというだけでなく、神樹でもあるのだから。
光る神樹から少し離れた所に林が立ち、手を挙げた。
不思議な事に、この中庭だけは雨が降っていなかった。
「異世界科の二年生は、この辺りに集れ」
さすがに緊張した面持ちの生徒たちが、林をとり囲む。
彼の妻
タイミングを見はからったように、中庭への扉を開け五人の『騎士』、そして、肩に白い子猫を乗せたシローが出てくる。
彼の後ろには、小柄な老人と二人の黒服が続いた。
老人と二人の黒服は、一年生が並ぶ壁際に立った。
生徒たちが拍手する中、白神が小西に話しかけた。
「ねえ、あのお爺さん、どこかで見たことない?」
「白神さんって、異世界のこと以外、ホント興味ないよね。
あれ、首相でしょ」
「シュショーってなに?」
「首相は首相だよ、総理大臣」
「げっ!」
「あのねえ、女子高生が、『げっ!』なんて言わない方がいいよ」
「だ、だって驚くでしょ、普通」
「いや、そうでもないんじゃない?
君自身言ってたじゃない。
シローさんが開いたパーティに、アメリカ大統領とあの首相が来たって」
「……そう言えば、そうだった」
「しっかりしてよ。
ウチのクラスで、君ほど異世界に詳しい人いないんだから」
「そ、そうだね。
任せといて」
シローが話しだすと、生徒たちのおしゃべりがピタリと止んだ。
「異世界科のみなさん、いよいよこの時が来ました。
みなさんの情熱が、この修学旅行を実現させた。
そのことを忘れないでください。
異世界では、見るもの聞くもの、全て新しいと思います。
すでに伝えた注意を守り、この旅行を楽しんでください」
異世界科二年生はもちろん、一年生からも拍手があった。
「では、出発します」
離れて見ている一年生何人かは、シローの額中央が金色に輝くのを見た。
二年生が立つ辺りに黒い
それをよく見ようと前に出た一年生の男子が、見えない壁にぶつかり尻もちをついた。
黒い靄が晴れると、異世界科二年生、引率の教師三人、『騎士』五人、そしてシローの姿は消えていた。
先ほどまでピタリと止んでいた雨が、また降りだす。
しばらくの間、雨音だけに包まれた中庭だが、首相が拍手を始めると、それが見送りの生徒、教師に伝わり、四方を壁に囲まれた空間に大きく響いた。
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