第2話 異世界科の特別授業
ここは、中国地方にある山間の小さな街。
特に目立った産業もないこの街は、しかし、世界中で知らぬ者がないほど有名になってしまった。
『初めの四人』
ここから異世界へ迷いこみ、そして、生還した四人の若者が、そう呼ばれ一躍脚光を浴びたからだ。
彼らが転移するきっかけとなった、異世界への扉『ポータル』が開いた場所は、世界遺産となった。
その場所とは、四人が通っていた高校の教室だ。
今、その教室の中には、大勢の生徒がいた。
「おい、田中!
その線より前に出るなと言っただろうが。
こら、お前らも線を踏んでるぞ!」
うんざりした顔で生徒を叱っているのは、この学校の教師、林である。
「林先生、ポータルが開いたのはどこですか?」
髪を肩で切りそろえた少女が、林に詰めよる。
「白神、ちょっと離れろ!
今から説明してやるから」
生徒たちは、教室の中ほど、黒板と平行に引かれた白い線より後ろに座っている。
教室にあった机は全て運びだされ、木を貼った床だけになっている。
本来この教室への入室は許されないのだが、林が政府筋へ手を回し、特別にそれが許可された。
「えー、異世界科実習の特別授業を始めるぞ。
お前らが知ってる通り、この教室は世界遺産に登録されている。
理由も知ってるな?
この教室から、お前たちの先輩、『初めの四人』が異世界転移したからだ」
「知ってまーす!」
「加藤、畑山、渡辺、シロー先輩ですよね!」
「黒板すげえ!」
生徒たちは目を輝かせ、教室前の黒板に見入っている。そこには、研究者たちが調査した際に書きのこした、数字や線が無数にあった。
幾重にも重なる文字や線で、黒板は深緑色の地板がほとんど見えないほどだ。
「おい、上原!
黒板は凄くないぞ。
それより、黒板をよく見てみろ。
何かに気づかないか?」
「あそこ、円ですか?」
小柄な男子生徒が、黒板のまん中辺りを指さす。
言われてみれば、確かに、重なる線や文字から円の形が浮かびあがってくる。
「さすが『異世界クラブ』部長だな、小西。
あの円は、ポータルの最大径を表している」
「林先生、最大径ってなんですか?」
間髪入れず、小西少年が尋ねる
「ポータルはな、最初あの円の中心辺りに現れた、小さな穴のようなものだったそうだ。
それが次第に大きくなり、あの円のサイズになったということだ」
「先生、それって、もしかして、『初めの四人』から聞いたんですか?」
「ああ、その通りだ。
ポータルが開いた位置の特定だが、学者がいくら調べても分からなくてな。
結局、シローがこっちに来た時、教えてもらったんだ」
「凄え!」
「かっこいい!」
「シロー先輩、マジぱねえ!」
「これ!
言葉づかいに気をつけなさい」
それまで黙って教室の後ろで授業を見守っていた、校長からツッコミが入る。
長く国語教師として働いた彼には、生徒たちの俗語が聞きずてならなかったのだろう。
「先生、ポータルって、他の場所にも開いた事があるんですか?」
長身の少年が、低く太い声でそう尋ねた。
「
ああ、日本でも、北海道で開いたことがあるのは間違いない」
「へえ、そっちは誰か見てたんですね?」
「いや、山の中だったそうだ」
「なんで誰も見ていないのにそんなことが分かるんです?」
「シローが、『学園都市世界』で、そこから転移した人物に会ったんだ」
「凄い!
誰なんです?」
「本名は明かせないが、現地では『ダン』と名乗る人物だ」
最初に林に詰めよった女子生徒が、再び彼に近づこうとする。
小西少年がその肩を掴んで止めた。
白神は、林へ近よるのは諦めたようだが、期待を込めた声でこう言った。
「じゃあ、また日本のどこかでポータルが開く可能性がありますね?!」
「あ、ああ、そうかもしれんが……白神、お前、まさかポータルに入るつもりじゃなかろうな?」
「当然です!」
「当然と言うのはどっちだ?
入るつもりがあるのか、無いのか?」
「ポータルが開いたら、入るに決まってるじゃないですか!」
興奮した少女がぴょんと跳びあがったので、彼女の肩を押さえていた小西の手は外れた。
「まあ、異世界に興味がある、お前がそう思うのも無理はない。
だがな、もしポータルが開いても、お前らはそれに入っちゃいかん」
「な、なんでっ!?」
興奮した白神は、敬語をつかうことさえ忘れている。
「『人気のない森の中、物音ひとつしない。自分がどこにいるかも、家族に再び会えるかどうかも分からない。お金もない、靴も無い、食べ物も水も無い。あなたには、それが想像できる?』」
「せ、先生、それは――」
「これはな、『初めの四人』の一人、渡辺の言葉だ」
ざわついていた教室は、急に静かになった。
教室の後ろで校長が授業計画の書かれた紙をめくる、カサカサいう音だけが聞こえる。
「渡辺先輩がそんなことを……」
白神は知らなかったが、奇しくも、それは彼女の兄がかつて渡辺舞子から投げかけられた言葉だった。
「お前らは、『初めの四人』について、華やかなイメージだけ持っているだろう。
まあ、『勇者』『聖騎士』『聖女』、それに『英雄』とくりゃあ、それも仕方ないがな。
あいつらが、どんな苦労をしたか……」
そこで、林は言葉を止めた。
なぜなら、生徒たちが、異様にキラキラした目で彼を見つめているからだ。
生徒たちを代表して、小西少年が質問する。
「先生!
加藤先輩が『勇者』、畑山先輩が『聖騎士』、渡辺先輩が『聖女』ですよね。
三人が覚醒した
シロー先輩の職業ですか?」
林は、自分の失言を後悔していた。
このままだと、生徒たちが次にシローと会う時、彼のことを『英雄』と呼びかねない。
『騎士』たちからの情報だと、シローがそう呼ばれるのを極端に嫌っているとの事だから、なんとかそれだけは阻止しなければならない。
「ああ、俺の言いまちがいだ。
気にするな」
「先生、嘘ですね。
先生って嘘つく時、ネクタイに触りますから」
めったに口を開かない女子生徒、前田が、伸ばした前髪の隙間から上目づかいに林を見た。
「な、なんでお前はそれを!?」
「……」
モジモジする前田の耳が赤くなる。
「やっぱり、シローさんって『英雄』って呼ばれてるんですね。
これは聞きのがせません!
そう呼ばれるからには、理由があるはずです!
さあ、先生、吐いてもらいますよ!」
目を吊りあげ、林に近づく白神。
「君、言葉づかいが――」
見かねた校長が割りこもうとしたが、林をとり囲んだ生徒たちは、まさに鉄壁で、それに弾かれた彼はドスンと床に尻もちをついてしまった。
生徒たちは誰もそちらなど見ていないから、当然、助けようともしない。
「た、助け――」
林がそう言いかけた時、突然、彼の姿が消えた。
生徒たちは、林がいた場所をとり囲んだまま、呆然としている。
やがて、倒れている校長に気づいた大和が、彼を抱きおこす。
「瞬間移動!」
「瞬間移動よ!」
「凄え!」
「あっ!」
小西の叫びで、みんなが彼に注目する。
「小西君、どうしたの?」
「白神さん、先生が瞬間移動したってことは――」
「シロー先輩がこの世界に帰ってきてる!」
白神の言葉は、生徒たちの興奮を再燃させた。
「ナルちゃん、メルちゃんも来てるかな!?」
「コリーダさんのナマ歌、聞きたいー!」
「コルナさんの猫耳ー!」
「ルルさん、最高ー!」
跳びはねる生徒に突きとばされ、校長が再び床に倒れる。
「は、林君!」
校長が助けを求めた人物は、すでにその場にいない。
生徒たちの大騒ぎは、それを聞きつけた教頭が駆けこんでくるまで続くのだった。
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