第89話 アジト潜入


 ティーヤム王国でのクーデターが失敗してから、反国王派の下級貴族ケロベスには、それこそ坂道を転げ落ちるように不幸が続いた。

 反国王派側であると知りながら彼と付きあっていたフィアンセは、あっさり彼を捨て、国王派の子爵と結婚した。

 落ちこんだ彼を慰めてくれた女性は、万一に備え彼が蓄えていた宝石を盗み姿を消した。

 似たような境遇の者が集まり、再起を図ろうとしたが、彼が親友だと思っていた仲間の裏切りで、王都から逃げだし森に潜むことになった。 


 幸か不幸か、彼らには強力な魔道武器が残されていた。そのため、それを有効に使い、再起を図ろうという者も少なくなかった。

 今は魔獣を追いはらうぐらいしか役立っていないが、強力な結界を張る防御型の魔道兵器、城壁など簡単に貫く攻撃型の魔道兵器、いずれも国家間の戦争に備えて配備されたものだ。

 クーデターのどさくさで手に入れたこれらの兵器を使えば、王城を落とし、再び表舞台に上がれるはずだ。

 ここに集まった者は、そんなかすかな望みに賭けて毎日を送っていた。


 ケロベスは、そんな仲間を冷やかな目で観察していた。

 ティーヤム王国の現体制は、王城が落ちたくらいで揺らぐものではない。

 国民は、城と言う建物ではなく、王家を支持しているのだから。

 ルナーリア姫の生誕祭で、民衆が熱狂した光景は忘れることができない。

 仲間の企みなど、はなから意味がないことなのだ。

 だが、父親がクーデターに参加し、すでに獄中にある彼には、反政府軍に加わるより他に選択肢がなかった。


「ふう、そろそろ交代の時間か」


 森の中で目立ちにくい迷彩色のローブを着て、大木に寄り掛かっていた彼は、見張りを他の者と交代するため、アジトの方へ歩きだした。

 

「こんにちは」


 背後からそんな声が聞こえ、ギョッとして振りかえる。さっきまで彼がいた大木の横に、一人の青年が立っている。

 冒険者が着るような服装の青年は、頭に茶色の布を巻いていた。 

 

「だ、だれだ!」


 ケロベスは、腰のワンドを抜き構える。

 凶悪な魔獣が棲む森にいるのに、武器も荷物も持たず、くつろいだ様子の青年は、どう考えても普通ではなかった。 


「ええと、あなた、反政府組織の人?」


「キ、キサマっ、何者だ!」


 ワンドを構え、火魔術を唱えようとしたケロベスは、しかし、急な眠気に襲われ、その場に倒れた。


「さてと、じゃあ、やりますか」


 頭に布を巻いた青年がそう言うと、彼の体が一瞬光った。

 光が消えると、そこに全裸のケロベスが立っていた。


「失礼するよ。

 服は後で返すから」


 全裸のケロベスは、その声まで本物とそっくりだった。

 彼は倒れたケロベスの服を脱がせ、それを身に着けた。

 偽のケロベスが最後に緑のローブを羽織ったとたん、不思議な事に、本物のケロベスは、幻のように姿が消えた。


「点ちゃん、こいつらのアジトはどっち?」


 本物と入れかわった偽のケロベスがそうつぶやいた。


 ◇


 アジトの外縁で見張りをしていた男、タラムは、仲間が近づいてくるのを見て、手を挙げた。

 風に舞った木の葉が、タラムの近くで奇妙な動きを見せた。

 まるでそこに見えない壁があるかのようだった。


「おう、ケロベス、そろそろ交代の時間か」


 緑のローブを着たタラムは、結界の外へ向け、そう話しかけたが、張られている結界は音を通さないタイプのため、ケロベスから見ると、彼がぱくぱく口を動かしているようにしか見えなかった。

 

 結界は、一日のうち三度、決まった時刻に解除される。

 その時、結界の外縁部に三か所設けられた待機所で、見張り役が交代するのだ。

 

 ブーン


 太い弦が震えるような音がして、アジトから外向きの風が吹いた。

 結界が消えたのだ。

   

 ケロベスとタラムが、すれ違う。

 タラムは一瞬、おやっと思った。

 いつもは、冷たい表情で、こちらに目も向けないケロベスが、今日に限ってにこやかに微笑みかけてきたからだ。


 もしかすると、外で何かいい事でもあったのかもしれない。

 タラムはそう思ったが、結界の外には森が広がるだけだ。

 振りかえってみると、ケロベスの姿は、すでに木立の中へと消えていた。


 ブーン


 まもなく、目に見えない結界が、再びアジトと外界を隔てた。


 ◇ 


 俺は木立を抜け、反政府組織のアジトに侵入した。 

 アジトは、意外なほど立派だった。

 まあ、立派と言っても、ログハウスが十五、六棟ほど建っているだけなんだけどね。

 倉庫に使っているのか、他にも木を斜めに組みあわせただけの小屋が何棟かあった。


 ログハウスは二棟を中心にそれをとり巻くように建っており、中心にある建物は、どちらも他より背が低く、壁には緑色の布が張られていた。二つの建物の周囲には、ニ三人ずつ人が立っている。

 きっと、あそこに魔道兵器があるに違いない。

 見張りは、見えない側にもいるだろうから、四、五人ずつというところかな。

 

「ケロベス様、お帰りなさい」


 声をかけてきたのは、くすんだ緑いろのローブを羽織った、背が低い、ずんぐりした女性だった。

 丸顔で鼻が低いその顔は、決して美人とはいえないが、純朴な人柄がにじみ出ていた。

 どうしよう、困ったな。


「ただいま」


 とりあえず、そう言っておく。


「お食事の用意ができています」


「ああ、ありがとう」


「あの、どうかなさいましたか?」


 女性が、上目づかいにこちらを見る。

 姿と声は完璧なはずだけど、もしかして疑われてる?

 

「お腹が減ってね」


「えっ?

 そうですか」


 女性が黙ったまま動かない。

 そのため、こちらも動けない。

 なぜなら、どの建物に行けばいいかすら分からないからね。


「どうなさいましたか?」


「一緒に食べないか?」


「ええっ!?」


 大きく見開かれた女性の目には、驚きの色が見てとれた。


「そ、そんな、わたしなど……」


 ふっくらした頬を赤いリンゴのように染めた女性は、両手をローブの前で重ね、もじもじしている。

 この女の人、俺が化けた人物のことが好きなのかもね。

  

『(@ω@) えっ、ご主人様、そんなことに気づけたの?』 

 

 いや、いくら俺が朴念仁と言ってもねえ、この人、ミエミエじゃない?


『d(u ω u) そのスキルをルルさんたちにも使ってあげませんか?』


 も、申し訳ありません。

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