第72話 恋の病(上) 


 一週間後に『結び世界』を離れるという日、俺はある遺跡に呼びだされていた。

 この遺跡は、かつて『田園都市世界』からこの世界へやってきた時、地下のポータルから出てきた場所だ。

 人々が『黒い悪魔の遺跡』と呼び、恐れている場所でもある。

 以前ここで会った人物に、今日は呼びだされたのだ。

 ヴァルム大尉だ。ああ、最近昇進したそうで、ヴァルム少佐と呼ぶべきだった。


 兵士と言うより、フィールドワークに携わる研究者といった風貌の彼は、緑の軍服を着て、俺を待っていた。

 公式の場ではすでに着られなくなった緑の軍服だが、『結びの国』としての制服はまだ数が揃わないため、公務外ではこれを着ている者が多い。


「シロー殿、今日はわざわざ来ていただいてありがとうございます」


「いや、二人だけだし、そんなにかしこまらなくてもいいよ。

 それより用件は何ですか?」


「あの、そのー、個人的な事で申し訳ないのですが、シローさんは治癒魔術にも通じていらっしゃいましたよね?」


「ええ、まあ、友人ほどではないけどね……」


 舞子の笑顔が思いうかび、なぜだかどぎまぎしてしまう。


「実は、ここのところ不思議な症状に悩まされてまして」  


「どんな症状です?」


「こう、胸の辺りがきゅうっと締めつけられるんです」


「心臓の病気かもしれませんね。

 医師には診てもらいましたか?」 


「ええ、心臓には何の問題もないと言われました」


「なにか原因は思いあたりませんか?」


「それが、なぜかモラー少佐が近くにいる時に、症状が出るようなんです」


 それを聞いてピンと来た。


「例えば、彼女が近くに来た時とか、目を合わせた時、言葉を交わした時とかですね?」


 図星なのだろう、ヴァルムが驚いている。


「いったいどうしてそれを!?

 ご存じの病気なんですか?」


 ええ、知ってますとも。恋の病ですね。

 けれど、リア充を甘やかす俺ではない。


「ええ、知っています。

 かなり危険な病気です」


 わざと深刻な表情を作っておく。


「ええっ!?」


「それは『キューピッド病』という病気で、放っておくと命に関わります」


「ええっ!

 なんてことだ!

 そ、その『キューピッド病』とか言う病気は、治癒魔術で治らないんですか?」


「残念ながら……お気の毒です」


「そ、そんな……」


「待てよ、そういえば、どこかの世界で、特効薬が見つかったと聞いた覚えがあるぞ」


「お、教えてください!

 どんな薬です?」


「そのためには、その病気に対する免疫を持った人を見つける必要があるそうです」


「どうやって?」


「病気にかかった者が、免疫の保持者に近づくと、顔が赤くなったり、胸が苦しくなったりするそうです」 


「えっ!?

 ということは、モラー少佐が免疫を持ってるってことですか!?」


「そうなりますね」


『( ̄▽ ̄) ご主人様が悪い顔ー!』


 点ちゃん、静かに!


 点ちゃんとの念話は、ヴァルムに聞こえていないようだ。


「ふう、助かった……。

 で、免疫の保持者を見つけたらどうすればいいのです?」


「呼吸を交換すればいいんです」


「呼吸を交換?」


「簡単に言えば、口と口をくっつければいいんですよ。

 軍隊で緊急の場合にそうするって習いませんでしたか?」


「あっ、そう言えば習いました!

 あんなことでいいんですか?」


「そう、それが一番効果があります。

 ただ、末期症状になると、それも効きません。

 大事なのは、一刻も早く呼吸を交換することです」


「シロー殿、ありがとう!

 これで命が救われました!」


 ヴァルム少佐は、俺の右手を両手でがっと掴むと、それに彼の額をつけた。


「このご恩は、一生忘れません!」


 そう言うと、ヴァルムは凄い勢いで石造りの遺跡から駆けさった。


 ◇ 

 

 こちらは『結びの家』に併設されたカフェの外。


「ルルさん、ちょっとよろしいでしょうか?」


 カフェに入ろうとすると、ウッドデッキに置かれたテーブルに座る女性から呼びとめられました。

 声をかけてきた、右目に赤い眼帯を着け赤い軍服を着た女性は、確か政府高官のはずです。

 彼女の右頬に残る古傷が、軍服が伊達ではないと教えてくれます。


「はい、なんでしょう?」


 私は彼女のテーブルの横に立ちました。

 シローが、『オープンカフェ』と呼んでいるスペースです。

 カフェでマイコ、コルナ、コリーダと待ちあわせていますが、目と鼻の先ですし、少しの間ならいいでしょう。


「どうか、お座りください。

 わたくし、モラーと言います。

 階級は少佐です。

 シロー殿には、『解放』の時からよくしてもらっています」


 この方、「よくしてもらって」と言いましたけど、いったいシローに何をしてもらったのかしら?


「実は、お尋ねしたいことがありまして……」


 椅子に座った私に向けられた、モラー少佐の左目は真剣そのものでした。


「何でしょう?」


「実は、ちかごろ気になる症状が出ていまして」


「どんな症状ですか?」


「それが、時々胸が苦しくなったり、顔が熱くなったりするんです。

 医師に相談してみたんですが、その原因が分からなくて」


「それは大変ですね。

 ちょっとここでお待ちください」


 私はカフェに駆けこむと、すでにテーブルでコルナ、コリーダと一緒にティータイムを楽しんでいた、マイコに声を掛けた。

 彼女はすぐに外へ出てきて、不安そうに座るモラー少佐の隣に腰を下ろした。


「マイコは治癒魔術の専門家です。

 彼女なら原因が分かるかもしれません」


「よろしくお願いします」


 少佐がマイコに頭を下げる。


「え、ええ、私でよければ」


 マイコは、モラーさんの胸から頭にかけて綺麗な右手をかざしてから、首を左右に振りました。


「特に悪い所は見つかりません。

 気になる症状はありませんか?」


「あります。

 なぜか、ヴァルム大尉、いえ、ヴァルム少佐が側にいると症状が出るんです」


「「……」」


 マイコと私が顔を見合わせました。二人とも彼女の病気が何か分かったようです。  


「モラーさん、それは病気じゃ――」


 私が症状の原因を話そうとしたとき、まっ青な顔をした男性が駆けてきて、ウッドデッキに跳びのりました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る