第61話 猫とカニ


 ミミとポルは慎重に森の中を進んでいた。

 昨夜、新型テントでぐっすり眠ったため、気力は充実している。


 何かが立てる音がするたび、ミミとポルの三角耳が同時にピクリと動き、獣人の優れた感覚で対象が何か確認していく。

 今のところ、確認できたのは無害な小動物だけだった。


「あっ、海よ!」


 ややまばらになった木立の向こうに岩場があり、その向こうに水平線が見えた。

 朝の光に輝く海は、かつて見ない色をしていた。

 青というより白に近い。


 木々の間から岩場に出たミミは、手のひらを額にかざし、広がる海を眺めた。


「リーダーが言ってた通りなら、ここの海は泳ぐなんてできないわね」


「ミミ、そんなこと考えてたの?

 それより、あそこの突きだした岬がここだから、目的地は左だね。

 海沿いに進むのが早いかも」

 

 ポルは手にした地図で、現在地を確認する。

 海からの風で、それがぱたぱたはためいた。


「魚釣りもできないなんて、海らしくないわね!」


 せっかく海があるのにそこで獲れる幸を味わえないのが、ミミには残念なのだろう。 

 

「何かカニっぽいものはいるみたい」


 ポルが指さしたのは、岩場の上をゆっくり横歩きするカニに似た生きものだった。 


「危ないっ!」


 ポルの声がしたとき、すでにミミの手がカニ型生物を摘まみあげていた。


「ミミっ!

 海の生物は、どんな危険があるか分からないから気をつけろってリーダーから言われてたでしょ!」 


「だけど、ただの小さなカニだよ」


 ミミの人差し指と親指の間で、小さな黒いカニは節がある足を縮め、球形になっている。

 彼女はそれを手のひらでコロコロ転がした。


「なんか、可愛い……熱っ!」


 ミミの手から球形になったカニが落ちる。


「熱っ、痛っ!」


 うずくまったミミが、左手首を右手で握り、顔をしかめている。

 ポルが見ると、ミミの手が赤くただれたようになっている。


「馬鹿ッ!

 じっとして!」


 彼は腰のポーチから白い容器を出すと、その蓋を開け白い軟膏を人差し指ですくい、それをミミの手に塗った。

 これは、こういった時のため、シローから持たされていた薬だった。


「痛い~!」


 ミミは涙を流している。

 ただ、軟膏が効いたのか、すぐに痛みは和らいだようだ。


「もうっ!

 なんなの!」


「きっとカニが毒液を吐いたんでしょ。

 君が不用意に触るからだよ。

 朝のこと、もう忘れたの!?」


 ぺたりと寝た耳と、しなりと垂れた尻尾しっぽがミミの気持ちを表していた。

 彼女が反省していると見たのか、ポルは黙って手際よく彼女の手に包帯を巻く。


「ありがとう」


 ミミが珍しくお礼を言った。海風でふき消されるほど小さな声だったけれど。


「じゃ、行くよ」


 ポルがミミの包帯をしていない方の手を取り彼女を立たせると、二人は岩場を歩きはじめた。


 ◇


「この辺りから森に入れば、目的地まではすぐだよ」


 地図で位置を確認していたポルが顔を上げると、ミミは岩場から灰色の砂浜に降りていた。


「ミミ!

 一人で先走らないの!」


 ミミは砂浜にある丸石を拾うと、それを海の方へ投げている。


「何やってるの!」


「カニがいるのよ!」


 ミミの言葉でポルが海の方を見ると、波打ち際にカニがいる。

 白っぽい波に洗われている黒いカニは、やけに目立った。


「放っておきなよ!」


「でも、アイツの仲間が、私の手をこんなにしたんだから!

 えい!

 えい!」


 ゆっくり動いているカニに、ミミが投げた石が当たる。

 それは爪を振りあげ、意外な速さで向かってきた。

 

「ミミ、逃げて!」


 ポルが叫んだのは、近づいてきたカニが意外に大きかったからだ。

 一抱えはありそうなカニが、ミミに迫る。


 キチキチキチ


 そんな音を立てるカニの口からは、虹色の泡がぶくぶく出ていた。

 ミミは短剣を抜くと、砂地という悪い足場をものともせず、カニからの爪攻撃をかわしながら切りつけている。

 ところが、カニの甲羅は異様に硬いらしく、刃が当たると火花が散っている。   

 それでも、何度も切りつけると、少しずつカニの動きが鈍くなってきた。


 キチキチキチ


 やたらと大きな音を立てると、黒いカニは足を体に引きつけ丸まってしまった。


「はあ、はあ、どう?

 ミミ様にケガをさせたお返しよ!」


 カニの背中側に回りこんだミミが、その甲羅をガシガシと蹴っている。


「ミミ、カニさんをいじめないの!」


 そんなポルの声も聞こえていないようだ。


「えい、えい、どうだ、どうだ!」


 散々蹴った後、やっと満足したのか、ミミがカニから離れた。


「はあ、はあ、今日はこのくらいでカンベンしたげるわ!」


「ミミ、柄の悪いおじさんみたいだよ」


 近づいてきたミミに、ポルが呆れ顔で言った。


「誰がおじさんですって!」


 そんなやりとりをしている二人は、命の危険がすぐ側まで迫っていることに気づけない。


 キチキチキチーッ!


 やけに大きな音がして、二人はやっと振りむいた。     

 

「う、嘘でしょ!」

「ひいっ、な、なにっ!?」


 ミミとポルの悲鳴じみた叫び声が上がる。

 先ほどミミが戦っていたカニの向こう、海からもう一匹のカニが現われたのだ。

 問題は、そのカニの大きさだった。

 屋台ぐらいはある黒いカニが、まっ直ぐ二人へ向かってくる。


「に、逃げてー!」

「キャー!」


 二人の悲鳴が誰もいない砂浜に響きわたった。

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