第17話 王妃の謝罪


 時間は少しさかのぼる。史郎が、『英雄の部屋』でナルとメルから「ぶはっ!」なんてされている頃、おなじく王宮にある一室では、エミリー、翔太、ハーディ卿、黒騎士が豪華な朝食を始めようとしていた。

 丸い大きなテーブルには、二つ空席があり、そこにも新鮮な食材をつかった手のこんだ料理が用意されている。


 ノックの音がして初老の侍従が扉を開くと、そこには勇者加藤と、二人の女騎士を従えたヒロコ王妃が立っていた。


「おはよう、みんな!」


 堅苦しいことが嫌いなヒロコが、気軽な挨拶をした。


「お早うございます、お后様」

「「お早うございます」」


 ハーディ卿とエミリー、翔太が笑顔で挨拶を返す。


「黒木先輩(黒騎士)!

 ここでは緊張しないでください」


 顔を強張らせ、黙っている黒騎士を目にし、王妃ヒロコが言葉を掛ける。

 その黒騎士は、席からゆっくり立ちあがると、王妃の前に立つ。

 百七十センチを超える長身の黒騎士が、小柄な王妃を見下ろす形となった。


 ゴンッ


「痛っ!」


 黒騎士が、王妃の頭に強烈な拳骨を落としたのだ。

 王妃の後ろに控えていた二人の女騎士が、血相を変え黒騎士の前に立とうとする。ところがそれより早く、さらに二発の拳骨がヒロコの頭を捉えていた。


 ゴゴンッ


「き、キサマっ!」

「おのれっ!」


 守るべき王妃に危害を加えられた、そう感じた女騎士二人が剣の柄に手をやる。


「ひ、控えよっ!

 ううっ、痛~い!」


 二人の騎士は、王妃の命で剣を抜くのはとどまったが、まだその手を剣の柄に掛けたままだ。

 視線だけで殺しかねない目つきで、黒騎士をにらんでいる。


「柳井社長から頼まれた」


「さ、三人ともやっぱり怒ってました?」


 頭を抱えたヒロコ王妃は、すっかり砕けた口調になっている。


「みんな過労で瀕死。

 怒髪天どはつてんを突く」

 

「ひ、ひえーっ!」


 王妃らしからぬ悲鳴をヒロコがもらす。


「特に柳井社長」


「ぎゃー!」


「お后様が『ギャー』って」


 横に立つ王妃の実弟、勇者加藤が呆れている。

 

「く、黒木先輩から、社長たちに取りなしてもらえませんか?」


 涙目の王妃が、上目づかいにそんなことを言った。


「無理!

 私たちも大変だった」


「……」


 新入社員ヒロコ不在のツケは、『ポンポコ商会』社員である五人の騎士へ回ってきたのだ。


「社長からの言葉。

 稽古させる」


「け、稽古?」


「合気道の稽古」


「ひっ!」


 黒騎士とヒロコは合気道の同門だ。

 黒騎士の方が姉弟子にあたる。


「シロー君が、王様にも話してある」


「えーっ!?」


「お妃様……」 


 見かねた女騎士の一人が、ヒロコに声を掛ける。


「くっ、しょうがないわね。

 こうなりゃ、出るところに出てやろうじゃないの!」


 ヒロコ王妃は、腹をくくったようだ。


「いい覚悟」


 黒騎士の静かな声に、その場にいる全員が震えあがった。


 ◇ 


 日が高くなりかけた王宮の庭は、咲き乱れた青い花で燃んばかりだった。

 その庭の片隅、芝生のように短い草が生えた場所に、王宮の人々が見慣れないものが敷かれていた。

 それは、紛れもなく「畳」だった。

 二十枚、つまり二十畳の畳は、そこだけ和風の空間が運ばれてきたように見えた。


 上座にいくつか置かれた床几しょうぎに、マスケドニア国王と各国の王が座り、その横では軍師ショーカが畳に胡坐をかいていた。


「おお!

 ヒロコ、凛々しいぞ!」


 初めて妻の道着姿を目にしたマスケドニア国王が、興奮の声を上げる。

 王妃は、白い道着に黒帯を締めていた。

 畳の反対側に白い道着、黒い袴姿の黒騎士が現われると、並んだ各国の王から声が上がる。


「「「おおっ!」」」


 幼い頃から道場で鍛えられた黒騎士の姿は、そのつややかな肩までの黒髪と相まって、驚くほど美しかった。


「始めっ!」


 審判役を務める勇者加藤が、開始を告げる。

 黒騎士とヒロコは、相手と目を合わせたまま腰を曲げ、軽く礼をした。


「ヒロコー!」


 さっそく応援にとりかかった国王は、妻が負けるなど夢にも思わなかった。彼自身が、アイキドウなる謎の技で、すでに百回どころではなく投げられているからだ。


 バシンッ


 ところが、開始の合図間もなく、王妃の体が宙を舞い、畳に叩きつけられた。

 王妃は頭を左右に振ると、すぐに立ちあがり、再び黒騎士と対峙した。

 その瞬間を待っていたように、黒騎士の手が突きだされる。速いとも見えないその動きがまだ王妃に届くと見えないうちに、白い道着が宙を舞った。


 ズシンッ


 そんな音を立て、ヒロコ王妃が再び畳に横たわる。


「ヒ、ヒロコッ!」


 国王の叫びも虚しく、三度みたび王妃が宙を舞う。

 

「も、もう止めろ!」


 見かねた国王が、思わず口走る。


「陛下、王妃様から、一切口出し無用とうかがっております」 


 国王の言葉を受け、軍師ショーカが諫める。


「くっ、わ、分かっておる!

 しかし、このままでは……」


「はあ、はあ、へ、陛下!

 練習、タダの練習です。

 な、何も言わず、そこでご覧になっていてください!」

 

 王妃から直接そう言われてしまっては、国王も黙るしかない。


 バシンッ

 ズシンッ

 ドンッ


 二人の稽古は、王妃が立てなくなるまで続いた。


 ◇


 王宮のホールで予定されているお茶会のため、俺が家族と一緒に廊下を歩いていると、向こうから二人の女騎士に両肩を支えられた、白い道着姿のヒロ姉がやってきた。

 汗まみれの上、ヨレヨレのヒロ姉は、しかし、どこか充実した顔をしていた。

 

「あれ? 

 ヒロ姉、いや、お妃様、いかがなされましたか?」


「はあはあ、し、史郎君、死ぬかと思った。

 黒木先輩に、死ぬほどしごかれた」


「黒木先輩?」


「黒騎士よ」


 ああ、そういえば、黒騎士の本名が「黒木」だった気がする。日頃使わないから、忘れてた。


『(・ω・)ノ 黒騎士さんに失礼ですよ!』


 点ちゃん、まあいいじゃない。それより……。


「お后様、よろしければ治癒魔術をお掛けしますが」


「ありがとう、でも大丈夫。

 だいたい、治癒魔術なら自分で掛けられるし」


「そうでしたね」


 ヒロ姉が覚醒した職業クラス、聖騎士は治癒魔術が使える。


「柳井社長や黒木先輩が怒るのも無理ないわね。

 しばらくしたら地球世界に帰るつもりだったけど、私ったらずっとこっちにいるわけだし」


 へえ、ヒロ姉、一応反省はしてたんだね。意外だな。


「えー、『異世界通信社』オーナーとして言わせてもらえば、ヒロ姉の行動はマジとんでもないです」


「うっ、史郎君も怒ってたのね?」


「まあ、そうですが、今となっては、もう仕方ないかと……ヒロ姉ですし」


「なによそれ!

 覚えてる、こーんな小っちゃかった頃、君は――」  


「どうやら、反省が足りないようですね。

 そうだ!

 次は、またおじさん連れてこようかな~」


「ちょっ、ちょっと待ってよ!

 父さんの拳骨がどんだけ痛いか知らないでしょ!

 分かりました!

 分かりましたよ!

 私が悪うございました!」


 お妃様が、そんなことを言いながら頭を下げる。

 二人のやり取りを見ていた二人の女騎士は、目と口を大きく開き、怪奇映画でも見たような顔をしている。


「わー!

 この服な~に~?」

「ざらざらする~!」


 ナルとメルが、道着姿のヒロ姉に抱きつく。

 足と腰にぶつかった娘たちに、王妃らしからぬ悲鳴が上がる。


「ナ、ナルちゃん!

 そこ痛い!

 メルちゃんも、そこやめて!」


 黒騎士との稽古で痛めつけられた体に、ダメージが入ったらしい。


「「ざらざら~!」」


 道着の手触りが面白かったのか、ナルとメルは、よけいヒロ姉にまとわりつく。


「ひいっ、史郎君、ルルちゃん、助けてー!」


 王妃様の情けない悲鳴に、俺の家族は声を上げて笑った。

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