第30話 猿人族襲来


 猿人が大挙して狐人領に襲いかかってくる、という知らせは、虎人族を除く全部族長に知らされた。

 俺が映しだした闘技場の映像は、部族長たちに衝撃を与えた。

 あの数の猿人が人族に与えられた魔道武器を使って攻撃してくれば、全部族で迎えうっても勝ち目はない。

 部族長全員が、そう考えていた。


 コルナに代わり狐人族の長を任された、妹のコルネも同様だった。狐人族領にある城の一室で寝ていた俺は、朝早くから彼女に叩きおこされた。


「シロー、本当に大丈夫なのですか?」


 コルナによく似た、彼女より少しだけ幼い狐人が問いかける。昨日何度も説明したが、納得してもらえなかったようだ。

 まあ、点魔法のことを知らせていないから、不安に思うのも分かるが。


「大丈夫ですよ」


「絶対ですね?」


「はい」


「絶対、絶対?」


「ええ、絶対大丈夫です」


「本当ですね?」


 しつこいったらない。まあ、自分の決断に一族の命運が掛かってるんだから、理解はできる。理解はできるが、俺のくつろぎを奪うのはやめてほしい。


「フフフ、お兄ちゃんに任せとけばいいんだよ」


 毛布の下から、狐人の少女がひょっこり顔を出す。


「あっ、お姉ちゃん! 

 何でここにいるの!?」


 昨日夜、コルナが部屋に忍びこんできて、いつの間にか俺の横で寝ていたのだ。夢の中で、何かをモフモフしていたのは、そういう理由があったんだね。


「シロー、お姉ちゃんに、何かしてないでしょうね?!」


 え? 部族の危機より、そっちの心配? 

 まあ、しつこいのが収まるなら、それでいいけどね。


「してるわけないよ。

 せいぜい、しててもモフモフくらいだよ」


「モ、モフモフ!」


 コルネの顔色が変わる。


「お姉ちゃん、モフモフされたの!?」


「エへへへ、モフられちゃった」


「な、何てことを……」


 なぜかコルネが絶句している。


「コルネさん、いったいなぜ、そんな顔を?」


 ベッドから起きた俺の胸を、コルネが両手でドンと突く。


「な、なぜ?」


「知らないの!?

 狐人族がモフモフするっていうのは、恋人か夫婦だけなんだよっ!」


「えっ?」


「えヘヘ、既成事実つくっちゃった。

 てへぺろ」


 コルナが頭に手を当て、舌を出す。おいおい、『てへぺろ』ってなんだよ。指輪の翻訳機能が、壊れちゃったのか。

 あ、さては、舞子だな、そんな言葉を教えたのは。


 その時、部屋のドアが勢いよく開き、文官ホクトが入ってきた。


「偵察隊からの連絡です。

 あと一時間もすれば、猿人族軍が砂漠を越えるそうです」


 まあ、ヤツらがどこにいるかなんて、点ちゃんで把握済みなんだけどね。


「そろそろ準備するかな」


「準備って、一体どんな?」


 コルネが、心配顔で聞いてくる。


「え? 

 顔を洗って、朝食を食べて、歯をみがくんだけど」


「そ、それが準備!?」


 コルネの顔がさーっと青くなっていく。


「何人で、戦うのです?」


「えーと、俺一人だけど」


「……」


「あ、見学が、約一名いたか」


「ふ、二人!?」


「いや。

 だから、もう一人は見学だけだから、一人だね」


「……」


 コルネがよろめいて、ホクトに支えられている。


「さて。

 じゃ、時間が無いから、もう邪魔しないでよ」


 俺はそう言うと、ベッドから降り、シャワーを浴びるためにバスルームに入った。この国、シャワーだけなんだよね。朝風呂、入りたいな~。


 決戦を前に、俺には緊張感が全く無かった。


 ◇


 ここは、砂漠の中に設営された猿人族の天幕。


「狐人族領の森が、見えてきました」


 見張りからの報告に、猿人の軍団長が頷いている。


「後は、やつらを血祭りにあげるだけだな」


 彼は舌なめずりをして、これから行う残虐行為に胸を高鳴らせていた。


「敵の数は?」


「それが、偵察らしき姿が一つだけで、他にはいません」


「ヤツら、籠城ろうじょう策を取るつもりか?」


 人族から渡されている魔道具の前には、籠城などなんの意味も無い。


「ふはははは!

 ヤツらの命運もこれまでよ!」


 そこへ、もう一人の見張りが駆けこんできた。


「偵察が妙な動きをしています」


「一人だけなんだろう?」


「はい、一人なんですが……」


「どうした?

 早く言え!」


「頭に布を巻いているのですが、どうも人族らしいのです」


「なにっ!? 

 なぜ人族がこんなところにいる?」


「その……そいつが、ゆっくり歩いて近づいてます」


「……降伏の申し出に来たのではないのか?」


「それが、白旗らしいものは持っていません」


 どういうつもりだ?

 軍団長は自分の目で確かめるべく、天幕から外に出た。


 緩やかに波打つ、砂の大地をゆっくり歩く人影がある。すでに、相手の顔が何とか判別できるところまで近づいている。

 急いで懐から出した魔道具を覗きこむと、茫洋とした顔が見てとれる。少なくとも、これから戦闘に臨む表情ではない。しかも、少年にしか見えない。

 やはり、伝令なのか?


 軍団長が遠見の魔道具から目を離そうとした時、少年らしき人影が頭に手をやった。砂漠の風にたなびく布の下から現れたのは、黒髪だった。

 それを目にした軍団長の警戒心が一気に高まる。


「総員、迎撃用意!!」


 彼は、たった一人の敵に、ためらわず大声を上げていた。

 激しく動きはじめた猿人の軍勢を前に、少年は砂丘の上に一人静かにたたずんでいた。

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