第45話 焼殺の魔道具
マスケドニアでは、勇者歓迎イベントが、つつがなくとり行われていた。
王宮の北門、南門、東門と回ってきた行事も、今日で最後だ。西門の前は、今までにも増して賑わっていた。
西地区は貧困層が多い場所で、小さいけれどスラムもある。日頃は華やかなことに縁がない彼らだから、今こそはと楽しんでいる者が多かった。
催しには、国からも援助金が出る。いつもなら着られないきちんとした身なりをした人々は、それだけで、もう心が浮きたっていた。そして、そのみんなの心を集めている中心が、勇者とその付きそいだ。
当然、そういう声が投げかけられる。
「勇者様ー!」
「花嫁様ー!」
それを聞くたびに、ミツは顔を赤らめうつむく。その様子を見ていた加藤が、彼女の耳元で囁く。
「ミツ、俺の花嫁じゃ嫌か?」
ミツは強く首を横に振ると加藤の胸に顔を埋める。当然、民衆の反応はさらに高まる。
「お二人とも、お幸せにー!」
「早く子供が見たいねえ」
気が早い民衆は、好き勝手な言葉をぶつけてくる。これでは、悪循環だ。
史郎が気を利かせ、念話を送る。
『加藤、さすがに疲れたろ。
ミツさんもそう見えるから、少し休んだらどうだ?』
『ああ、そうさせてもらうよ』
加藤とミツは、このような時を予想して建てられている、勇者専用の円錐形テントへと入っていく。騎士が警備しているので、テントの周囲に人は
予想通り、テントの中では勇者とミツのイチャイチャが始まったので、史郎は念話を切った。
その時、民衆の中から、灰色のローブ姿がゆっくりとテントの方へ近づいた。
もし駆けよりでもしたら騎士がすぐに拘束したのだろうが、ローブを着た人物のゆっくりとした歩みに、周囲は動きを起こせないでいた。
史郎は、頭の中で何かが警報を鳴らすのを感じていた。
いったい何だ?
テントに近づく灰色のローブと、かつて自分を尾行していた者が着ていたローブが結びついた瞬間、史郎の警戒は最高点まで跳ねあがった。
「加藤!
気をつけろ!」
思わず念話を使うのを忘れ、直接呼びかけてしまう。その声も、民衆の歓声とテントの布地に阻まれ、加藤に届いたかどうか分からない。
史郎の方をちらりと見たローブの人物は、懐から出した三十センチくらいの黒い筒をゆっくり地面に置いた。
「だ、誰だ!?」
騎士が問いかける声に、ローブを着た人物の詠唱が重なる。
地面に置かれた筒から、突然、膨大な量の炎が吹きだし、テントに襲いかかった。運悪くテントと筒の間にいた騎士は、炎に呑まれ一瞬にしてかき消えた。
民衆の悲鳴が、周辺に満ちる。
やっと我にかえた史郎が、加藤に付けていた点をいったん外し、テントへ移しかえる。
ほんの一瞬ですら、もどかしく思いながら彼は点魔法を使った。
火が着いたテントがローブの人物へ飛んでいき、それがローブと筒の両方を覆う。
バフッ
膨大な炎が、空に吹きあがった。
「みんな、離れてっ!」
史郎が声を上げる前に、焦がされるような熱に追われた民衆は、悲鳴をあげ走りだしていた。
テントがあった場所には、焼け焦げた敷物と半壊した休憩用の調度、そして、ミツを抱いた加藤の姿があった。
「舞子ちゃん、早く来てくれ!」
加藤は錯乱し、ここに居もしない舞子を呼ぶ。ミツは火傷も見られず、史郎は最初、なぜ加藤がそんなことを口にするのか理解できなかった。
しかし、近づくとミツの背中がまっ黒に焼けこげているのが見えた。ミツは顔色が白くなっており、呼吸も早い。
「ミツ! ミツ!
しっかりしろ!
すぐに助けが来るぞ」
加藤が叫ぶ。
立ちあがろうとする加藤の手を、ミツが思いがけない強さで握った。
「ユウ……無事でよかった」
「ミツ…ミツ……」
加藤の声は、すでに言葉になってない。
「ユウ、あなたと会えて、初めて生きてるって、そう感じられたの。
幸せだった」
「ミツ!
俺たちは、これから幸せになるんだっ」
加藤の声に、にっこり微笑んだミツは、早くなる呼吸から無理やり声を押しだす。
「ユウ、あなたが好き。
いっぱい……ありがとう」
加藤の手から、ミツの手がはらりと落ちた。
「な、何なんだ、これは、何なんだよ!
こんなのがあるか!
どうして助けられないんだよっ!
何が勇者だっ!
何が勇者だっ!」
勇者の叫びは、彼が気を失うまで続いた。
史郎は意識がない友人を背負い、ゆっくり王宮の中へ入っていくのだった。
◇
加藤は三日三晩、目を覚まさなかった。
史郎は、むしろそれでよかったと思っていた。すぐに目が覚めたら、加藤の心は壊れていただろう。
ミツは、加藤が目覚めてから埋葬することになっている。
彼女の棺は、人払いした玉座の間に安置されている。むろん、これは異例のことだ。勇者を救った、国の英雄を称えたい。マスケドニア王の
史郎は、ずっと加藤の側に付きそっていたが、彼らしくない、険がある顔つきをしていた。それは、もしかしたら自分がミツを救えたかもしれない、そう考えていたからだ。
灰色のローブに気づいたとき、何かできなかったか?
炎が現れてすぐ、点魔法のシールドでさえぎれなかったか?
何より、すぐ傍にいたのに親友の幸せを守れなかった、自分が許せない。
そう思う彼の、握りこんだ拳から血が滴る。
その上に、そっと重なる手があった。
「加藤!
起きたのか!」」
「ああ、よく寝たぜ。
こりゃ、三年くらい寝なくても大丈夫だな」
こいつ、俺の事を気づかってるな。
日ごろ見せない加藤の気配りに、史郎はなおさら自責の念をかきたてられた。
「とにかく、陛下を呼んでくるぞ。
いいか?」
少し黙りこんだ後、加藤が静かにこう言った。
「その前に、お前と二人で話がしたい」
「分かってる」
「アリスト王を討つ」
「ああ」
「お前、『ああ』って……。
拍子抜けするなぁ。
どうせ止めるだろうがな」
「やれ」
「えっ?」
「だから、やれ」
「えっ?」
「アリスト王を成敗しろ」
「えっとー、あなた、本当に史郎さんでしょうか?
それとも、俺、まだ夢の中かな?」
「変な言葉づかいするな。
俺だよ、ボーだ」
「いいのか?」
「いいさ。
どうせ
「いやいや、そこは一回、止めとこうよ」
「めんどくさい」
「やっぱり、本物のボーだな。
夢じゃない」
「だけど、加藤。
お前が相手にするのは、アリスト王だけだぞ」
「どういうことだ?」
「
「そんなこと、できるのか?」
「ああ、できるぞ。
お前、三日も眠ってたからな。
その間に、点ちゃんといろいろ打ちあわせしておいた」
「だけど、城には何人の敵がいるか分からないんだぞ」
「ああ」
「それを全部か?」
「全部だ」
「ふうー。
まあ、こういう意外性も、本物のボーだよな」
加藤がニヤリと笑う。
少し安心した史郎は、今度こそマスケドニア王を呼びに部屋を出ていった。
「あいつ、無理しちゃってよ」
再び眠りについた加藤の顔は、いつものように穏やかなものだった。
◇
国としての盛大な葬儀の後、ミツの埋葬は、少人数でひっそりと取りおこなわれた。
これは、加藤が、そしてミツの父ヒトツが希望したことだ。
国の英雄たちが眠る丘に、墓が作られた。
墓には、ミツが任務で使っていた白い衣装から作られたベールが掛けられた。これは、ミツの母が結婚式のためにと用意していたものだ。
母親の心を思うと加藤は胸が張りさけそうだったが、一粒の涙も流さなかった。泣くのは、今この時ではない。全て終わったことを、ここに報告する時だ。
少年の純粋さゆえ、彼の心はどこまでもまっ直ぐだった。
史郎は、少し離れたところで埋葬を見まもっていた。
この瞬間を忘れないように。
心に刻みつけるために。
冷静でいるために。
埋葬が終わり、加藤が辺りを見まわすと、すでに史郎の姿はなかった。
ショーカがやって来て、彼に手紙を渡す。
「シローからです」
手紙には、日本語で書かれた短い言葉があった。
『三日後 朝 アリスト王城で』
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