第7部 開戦へ
第31話 マスケドニア
ここは、史郎がいるアリスト王国の隣国、マスケドニアの王宮である。
上品な調度で飾られた王の居室では、これから執務に向かうため、名君の誉れ高い国王が数人の侍女から身を整えられていた。
長身で引きしまった体をした彼は、国王としての威厳に、壮年の男性としての魅力が加味され、まさに輝くばかりだ。
彼は、国内外で「
そのとき、本来は来るべきではない役職の者が、部屋に入ってきて王に耳打ちする。これは、緊急に対処すべき案件が生じたことを意味する。
マスケドニア王は、思わぬ知らせを受けていた。
「それはまことかっ!」
「ははっ、間違いなき情報でございます」
「まさか、このような時期に開戦とはな……」
アリスト国の初代聖騎士王とこの国とで結ばれた約定により、二十年にわたり二国間の関係はおおむね友好的だった。
近くお互いの公爵レベルの会合、また、婚姻も予定されていた。
マスケドニア国王にとって、この開戦はまさに
執務室に移った王は、時を待たずして対処に取りかかった。
「勇者について、何か分かったか?」
「はっ、黒髪の勇者でございました」
「な、何!?
なるほど、それがこ度のきっかけか。
そうなると、侵攻はどこまでも止まらぬな」
マスケドニア王は、かつて会見で目にした、現アリスト国王のどこか冷たい、陰のある目つきを思いだしていた。
「他国と同盟して対処することが最善かと存じます」
軍師として仕える青年が申しあげる
最下層の貴族出身であるが、その能力を早くから見いだされ、軍事はもちろん、政策にまで助言する立場へと昇りつめた青年だ。
「ショーカよ、 同盟の件、すぐに取りかかってくれ!」
「かしこまりました」
しかし、王には、それがどれほどの困難をともなうかも分かっていた。天才の名をほしいままにしてきた、この若き軍師にとっても、それは容易なことではあるまい。
アリストに勇者がいる。そのことが知られれば、他国はマスケドニアとの同盟をためらうだろう。それが黒髪の勇者となれば、なおさらだ。
むしろ、多くの国がアリスト側につくだろう。そうでなくとも、せいぜい傍観をきめこむのが関の山だろう。
「一つお願いがございます。
勇者と接触をはかるお許しを頂きたいのです」
若い軍師がためらいなく申しでる。
「ふむ、理由を申してみよ」
「聞けば、かの国の勇者は、この世界に現れてまだ間もないとのこと。
果たして、そのような者が
「なるほどな。
勇者自身は、戦いを望んでいるとは限らないということだな」
「はっ。
彼の人となりについての情報は、まだほとんど入ってきておりません。
ドラゴン討伐の情報ぐらいです」
「なるほどのう。
して、接触の目処は立っておるのか?」
「勇者は、王城内に囲いこまれておりますゆえ、本人との接触は、まず難しいでしょう」
「ふむ、ではどうする?」
「幸い、勇者と一緒に現れた聖騎士、聖女には接触の隙があるかと存じます」
「そこから勇者へと繋げようというのじゃな」
「可能性がある手は、全て打っておきとうございます」
「うむ、分かった。
勇者と会うのを許そう」
「はっ」
軍師は、足早に執務室から出ていった。
王は去っていくショーカの背中を見ながら、これまで軍師とともに何度も国難に立ちむかってきたが、今回の事がその中でも最大のものになりそうだと考えていた。
◇
軍師ショーカの屋敷は、王宮からすぐ近く、お堀の脇にあった。
今、その屋敷では、彼が部下の密偵を自室に呼びだしていた。
「では、そちとミツ、ヨツで行ってくれるか」
「はっ」
「今回の任務は、その性質からして、まずそちらの命はあるまい。
申しわけなく思う」
「我らが命は、元より御屋形様のもの。
本望でございます」
男の名はヒトツという。先代から軍師の家に仕えてきた彼は、軍師にとって第二の父ともいうべき存在だった。
軍師がここまで出世できた理由の一つが、この密偵が持つ情報収集能力の高さにあった。
勇者たちとの接触に王宮の情報部を使わないのは、万が一にも作戦が敵方に漏れないためだ。王宮に他国の情報関係者が紛れこんでいるのは、暗黙の常識なのだから。
軍師は、そっとヒトツの肩に手を置いた。その肩からは、かつてのような、がっしりした力強さは、伝わってこなかった。
初老を迎えたヒトツにとって、成功しても失敗しても、今回が最後の任務となるだろう。
ヒトツが部屋から去ると、剣の師でもある彼のことを思い、ショーカは静かに目を閉じた。
◇
ヒトツは、自室に娘のミツ、息子のヨツを呼び、任務の話を伝えた。
二人は静かに聞いていたが、途中から緊張の色が隠せなかった。
任務の重要度はもちろんだが、その難度があまりにも高く、自分の命を守っていては達成できそうにないことに気づいたからだ。
ミツは、まだ十八。ヨツにいたっては十四になったばかり。まだ、成人前だ。
ヒトツは妻に水を持ってこさせると、それを二人の前に置いた盃に注いだ。これは、この国で死者に対して行う行為だ。
ヒトツの妻は、気丈にも普段のふるまいを見せた。しかし 先ほどまで別室でさめざめと泣いていた。
出発は、明日の夜明け前となる。常に覚悟してきたつもりだが、やはりその時になると心が動くものだ。
ヒトツは
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