第29話 悪魔の誘惑
国教会の建物は、地球のゴシック様式を思わせるものだった。
幾重にも重なるアーチが広い空間を支えている。
奥の壁に掛けられた巨大な教会のシンボルマーク、その下には、魔術灯が立ちならび、それにぼんやりと照らされた聖女は、まるで後光をまとっているかのようだった。
聖女の表情が暗く虚ろであることで、さらに彼女の神秘性が増しているのは皮肉だった。
祭壇の前には多くの信者が列をなしており、皆が「奇跡」を授かるのを待っている。
聖女の手が白く光るたび、癒された信者が喜びの涙を流した。
「今日の恩恵は、ここまでです」
聖女付き女官が、厳かな声で言いわたす。
並んでいた信者たちは、係の女官から数字が書かれた順番待ちの木札をもらい、不満も見せず教会を後にする。
教会の正面扉が閉まると、聖女は、その場に崩れおちた。小柄でもともと体力がない舞子には、数日おきにあるこの仕事が、かなりの負担になっていた。
史郎が王城からいなくなって後、ほとんど食事に手をつけていないことも、彼女の体力を奪っていた。
「運んで」
聖女付きの女官が、まるで荷物でも運ばせるように声を掛けると、二人の女官が舞子の二の腕をつかんで立ちあがらせる。舞子の頭部は、力なく、フラフラ揺れている。女官たちは、人形を宙吊りにするような形で、舞子を左奥の扉へと運んでいく。
聖女が扉から姿を消すと、大きくため息をついたお付きの女官も、そちらに歩きだした。
そのとき、教会内に光が差しこんだのに気づいた女官は、いぶかし気に振りかえった。魔術灯は、すでに消えており、光が入るとすれば正面入口だけのはずだ。
やはり扉が開いており、逆光に黒い人影が浮かびあがった。
正面扉の外に立つ見張り役の女官を後で叱りつけることにして、とりあえず誰とも分からぬ侵入者に声を掛けることにした。
「なにか御用でも?」
黒い影が少し前に出る。やせぎすで特徴的な顔つきと、黒地を赤で縁取った宮廷魔術師のローブが顕わになった。
影から現れたような登場の仕方に不気味さを覚えたが、ここでは彼女が権力だ。無礼を許すつもりはなかった。
「もう祝福の時間は終わりです」
聖堂内に響く冷たい声にも、魔術師はひるまなかった。
「聖女付きの方とお見うけするが――」
「無礼ですよ!
きちんとした手つづきを踏みなさい!」
「今日うかがったのは、あなたにとっても利益になるお話のためです」
「利益ですって?
教会は、そのような世俗とは無縁です。
すぐに出ておゆきなさい!」
「お話が、聖女に関わることでも?」
聖女に関わること? もしかするとこの男は、聖女について、私が知らない何かを知っているのかしら。
うとましい聖女ではあるが、彼女に何かあれば、責任を取らされるのは自分だ。ここは、とりあえず話を聞いておいた方がいいかもしれない。
「……ここでは人目があります。
こちらへ」
女官は、さっき聖女が出ていった出口とは反対側の位置にある右側の扉へ、男を導いた。入りくんだ廊下を通り、地下へ向かう。ある扉を選び中に入る。
ここは、聖者の棺が並ぶ墓室。教会関係者でも、特別な場合を除き、訪れることはない。
「ここならば、誰も来ません」
扉を閉めた後、部屋に備えつけの魔術灯に火をともす。二つの影が、明かりに揺らめいた。
「ご配慮、感謝する」
「聖女に関するお話とか」
「聖女様のご様子は、普通ではありませんね?」
「……」
国の上層部が秘していることを知っているこの男は、いったいどういう立場なのか。そういえば、城内で何度か目にした気もする。
「それを解決する方策があります」
「本当ですか!?」
「しかし、その方法には、同時に非常にデリケートな問題があります」
「どんな方法ですか?」
「その前に……聖女に対する、あなたの偽らざる気持ちを、お聞かせ願えますか?」
「敬っているに決まっているでしょう!」
「そのような、取りつくろった言葉、私には不要です」
「あ、あなたが、何を知ってるというんです!」
女官たちの噂話、城内で直接目にした二人の姿、魔術を使っての覗き。そうした情報をもとに引きだした結論は、まず間違ってはいまい。
「もし、仮にあなた自身が、聖女になれるとしたらどうしますか?」
その言葉は、太い杭のように、女官の心を打ちぬいた。
彼女は幼い頃から、自分こそが聖女にふさわしいと思ってきた。しかし、いく度試しても、覚醒の水盤は応えてはくれなかった。
自分が渇望してやまない聖女でありながら、その立場を望んでいるようには見えない少女。抑さえようのない不満が、聖女への態度に表れていた。
「そ、そんなこと……で、できるわけがありません!」
否定しはしたが、もし万一と思うと、一度は諦めていた心に火がついた。
「こちらには、それをかなえる方策があります」
ああ! これは夢だろうか? もし本当にそんなものがあるなら、命を投げだしったっていい!
「その方策とは?」
カラカラの喉から出た低い声は、まるで他人のそれだった。
「ご興味がおありで?」
「とりあえず話してみなさい」
コウモリ男は、女官がすでに仕掛けたワナにかかったと確信していた。
「話してもいいのですが、それには一つ条件があります」
「な、なんですか?」
「あなたが聖女になったら、二人の男を治療していただきたい」
たったそれだけ?
「な、何か隠していますね?」
「いいえ。
事が露見すれば、あなたも私も確実に命はありません。
そんな相手に嘘をついてどうしますか」
男の言葉には、妙な説得力があった。
そして、女官には、それが男の魔術のせいだとは見ぬけなかった。
「本当に、聖女に?」
「なれますとも」
女官は、今まで感じたことのない、熱い何かが体の奥から湧きあがってきた。
私が聖女になれる……。
「いいでしょう!
話を聞かせてください」
ここにまた一人、悪魔に魂を売りわたした人間が誕生した。
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