第3話 森から町へ
やがてウサ子は森の奥へと帰っていった。
「落ちついたら、また来てあげるから」
別れ際、畑山さんがウサ子に声をかけていた。
俺たち四人は、木立から、
道は緩やかな起伏が続く草原を越え、彼方まで続いている。その向こうに、大きな湖が見えた。
舗装されていないとはいえ、道のありがたさが分かる。
なにせ森の中を何時間も上ばきで歩いたから、足の裏がヒリヒリする。
小さな石橋が小川に架かっているところで、ひと休みすることにした。この世界に来てから何も口にしていないから、冷たい水が喉にしみる。
小川の横にある石積みに腰を下ろしてくつろぐ。
うららかな陽射しを浴び、小川のせせらぎを聞いていると、ここが異世界らしいことも忘れそうだ。小川につけている裸足のつま先が優しい水の流れにくすぐられ、なんともいえず心地よい。
うとうとしていると、左腕がぐいと引かれる。目を開けると、舞子が固い表情で俺の腕を抱えこんでいる。彼女が向けた視線の先には、俺たちが後にした森がある。
馬にひかれた荷車が一台、森の中を抜ける道をこちらに向かってくる。
この先に町があるとすれば交通もあるだろうから、こういったことも考えておくんだったな。
左腕を舞子の肩にまわし軽く叩くと、少し安心したのだろう。舞子は体の力を抜いた。
「おっ、誰か来たな。
二人で行くか?」
加藤が言ってくるが、ここは相手を怖がらせてもいけないから、俺一人で行くことにする。
「いや、大丈夫だ」
馬車が近づくのを待ち、俺はゆっくり道まで上がっていく。まあ、ぼんやりした俺の顔なら、相手は怖がらないだろう。
異世界まで来てまで、この顔つきに助けられるとはね。
馬に似た動物には、四十才くらいに見えるおじさんが乗っていた。
中肉中背で顔つきは白人に近いが、やや鼻が低く少し日焼けした褐色の肌で、いかにも農夫といった感じだ。髪の色はブロンドだった。
右手を挙げ挨拶してみる。
「こんにちは」
警戒させないよう、めったに作らない笑顔を浮かべてみる。
「*+$%!」
あー、これはあれだよね。当然だけど通じないわ、日本語。
おじさんは、こちらの顔を見ると、目を大きく見開いた。
彼の顔が赤くなっているところを見ると、どうやら興奮しているらしい。
しびれをきらした加藤たち三人が道に出てきたことで、おじさんの興奮はさらに高まった。
何か叫びながら、馬車の荷台を指さす。
とにかく、乗れってことでいいのかな?
荷台の横木に手をかけ乗りこむと、おじさんが頷いたから、やっぱり乗れってことだったんだな。
手を伸ばし舞子を引っぱりあげる。彼女は軽いから、するりと引きあげることができた。畑山さんはちょっと赤くなりながらも、ありがとうと小さな声で言い、上がってくる。
加藤は荷台の後ろから勢いをつけてジャンプって、そんなので乗れるわけないだろう……って乗っちゃってるよ。むしろ余裕ありすぎて、おじさんの背中に抱きつきそうになってる。加藤らしいといえばらしいけど。
全員が乗りこんだのを確かめると、おじさんは馬に似た生き物にムチを当てた。
最後の丘を越えると、湖を抱えるように広がる町が見えてきた。
建物の形は、スイスの村に似ているようだ。あまり高い建物は無いが、湖と陸地の境目に、西洋の城を思わせる尖塔つきの大きな建造物が見える。
町の側まで来ると、そこを石造りの外壁がぐるりと取りかこんでいるのが分かる。人か獣か、とにかく何かが町を襲うのかもしれない。
どうやら、ここは、それほど平和な世界ではなさそうだ。
◇
馬車のおじさんとなにやら話してた門番が、荷台の方にやって来て俺たちを目にした。
そのとたん、門番は大慌てで詰め所に戻っていった。詰め所の周辺では、外に出てきた兵士風の男たちが右往左往している。
兵士と言っても、着ているものは、やはり中世のヨーロッパのそれに似ていた。
金属製の兜を頭に乗せ、鎖帷子の上に胸当てがついた鎧を着ている。
彼らも、やはり白人っぽい顔つきをしている。
まもなく、白馬に乗り銀色の鎧を着けた三十代の男性が現れた。
金色に光るブロンドが鎧に映え、やけにかっこいい。これは女性にもてるだろうな。
そんなことを考えていると、白馬の騎士が荷台に近づいてきた。
「&$&#*?」
やはり言葉は通じない。騎士は、おもむろに腰のポーチから指輪を取りだし、俺の左手を取ると、中指にそれをはめる。
「これならどうです。
こんにちは」
おっ! 言ってることが理解できるぞ。これって魔法の指輪じゃないの?
だけど、そんなことは置いといて、今は情報収集しなくちゃ。
「こんにちは。
初めまして」
そこで、ちょっと困った。
「異世界から来ました」
なんて言っても、自己紹介として通用しないだろう。
どうしようか悩んでいると、なんと向こうから助け舟を出してくれた。
「異世界の方ですね?」
騎士は驚いたように見えない。
あれ? 異世界から来た人って、珍しくないのかな?
ここは、どう答えるべきか――。
「出身を明かすのが、ご心配なのでしょう?
けれども、こちらは、あなた方の事情も分かっておりますから。
ぜひ、お城へおいでいただけないでしょうか?
この世界の事も、いろいろ教えてさしあげられると思うのですが」
うまいこと、はっきりした約束は避けている。
なかなかやるな、この騎士。
ただ、ここで押し問答していても始まらないか。
「そうですね。
では、お城へ案内してもらいましょうか」
「はい、それでは――」
「でも、その前に一つお願いがあるのですが」
「何でしょう?」
「我々は、朝早くこの世界に来てから、まだ何も口にしておりません。
お城へ登る前に、何かお腹に入れておきたいのですが」
「うむ……それくらいなら構わないでしょう。
お城でも、お食事の用意はできますが――」
「もう腹ペコで死にそうなんです。
なんとか、お願いできませんか」
「分かりました。
懇意にしている食堂を紹介しましょう。
お金はお持ちですか?」
「いえ、恥ずかしながら一文無しです」
「では、当座の備えをお渡ししましょう」
騎士が手で合図すると、詰め所の衛士が慌てて飛んでくる。
一言二言、交わすと、衛士は詰め所へとって返し、すぐに戻ってきた。手には革袋を持っている。
衛士がそれを騎士に渡すと、彼はこちらの手を取り、その上にずっしり重い革袋を載せた。
「お城に着くまでは、これで十分でしょう。
では、
ああ、それと私のことは『レダ』とお呼びください」
「分かりました、レダさん。
私のことは、『シロー』と呼んでください。
それでは、よろしくお願いします。
食事処では、個室が取れますか?」
「もちろん、そのように手配いたします。
では、案内の衛士を呼びます。
食事が終わったら、彼にそう申しつけください。
それでは、また後ほど」
食事処へ先触れするためだろう、騎士は最後まで騎乗のまま、颯爽と去っていった。
◇
白騎士おすすめの食事処は、俺たちの期待以上だった。
まず、雰囲気が庶民的だ。
疲れている今、肩ひじ張って食事するなんてごめんだ。
次に、食事の量が十分ある。
死にそうにお腹が減ってるときに、懐石料理をちまちま食べるようなことはしたくないもんね。
味も、かなりなものだ。
高級レストランで両親と食事する機会が多い畑山さんも、十分満足できる味だった。
デザートが来るタイミングで、これからの事を話すことにする。
まず、騎士にもらった指輪を外す。次に、これを水が入ったコップに沈め、ベランダの床に置いてから窓を閉める。念のためだね。
俺のそんな行動を横目で見ていた畑山さんが、呆れたように言う。
「ボーって、ほんと、ぼーっとしているのか、油断ならないのか、よく分からないわよね」
「え?
そう?」
「騎士さんとの会話でも、いろいろ探りを入れてたでしょ」
「分かってた?」
「まあ、とにかく、分かった事を聞きたいわ」
「じゃ、いいかな?」
舞子と加藤も、こちらに注目する。
「まず、分かったことは、ここの住人にとって、異世界人には何らかの利用価値があるってこと。
この食事代だって、安くはないでしょ。
ベランダの指輪なんて、かなり高価な物じゃないかな。
それから考えられることは何か?」
三人は身を乗りだし、俺の話を聞いている。
「俺たちは、相手にとって、それ以上の価値があるってこと。
何の価値があるのか、今はまだ分からないけどね」
加藤が驚いたように言う。
「お、お前、そんなこと考えて会話してるのか?」
心配するな。お前としゃべるときは何も考えてないよ。
大体、表情を見ただけで、何考えてるか丸分かりだろう、加藤は。
舞子は、なぜか嬉しそうだ。
まあ、彼女は俺が何をしても喜ぶのだが。
「それから、ここからは特に大事だから、よく聞いてくれ。
さっき言ったように、相手はこちらを利用価値があると考えている」
俺は少し間を置いた。
「だから、お金も出すし敬意も表すが、そんな気持ち、本当には無さそうなんだよね。
利用価値が無くなれば、ぽいっと捨てられると考えたほうがいいね」
畑山さんはやっぱりねという感じで頷いているが、加藤は首を傾げている。
「どうして、そんなことが分かるんだよ」
「さっき騎士が来た時、ずっと騎乗のままだったろう」
「そう言われれば、そうだな」
「騎乗すれば、当然相手を見おろすことになる。
あの時、俺たちは荷台に乗っていたが、それでも騎士より頭の位置は低かっただろう」
「ふ~む。
それで?」
「この世界の礼儀作法は知らないが、相手より高い位置から本当の敬意を表すのは難しいだろう」
「なるほどね。
そういうことか……」
「まあ、これも必ず正しいとは言えないよ。
ただ、もし異世界でも、人間の本質が変わらないとすると……。
おそらく、この推測は当たっていると思う」
呆れたように俺の顔を見ている加藤は放っておき、さらに言葉を続ける。
「だから、これから行く城では、いくら用心したって用心しすぎることはないってこと」
これには、三人とも頷いてくれた。
大まかな方針は決まったから、後はその場その場で臨機応変に行動したほうがいいだろう。
「じゃ、このおいしそうなデザート食べちゃおっか。
おっと、そうそう、指輪は元に戻しとかないとね」
◇
殺風景な部屋。
これが、あのきらびやかな城の一室とは思えないが、この部屋には魔術的に、さまざまな防御が施されており、情報が外へもれない仕組みになっている。
どっしりした黒い机の上には水晶球が載っており、それに男が耳を近づけていた。
赤い縁取りの黒ローブは、彼が宮廷魔術師であることを示している。やせぎすで彫が深い顔は、どこかコウモリを思わせる。
なにより、その白目の多い目つきにこの男の本性が現れていた。
「なんだ?
マナの分布が乱れているのか?
よく聞こえんぞ」
先ほどまで順調に仕入れていた情報が途絶え、男はいらつきを隠せないようだ。
「錬金部に苦情を入れてやる」
異世界人に渡した指輪は、見かけ以上に価値があるものだ。それこそミスリルの全身装備を買ってもおつりがくるほどに。
この世界の錬金術の粋を集めて作られた指輪は、まだ試作段階だが、多言語理解、情報伝達、果ては国王すら知らない秘密の働きまで込められていた。
この世界では、単純な術式一つを付与するにも大変な労力と技術をともなう。
この指輪は、まさに画期的な技術革新とさえいえた。
もっとも、それを利用できるのが一部の者に限られるので、真の技術革新とはなることはないのだが。
「おや、また聞こえだしたぞ。
やはりマナの乱れか」
水晶球からは、異世界人が食事の会話を楽しむ、ほがらかな笑い声が聞こえていた。
「今回こそは、失敗せぬようにせねばな」
異世界人を利用し筆頭宮廷魔術師にのしあがる。
その野望こそ、この男の全てだった。
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