4日目午後「純正」
「お邪魔します」
マーリンと思われる女性の後に続いて、足を踏み入れる。
無論、フィリアも一緒だ。
靴は履いたままだ。
家の扉を開けて、そのまま真っ直ぐ突き進めば居間についた。
途中、左手に階段が見えた。
居間に姿は見えないので、恐らくジルとリアはこの上にいるのだろう。
居間には大きめのテーブルが1つ、そこを囲むようにイスが4つ。
テーブルの奥に1つイスが置いてある。
きっと予備のための物だろう。
この見覚えのある二種類に、安心感を覚えた。
そして、感動する。
ワンルームのアパートとは比べ物にならないくらい広い。
指標にならないだろうか、しかし俺にとっては重大な事件だ。
外観から素晴らしかったが、内装に2度驚かされた。
「ここに座って」
テーブルを囲むイスの1つを指さした。
「失礼します」
抵抗もなく、指示に従う。
「遅れて申し訳ないね、私はマーリン、記憶の魔女よ。」
記憶の魔女という単語に引っかかる物があるが、それより重大な事がある。
しまった、フィリアに自己紹介をするのを忘れていた。
これでは社会人失格ではないか。
仕方が無いので左手にいるフィリアには、ついでになってしまうが遅れて自己紹介をした。
「遅れて申し訳ございません、つか...筋肉痛夫と申します。日本という世界から来ました。」
危うく転生前の名が出そうになった。
胸ポケットから名刺を取り出そうとしたが、服を着ていないことを忘れていた。
左手で大胸筋を軽く摩り、まるでこれが日本での挨拶ですと言わんばかりの素振りになってしまった。
「キンニクイタオ?珍しい名前ね、それに面白い挨拶、日本という世界を1度見てみたいわ。」
見事に誤解された。
彼女達には名字がないのだろうか、疑問に思うが口に出すとややこしくなる。
恐らく、彼女達は名字の存在を知らない。
彼女達に合わせることにしよう。
「長ったらしくてすいません、イタオって呼んでください。」
少し打ち解けたような感触を覚えたので、口調を柔らかくした。
そして、もう一言付け加える。
「あまり良いところではないですよ」
「あら、そうなの」
マーリンは、すこし落ち込んだ顔を見せた。
そして、俺はある重大な事に気がつく。
転生前に腕立て伏せをして以来、大胸筋の筋トレをしていない。
これは大問題だ。
しかし急に腕立て伏せを始めるのもおかしいので、大胸筋に力を入れ続けるというトレーニングを考案した。
うむ、なかなか悪くない。
大胸筋が緊張し、俺の緊張はほぐれた。
すると、ポッとマーリンの頭上に文字が現れた。
そう、オークの時と同じように。
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マーリン
Lv600
年齢[1200]
種族[魔女]
異名[記憶の魔女]
状態[普通]
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驚き、情けなく口を開いた。
そのまま左に首を傾け、フィリアを見る。
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フィリア
Lv65
年齢[22]
種族[人間]
状態[普通]
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開いた口から泡が出る。
それに続き、もう1つ理解不能な出来事が遅いかかる。
マーリンの言ってることが理解できないのだ。
それどころではない、フィリアの言葉も理解できない。
発言の意味が分からない。
といより、言葉が分からないのだ。
さっきまで通じてた日本語は、いつの間にか旅行に出かけていた。
自慢の冷静沈着は、未だに帰ってこない。
お帰りなマーリンが、怒りの感情を込めて言葉を発した。
ビクッと仰け反り、大胸筋の緊張は解け、代わりに腹筋に力が入る。
すると、ついさっきまでマーリンの頭上に浮き出ていた文字は消え、ある事に気づく。
「ちょっと、話聞いてる?」
怒り口調のマーリンの言葉である。
救いの日本語が、旅行から帰ってきた。
さい、よくぞ戻ってきた。
そして手土産に、俺に理解をくれた。
その理解を試すために、大胸筋と腹筋に力を入れてみる。
再び文字が浮かび上がる。
そして、怒っていたマーリンが落ち着き話を戻す。
「貴方の過去を見せてもらったわ、随分と災難だったわね。」
2つの事件が起きた。
1つ目から整理していこう。
この世界では日本語は通じない。
通じていたのは、魔法のおかげであるということ。
魔法という物はどうやら俺にも使えるらしく、今のところ理解出来る魔法は言語を理解する魔法、そして相手の個人情報を覗き見ることが出来る魔法だ。
個人情報を覗き見るなんて、なんともいやらしい。
そしてフィリアの言った全身に力を入れる、という意味が良くわかった。
しかしそれだけの説明では不十分だ。
恐らく力を入れながらしっかりとイメージをしなければ、この業は実現出来ない。
これが魔法という物か。
自然に使えるようになるまで、時間がかかりそうだ。
取り敢えず、腹筋に力を入れ続けよう。
そう思った。
そして2つ目、俺の恥ずかしい過去がバレた。
顔を赤くした俺に、フィリアは疑問符を頭上に浮かべている。
「フィリアよく聞きなさい、コイツはね...」
次の一文を放とうとしたその刹那。
俺の本能が騒ぎ出す。
「゛やめてくださぁぁあああイッッッ゛」
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筋肉痛夫
Lv2
年齢[25]
種族[人間]
状態[興奮]
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―――――テーブルに勢いよく手を付き、バンッという音が居間に響く。
目を見開き、声を荒らげた俺に、フィリアとマーリンは呆けた。
人の事を言えないが、プライバシーの侵害は勘弁して欲しい。
俺の社会的地位が今この瞬間にかかっている。
色々記憶が甦る。
俺は必死に侵食を食い止め、再び頭脳の奥底へと封印する。
マーリンは、少し怯えた顔で
「も、申し訳ない、貴方の過去にはあまり触れない事にするわ。」
と言った。
咄嗟に我に返る。
しまった、これではただの頭のおかしい人間ではないか。
地位がどうこうとかの問題ではない。
「あっすみません、恥ずかしい過去でして...」
すぐさまペコりと頭を下げた。
フィリアは、不思議そうに俺を眺めていた。
―――――――――――――その後、順調に話は進んだ。
結果を報告しよう。
この森は「ドライアドの森」というらしい。
「ドライアド」と呼ばれるこの森の主がいるらしいが、最近ソイツが暴れだしている所為で、森の生物が不安定になっている。
ジルとリアは、普段ならゴブリンと呼ばれる小型の生物しかいない場所で過ごしていた。
しかしオークが入り込んできたのは、ドライアドが暴れだし森の生物が混乱したのが理由だろう。
そして俺が初めてフィリアとあったあの場所は
「ドライアドの泉」
と呼ばれている。
ドライアドの住処だ。
フィリアは、自宅周辺の見回りをしていたようで、たまたま泉に寄ったらしい。
そして、俺と出会った。
フィリアはあの泉は美しく、好きだと言った。
この共感に、深く頷く。
感性は、魔法がなくとも通じるようだ。
勝手に愉悦に浸っていると、階段から足音が聞こえた。
さっきの騒動で、ジルとリアが居間に来てしまったようだ。
「お前!何でこんなとこにいんだよ!俺たちを食べる気か!?」
と狩られそうになったが、説得して必死に食い止めた。
ジルとリアにも一通り話をして、何とか誤解をとくことが出来た。
ジルには未だに警戒されているが。
そしてその後、各々が夕食の準備をした。
俺はどうすればいいのかと手伝おうとしたが、マーリンやフィリアにイスに座って待っててと言われ、奥にあるイスを引っ張りだしてきて、キョトンとイスに座っていた。
筋トレしたい衝動に駆られるが、必死に堪える。
変わりに、脳内で筋トレを行う。
――――――30分くらいたった頃、料理を載せた皿が5つ、スープが5つ。均等に並べられた。
どうやら料理が完成したようだ。
俺の筋肉も着実に、完成に近付いている。
中身は緑の葉をのせた肉が1枚、パンが一切れ。
恐らくミネストローネだと思われる、赤い色のスープが香りを放つ。
全員が席につき、一瞬の沈黙を迎えた後、マーリンが初めに口を開く。
「新しい家族に、乾杯」
「乾杯」
「えっ?」
「おいまじかよ」
フィリア、リア、ジルの順に言葉を発した。
おいまじかよ
俺が1番動揺した。
「コイツは帰る場所がないんだ、私たちの仲間よ。」
優し気な口調で、マーリンは言う。
確かに帰る場所はない、しかしこんな得体の知れない野郎を受け入れて良いのだろうか。
「えっ、いや迷惑では...」
当たり前の反応を起こす。
「気にしないで、イタオ、貴方は今日から私たちの家族。でもしっかりと働いてもらうからね。」
マーリンの優しさに、涙をのむ。
「は、はい!」
勢い良く返事をする。
「これから宜しくね、イタオ。」
フィリアは、そう言って微笑んだ。
―受け入れてもらえるのだろうか。―
「しょうがねーな、ちゃんと働けよ! オーク野郎!」
ジルは少し不満げに言うが、口調から少しの興奮を感じさせた。
―受け入れてもらえる。―
「あの、その...よろしくお願いします...」
リアは少し怯えていたが、先程までの嫌悪感は感じない。
―そんなこと絶対に無かった。―
だから、嬉しかった。
単純だろうか。
間違ってはいないだろう。
俺の思考回路は、筋繊維と同じ、0か100しかないのだから。
そんな単純な野郎だったから、騙されて、笑われて、殴られた。
そんな俺を、受け入れてくれたのだ。
考えすぎだろうか、それでも構わない。
考えすぎだろうか、しかし俺はこの方達の役に立ちたい。
考えすぎだろうか、しかしもう止まることは出来ない。
考えすぎだろうか、俺は生まれて初めて「愛」を見つけた気がする。
「乾杯」
最後に言葉を発したのは
俺だった。
筋肉痛夫の異世界筋トレ日記「必要なのは、金でも地位でも女でもない。筋肉だ」 pack/ @PackSlash
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