第5話 スカウト

「いつまで寝てるつもり。へんちく琳」

 翌朝、私はヨーコに叩き起こされた。

「ふあ~っ。おはよう」

「今日はアンタの衣服を買いに行くんだから、とっとと起きなさい」

「私の服?」

「そうよ」

「いらないわ。だって私は、自由に服を作り出すことができるんだもの」

 ちょっと自慢気に言う。

「出来損ないの術なんか使われちゃ迷惑よ」

「そんなことない。だって私の服が葉っぱだなんて誰にもバレてないもん」

「ふん。新鮮な葉っぱでないと術は使えないし、葉っぱが古くなれば術が解けちゃうくせに」

「どうして……どうして、そんなことまで知ってるの? あなたは一体何者?」

 葉っぱの術について話した覚えはないのに、私のすべてが彼女に知られているようで背筋が寒くなった。

「言ったでしょ。下等生物には教えないって。とにかく、アンタは一週間くらい平気で同じパンツを履いていそうだから、なおさらよ」

 ヨーコは鼻をつまんで臭そうにする。

「失礼ね! そんなに履かないわよ」

 大体、長くても五日くらいで術が解け葉っぱに戻ってしまうんだから。

「もし、みんな揃っての食事中に、いきなりスッポンポンになったらどうするつもり?」

 それを想像した私は、思わず両手で胸を隠した。

「ふん。アンタのまな板なんて誰も興味ないわよ。美味しい料理が不味くなるから、迷惑だと言ってんの」

 重ね重ね失礼ね!


 一階に下りると、みそ汁のいい匂いがしてきた。

 ヨーコは脇目もふれず台所へ向かい、私は洗面所に寄った。

 私はできる限り人間らしく振る舞うように心がけている。

 だから起床後の洗顔は欠かさない。

 顔を洗わない人間ヨーコよりの方が、よほど行儀が良くて人間らしいわ。

 そんなんだから彼女は、へちゃむくれなのよ。

 顔を拭いたら眼鏡をかけ、鏡で身だしなみを整える。よし、完璧。

 台所へ行くと、ダイニングテーブルに食事が用意されていて、みんなが席に着いていた。

「早くしなさいよね。まったくのろまなんだから」

 ヨダレの跡がついた顔でヨーコが急かす。

 私が席に着くと、ワタルが手を合わせ挨拶した。

「いつも可愛いアユミちゃん。毎日おいしい食事をありがとう。では、いただきます」

 私たちも合掌して「いただきます」と続く。

 ご飯とみそ汁、焼き鮭に冷奴など、これぞ日本の朝食といった感じである。

 シンプルな定番メニューだけど、私の目と鼻を刺激して、強烈に食欲をそそられる。

 昨日見た晩飯の光景そのままにヨーコは貪り食う。

 そんな彼女の顔をカケルはしげしげと見ながら、幸せそうにご飯を口に運ぶ。

 へちゃむくれの小野小町をおかずにご飯を食べるなんて、どんな神経をしているのかしら。私なら吹き出しちゃって、とても喉を通らないわ。

「どうしたの? 琳ちゃん。食事がお口に合わない?」

「いいえ、とても美味しいです。アユミさん」

 昨夜は我を忘れて貪り食ってしまったけど、ヨーコが変なこと言うから衣服の術が解けないか気になって、箸が進まないのよね──っていうか、普通に食べてるだけなんだけど。

「おじさま。アタシと琳は着の身着のままで来たから、着替えの服がないの。だから今日、買い物に行きたいんだけど……」

 食事を終えたヨーコが上目遣いでワタルを見つめる。

 私なら確実に抱腹絶倒だけど、ロリコン親父は満面の笑みを浮かべ頷く。

 そしてカバンから財布を取り出すと、ヨーコに五万円を差し出した。

「これで好きなものを買ってきなさい」

「ありがとう。おじさま」

 なんなのよ、この異様な光景は!?

 自宅に住まわせた女子高生に、惜しげもなく五万円も渡す四十を過ぎたオヤジ。

 傍から見れば不健全な関係にしか見えないのに、妻と息子はまったく意に介するようすもない。

 やはりこの家族は、まともじゃないわ。

「ヨーコちゃん、僕も一緒に行くよ。荷物持ちが必要でしょ」

 カケルは声を弾ませ身を乗り出す。

「必要ないわ。琳がいるもの」

 へっ!? 私が荷物を持つの?

「でも近ごろ美少女ばかり失踪する事件が、相次いでいるみたいだよ。ヨーコちゃんが心配だから、同行して護衛するよ」

「ちょっと、カケル。それじゃ、私は心配ないみたいじゃない」

 すかさず私はツッコんだ。

「琳、アンタ鏡を見たことあるの?」

 ヨダレの跡をつけた顔でヨーコが呆れまじりに言う。

 ヨーコだけには言われたくないわよ!

「とにかく、街中で人が多い場所だから大丈夫よ。それに琳の下着も買わなくちゃならないの。この子ったら一週間も同じパンツを履いているんだから」

「まだ、二日目よ!」

 私は顔を火照らして即座に否定。

「まぁ、それはいけないわ。女の子なんだから下着は毎日替えないと。これで好きなだけ下着を買いなさい」

 おっとり口調でアユミさんが、私に一万円をくれた。

「あ、ありがとうございます」

「街中だって危険だよ。可愛いヨーコちゃんに多くのナンパ男が、言い寄ってくるのは確実だからね。やはり僕も──」

「しつこいわね、カケル。そんなにアタシたちが、どんな下着を選ぶか見たいわけ? このむっつりスケベの変態、エロ、すきもの」

「ち、違うよ、ヨーコちゃん……」

 容赦なくカケルを両親の前で辱めるヨーコ。かわいそうに息子は、顔を真っ赤にしてしょげ込んでいる。


 よほど一緒に行きたかったのか、カケルは捨てられた犬のような眼差しで私たちを見送った。

 街の中心部に着くと、目抜き通りのアパレルショップや靴屋を何軒もまわった。

 鏡の前で次々と服をあてて楽しそうに選んでいくヨーコ。

 こんなとき普通の女の子同士なら、『これ可愛いい』とか『似合ってる』などと楽しく会話しながら買い物をするのだろう。

 だけど荷物持ちとしてヨーコに付き従う私は、妻のショッピングに無理やり付き合わされた夫の気分である。

 散々選んで購入したのは浴衣ドレスを三着。どんだけ浴衣好きなのよ!

 自分の買い物が終わるとヨーコは適当に私の服を見繕った。

 召し使いらしい服装を選んだみたいだけど、何を勘違いしたのか横縞模様の服である。

 それじゃ囚人服でしょ! やはり私は奴隷扱いですか?

 交渉の結果、なんとかメイド服にすることができた。

 あとは狸っぽいからという理由で、茶色のオフショルダーブラウスにかぼちゃパンツである。

 どちらも私の好みではないけど仕方ないわね。囚人服よりはマシだもの。


「早くしなさいよね、みょうちく琳。もうお金はないんだから、とっとと帰るわよ」

「ちょっと待ってよ~」

 明らかにヨーコの方が高価でいいものを買っているのに、なんで私がすべての荷物を持たなくちゃならないのよ。お、重い……。

 夏休みだからか、結構人が多い。しばらくすると小道一杯に、人だかりができていた。どうやら有名なお土産屋さんがあるらしい。

 十メートルほど先行するヨーコが一瞬立ち止まったかと思うと、いきなり足を速めて人ごみの中へと姿を消した。

 もう、本当に意地悪なんだから。

 なんとか雑踏を抜けて十字路に出たけど、完全にヨーコを見失っていた。

 それぞれの道を何度も見比べながら、「たぶん、こっちの道よね」と、まっすぐ進む。

 荷物は重いし、真夏の日差しに晒され、汗だくで喉はカラカラよ。

 ふらつきながら歩いていたら、ビルから出てきた男性とぶつかってしまい、「きゃあ」と尻もちをついた。

「ゴメン。大丈夫?」

 男性が手を差し伸べたので、その手を取って立ち上がり、

「あっ、はい。大丈夫です。私の方こそ、ごめんなさい」

 すると彼は私の手を握りしめたまま、食い入るように見つめてきた。

 もしかしてナンパするつもり? きっとそうよ。だって可愛いはナンパされるってカケルが言ってたもの。わざと私にぶつかり、お詫びと称してお茶に誘うつもりなんだわ。でも、おあいにくさま。イケメンだからってホイホイついていくような尻軽女じゃないんだから。

「やはりそうだ。君は昨日のイベントで、オタ芸をやってた子だよね」

 彼は爽やかな笑顔で言った。

 あ────っ! ヨーコのステージで観客席にいたスーツ姿の青年。

 彼の眼前で晒した醜態が脳裏に蘇る。羞恥心が激しく込み上げてきて、その場から逃げだしたいけど、がっちりと手を握られている。

「ひぃっ、人違いです!」

 とっさに顔をゆがめて白目を剥き、思い切り変顔して別人を装う。

「もしかして彼女の顔マネ? そんなに彼女のことが好きなんだ。いつからファンなの?」

 彼は必死に笑いをこらえながら尋ねた。

 私、そんなに酷い顔しているの? オタ芸をやるよりも恥ずかしいかも。

「私はヨーコなんかのファンじゃないです!」

「やはり君だったんだね。だって彼女の名前を口にしたもの」

 あううっ。墓穴を掘ってしまった。

「もう一度、君に会いたかったんだ。まさか、こんなところで出会えるなんて奇跡だよ」

 彼は心底嬉しそうに声を弾ませた。

「えっと……私に何か?」

 観念した私は、真顔で尋ねた。

「僕は大手芸能事務所でマネージャーをやってたんだけど、方針の違いから辞めて新たに事務所を立ち上げたんだ。数より少数精鋭、手の届かないようなアイドルを育てたくてね。そこでタレントの原石を求めてイベント巡りをしていたんだけど、残念ながら意にかなう人材には出会えなかった」

 男性が名刺を差し出したので、私はそれを受け取った。上戸うえと 鬼童きどう? 変わった名前。

 まあ、原石なんてそう簡単には見つからないでしょうね。

「ただ一人を除いてはね。それが君だよ。君なら間違いなく、トップアイドルになれる。自慢じゃないけど、これでも敏腕マネージャーとして何人もの一流アイドルを育ててきたんだ。その僕の目に狂いはない」

「えっ!? 私?」

「ウチの所属タレントになってくれないか。まだ弱小事務所だけど、一緒にトップアイドルを目指そう」

 鬼童という男は真剣な眼差しで、私の手を強く握りしめた。

 整った顔立ちでハンサムだけど、もしかしてタレント崩れかしら?

「ごめんなさい。私、ヨーコとユニットを組むことになったんです」

「あの『千年前なら絶世美少女』とかいう少し残念な子と?」

「そうそう。かなり残念な子と」

 なんかこの人と気が合いそう。私は何度も頷いた。

「君は日本中、いや世界中の男性を虜にできる逸材なんだよ。なのに、ローカルアイドルで終えるつもりか?」

 そんなこと言われても、私は狸だし、アイドルをやりたいわけじゃないもん。

「ごめんなさい。人を捜しているから──」

 立ち去ろうとするも、彼は私の手を放してくれない。

「なら五分だけでいいから、事務所で話を聞いてよ。クーラーが効いてるから涼しいし、冷たい飲み物やケーキもある。食べ終わったら、話の途中でも帰っていいから。ね」

 敏腕マネージャーと自負するくらいだから、説得によほど自信があるみたいね。五分あれば十分だなんて。

 本来なら断るところだけど、疲れきり干からびた私には、目の前のオアシスを通り過ぎる勇気を持ち合わせていない。

「じゃあ、五分だけなら……」

「ありがとう」

 鬼童は満面の笑みで、荷物をすべて持ってくれた。

 彼に連れられてビルに入ると、

「事務所は地下三階なんだ。悪いけど、エレベーターのボタンを押してくれる?」

 両手のふさがった彼に頼まれ、私は下矢印のボタンを押す。

 エレベーターに乗り込むと、B3ボタンを押しながら「それほど大きな建物じゃないのに、地下が三階もあるんですね」と彼に尋ねる。

「この辺は観光地で建物の高さ制限があるからね。地下のあるオフィスビルは珍しくないんだよ」

 説明が終わると同時に、エレベーターの扉が開いた。

 フロア案内板には、各階は一室のみとなっている。

「鍵は開いているから、先に入ってくれる」

 鬼童に促されて事務所のドアを開けた私は、オアシスへ足を踏み入れた。

 ふぁ~、涼しくて気持ちいい~。

 だだっ広い部屋の奥にソファーとテーブル、そして机や冷蔵庫などがある。

「まだ立ち上げたばかりだから、何もなくて事務所っぽくないでしょ」

 彼は白い歯を見せると、荷物を床に置きドアを閉めた。

 確かに机の上にはノートパソコンと電話だけだし、キャビネットには何も入ってなくて間仕切りもない。

「さあ、遠慮なく好きなだけ食べていいからね」

 彼に促され、私はソファーに駆け寄り腰かけた。

 テーブルにはたくさんのケーキがあり、思わずヨダレがこぼれ落ちそうになる。

 さすが敏腕マネージャー、やるわね。これだけあると、とても五分じゃ食べきれないわ。

「美味しそう。いっただきま~す」

「本当に美味そうなだ」

 鬼童の声色が、おどろおどろしい声に変わった。

 えっ!?

 思わず振り向くと、彼の目が怪しげな光りを放ち、私は身動きができなくなった。

 な、何、これ!? 声も出せない。

 鬼童の顔がくすんだ赤へと変色し、頭から角が五本、口からは鋭い牙が生えてきた。

 お、鬼!?

「フフフッ。これまで食べてきた美少女の中で一番美味そうだ。その怯えた目がたまらないぜ」

 鬼は舌なめずりしながら唾液を垂れ流し、私の顔を鷲掴みにした。

 そして超巨大バーガーにかぶりつくように、口を大きく開ける。


 『近ごろ美少女ばかり失踪する事件が相次いでいるみたいだよ』


 カケルの言葉が脳裏に蘇る。

 失踪した美少女たちは、この鬼が食べていたの!?

 こんなところで死ぬなんて嫌よ!

 パパやママ、そしてカケルに助けてもらった大切な命、絶対に失いたくない。

 文福の血筋を絶やすわけにはいかないんだから。

 お願い。誰か、助けて!

 たとえ声が出せたとしても誰も助けに来そうにない地下三階。鬼の鋭い牙が眼前に迫り、恐怖のあまり息をすることもできなくなる。

 鬼が私の顔面をガブリ──と噛みつこうとしたときだった。

「何こんなところで油売ってんのよ。とっとと帰るわよ。へんてこ琳」

 どこかから聞き覚えのある声がした。

 鬼が振り返ると、出入り口で仁王立ちするヨーコの姿があった。

「いけないねぇ。勝手に入ってきちゃ」

「はぁ? 勝手に相方を引き抜こうとしたくせに、何言ってんの。大体、なんでへんてこ琳なのよ。引き抜くなら絶世美少女のアタシでしょ」

 髪をかき上げながら、何言ってんのはアナタでしょ! 鬼よ、鬼! 自分を売り込んでないで、早く助けを呼んできなさいよ! ううん、ダメ。その間に私、食べられちゃう。一体どうしたらいいの!?

「見られたからには、生かしちゃおけないな」

 鬼が目を光らせると、まるでメドゥーサに睨まれて石になったかのようにヨーコは動かなくなった。

 ヨーコ!!

「ふん。あとで始末してやる。その前に──」

 こちらに向き直った鬼はニヤリとし、再び私の顔を掴んで口を大きく広げた。

「な~んちゃってね。アタシに金縛りは効かないわよ。ほーほっほっほっほっ」

「なっ、貴様、一体何者だ!?」

 鬼は驚いた様子で振り返る。

「はぁ? まったく、何が敏腕マネージャーよ。絶世美少女アイドルのヨーコ様を知らないなんて潜りよ」

 ヨーコは肩をすくめ、呆れ混じりに返した。

「ふざけたことを。まあいい。オレは美食家だから美少女以外は口にしないのだが、今回は特別にこの上なく不味そうな貴様から食べてやる」

「ずいぶんと虚仮にしてくれるじゃない。返り討ちにしてあげるわ」

 怒りで頬を引きつらせながら歩み出すヨーコと、彼女めがけて突進する鬼。

 私は、『逃げて、ヨーコ!』と、心で叫んだ。

 飛び掛かった鬼が、両手でヨーコの首に掴みかかる。

 その瞬間ヨーコの姿が消えた──いや、彼女は宙に身を躍らせていた。

 鬼の頭上を華麗に飛び越えながら異形の姿──黄金色で尻尾がたくさんある狐──に変化する。

 私と鬼の間に、優雅に舞い降りたその姿は、凛として気高い。

 な、何!? どうなっているの、ヨーコ!?

「ほう……九尾の狐だったとはな。ならば本気を出さねばなるまい」

 と呟きながら鬼はゆっくりと振り返る。

 再び突進してくる鬼に対し、ヨーコは右、左、天井、壁と、目にもとまらぬ速さで縦横無尽に跳び回り、鋭い爪で鬼をひっかいた。

 彼女の動きについていけない鬼の体に、切り傷が増えていく。

 そして鬼の背後から右足に噛みついて、思いきり引き倒した。鬼の動きを封じるためか、足を引きちぎらんばかりに、ヨーコは首を激しく振る。

「ウオオオオオオオオオオォ」

 鬼が悲鳴をあげると同時に、私の金縛りが解けた。

 やった! と、体が自由になり喜んだのも束の間、鬼の角五本が後ろに反り返り、ヨーコめがけて勢いよく伸びる。

「危ない、ヨーコ!」

 私の叫び声に反応して、ヨーコが弾かれたように跳び退く。

 空中で鋭い角の攻撃を次々とかわすも、最後の一本を避けきれなかった。

 ヨーコは微かな悲鳴をあげ、傷ついた足を庇うように着地してよろめく。

 直撃は免れたみたいだけど、彼女の左前足は血が滲んでいる。

 鬼は、役に立たなくなった右足の代わりに、角を支えにして立ち上がった。

 鬼と対峙したヨーコが、背後を一瞥して私と視線があう。

 ? ? ?

 もしかして、これってヤバいんじゃない!?

 鬼が角で攻撃してくれば、当然ヨーコはかわすわよね。

 そうなれば、後ろの私が串刺しになるのは必至。

 急に冷や汗が溢れ出した私は、慌てて右に避難しようとするも、それに合わせるようにヨーコが左前足を引きずりながら右へ動く。

 ちょっと、ヨーコ。こんなときに意地悪するんじゃないわよ! と心で叫び、彼女を睨みつける。

 だけど、ヨーコがさらに移動したので、私の串刺しは回避された。

 もしかして、私のためにヨーコは移動したの?

 彼女が歩みを止めると、鬼が猛攻撃を仕掛けた。

 四本の角が次々とヨーコに襲い掛かる。

 前足を負傷して動きが鈍くなったヨーコは、直撃は免れるも完全にはかわせない。

 今度はヨーコの体に傷が増えていく。

 ど、どうしよう。このままじゃ、ヨーコが殺されちゃう。

 オロオロしながら私は辺りを見回し、ノートパソコンを手に取って鬼に投げつけた。

 図らずもそれが鬼の体を支えていた角を直撃する。

 不意を突かれた鬼は、支えを失いバランスを崩して転倒。

 すかさずヨーコは、うつ伏せに倒れた鬼の背中を抑え込み首に噛みついた。

「ギャアアアアアアアアアァ」

 鬼は絶叫しながら五本の角で一斉にヨーコを攻撃。

 それを彼女が間一髪でかわすと、角は鬼の体を貫いた。

 鬼は全身を痙攣させながら、断末魔の叫びをあげて動かなくなり、見る見るうちにミイラとなり灰と化す。

「やったの!?」

 私が尋ねると、ヨーコは肩で息をしながら頷いた。

 緊張が解け、私はへなへなとへたり込む。

 人間の姿に変身したヨーコは、力尽きたように床に横たわった。

「ちょ、ちょっと、大丈夫!?」

 慌ててヨーコのもとに駆け寄ると、彼女の体は傷だらけだった。透き通るような美しい肌が痛々しい。

「大丈夫よ。少し休めば動けるようになるわ」

 ヨーコは辛そうに、か細い声で答えた。

 私はヨーコをソファーに運んで寝かせると、「ちょっと待ってて」と部屋を出ていく。

 そして薬局へ行き、アユミさんからもらったお金の残りで包帯や傷薬、絆創膏などを買ってビルに戻った。

 ヨーコの手当てをして、「よし、これでOKよ」と伝えると、

「ふん。そんなことしなくても、すぐに動けるようになるんだから」

 と、彼女は顔をゆがめながら上体を起こす。

 私はヨーコの衣服を持ってきて、

「だったら服を着てちょうだい。スッポンポンでいられたら、美味しいケーキが不味くなるわ」

 今朝のお返しである。

「そんな心配はいらないわよ。だって、琳に食べさせるケーキはないんだから」

「あ、そう。せっかく半分あげようと思ったけど、スッポンポンには、あ~げない。私一人で全部食べちゃおうっと」

 私はテーブルをヨーコから引き離した。

「ちょ、ちょっと。アタシのオモチャのくせに生意気よ」

「はい、はい。わかってますよ~。ヨーコちゃんの、と~っても大切なオモチャだものねぇ~。命懸けで鬼から守るくらいだもの、ねぇ~」

 私は揶揄い半分で言った。

「な、な、な、何勘違いしてんの。アタシはただ、オモチャを取られるのが許せなかっただけよ」

 動揺した素振りで、ぷいっとそっぽを向くヨーコ。

 私はケーキを一つ手にとり口にしながら「これ美味しい~」と、わざと意地悪げに言う。

「あーっ、わかったわよ。着るから手伝いなさい。もう! 回復したら、ただじゃ置かないんだから」

 ヨーコが帰れるようになるまで、私たちはケーキを食べながら休むことにした。

「それにしても、あの鬼はなんだったのかしら」

 私はケーキを頬張りながら、ヨーコに尋ねる。

「あれは酒呑童子しゅてんどうじよ」

「酒呑童子?」

「日本三大悪妖怪の一つで、およそ千年前の京都にいた鬼の頭目。婦女をさらって食べたので人間に討伐され、その首が埋められたとされる場所が今も京都にあるわ」

「なんで、そんな大昔の鬼が現代に?」

「たぶん人間が蘇らせたんだと思う。目的はわからないけど、首を掘り出し科学の力で人間の体を繋げて生き返らせた。だから私の動きに、ついてこられなかったんだわ。もし鬼の体で百パーセントの力を出されたら、負けていたかもしれない」

「ヨーコが勝てたのは、私のおかげだけどね」

「あら、情けない顔で食べられそうになってたのは、どこの誰かしら?」

 私が自慢げに言うと、ヨーコが皮肉まじりに返した。

「さぁ? 知~らない。それより三大悪妖怪ということは、まだ二つあるんでしょ。そっちは大丈夫なの? また襲われたりしない?」

「心配ないわ。一つは生きながら天狗になった人間で、婦女や狸を食べるような妖怪じゃないから」

「残りの一つは?」

「アタシは婦女や狸みたいな下手物なんか食べないわよ。狸の肉は臭くて食べられたものじゃないって言うじゃない」

「失礼ね、臭くないわよ! それにヨーコじゃなくて、三大悪妖怪の………………って、ヨーコなの?」

 私は目をぱちつかせて問うた。

「そうよ。白面金毛はくめんきんもう九尾の狐、平安時代末期に絶世の美女と謳われた玉藻前たまものまえとは、アタシのことよ」

 ヨーコは得意満面の笑みで胸を張る。

 どおりで古臭いはずだわ。

「じゃあ、ヨーコは千年近くも生きているの?」

「それがね、アタシも人間に討伐されちゃってさ、あのときは参ったわ。その後アタシは毒石となり、近づく者の命を奪っていたんだけど、玄翁和尚に破壊されちゃって各地へ飛散したのよね。それを今から二年ほど前に、ある人間が集めてアタシを蘇らせたってわけ。アタシは人間に復讐を誓ったんだけど、すぐには妖力や体力が戻らず、しばらくその人間に捕えられていたの。その間にアタシはいろんな知識や情報を教えられたわ。あまりにも世の中が変わっていたから、そりゃあもう驚いたのなんのって。それで人間が恐ろしい悪魔になってしまったのだとわかったのよね」

「悪魔?」

「そうよ。核兵器みたいな恐ろしいものを、幾つも造るなんて悪魔よ。アタシなんか、矢と刀で遣られちゃったんだから。銃だって反則なのに核兵器よ、核兵器。そんな悪魔を敵に回すほど、アタシはバカじゃない。あっさりと人間への報復を諦めたわ。妖力が復活して逃げ出したアタシは、目的を失いどうしたらいいのかわからず、あてもなく彷徨っていたの。そして去年のイベントでローカルアイドルに出会った。彼女を一心不乱に応援する男どもを目の当たりにして、アタシの絶世美女の血が騒いだのよね。アタシもアイドルになり、昔みたいに世の男どもを虜にして手玉にとると決意したの」

 そこでカケルと出会って、ローカルアイドルをやっているのね。

「アンタも人間に復讐しようなんて考えないことね。むざむざ命を落とすのが関の山よ」

 やはり私を心配してくれてるじゃん。

 ヨーコがケーキを食べる姿を、にやつきながら私は眺める。

「な、何よ?」

「別に~。それにしてもヨーコが狐だったとはね。それならそうと言ってくれればいいのに」

「言ったわよ。妖狐ようこ様だってね」

「ヨーコ、ようこ、妖狐……まったく、紛らわしい名前ね。でも、ヨーコが私と同じ妖怪で安心したわ」

「はぁ!? アタシを狸なんかと一緒にしないでちょうだい。九尾は妖狐の中でも、最も妖力を増した証。変化へんげだけでなく、幻視や人の心を操ることもできるのよ。琳とは格が違うんだからね」

 ヨーコは不本意といった口振りで否定した。

「へぇ~、そうなんだ。凄いね……心を操る? あ──────っ! カケルがヨーコに首っ丈なのも、その両親が私たちを居候させたのも、心を操ったからなのね!」

 私は確信をもって叫んだ。

「ばっ、バカなこと言わないでちょうだい。アタシが美しすぎるからに決まってるでしょ」

 図星を突かれたとばかりにヨーコは、ぷいっとそっぽを向いた。

 きっと彼女がそっぽを向くのは、嘘をついているときの仕草なんだわ。

「だけど、よく私がここに居るとわかったわね。それも妖術?」

「違うわよ。途中にあったお土産屋で人だかりができてたでしょ。そこで人ならざる者の視線を感じて後を追ったら、このビルに来たの。そこで少し離れた場所から見張っていたんだけど、おバカな狸がのこのことやってきて、童子に連れられ建物に入っちゃたってわけ」

 それで、お土産屋さんのところで足を速めたのね。てっきり意地悪されたのかと思ったわ。


 小一時間ほどすると、「さあ、帰るわよ」とヨーコが立ち上がった。

「大丈夫なの?」

「アタシは九尾の狐よ。これくらい、どうってことないわ」

 痩せ我慢しているのか、歩き出すも動きがぎこちない。

「もう少し、休んだら?」

「心配しなくても、のろまな荷物持ちに歩調を合わせてあげるわよ。それに遅くなればカケルたちが、余計な心配をして面倒でしょ」

 どう見ても歩調を合わせるのは、私の方である。まったく素直じゃないんだから。


 帰宅が遅くなったので、カケルとワタルが気をもみながら家の前で待っていた。

 私たちの姿が見えるとカケルたちは駆け寄り、傷だらけのヨーコを見て取り乱す。

「ど、どうしたの!? ヨーコちゃん」

 今にも泣きそうなカケルが尋ねた。

「ちょっと転んだだけ。大したことないわ」

 そう言いながら、ヨーコは目を怪しく光らせる。

「……良かった。でも、気をつけてね。ヨーコちゃんは僕らのアイドルなんだから」

 一転してカケルたちは和やかな表情になった。

 どう見ても、転んだだけには見えないでしょ。

 どうやら、またヨーコが心を操ったみたいね。

 私も操られないように気をつけよう。

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