第2話 介抱と解放

 う~ん。痛っ。

 私は体中の痛みで意識を戻した。

 えっと……私どうしたんだっけ? 確か車に撥ねられて……。

 目を薄く開け状況を確認すると、視線の先に成人の男性が二人と少年の姿があった。

 男性の一人は白衣姿で椅子に腰かけている。医者のようだ。どうやら私は病院に運ばれたらしい。

 もう一人の男性は四十歳くらいの中年である。

 少年は車から降りてきた子だ。年齢は十五、六歳くらいだろうか。

「レントゲンを見る限り、骨や臓器に異常は見られないですね。命に別条はなく後遺症もないでしょう。一週間もすれば元通り元気になりますよ」

 医者が男性と少年に説明した。

「よかったね、父さん」と、少年が男性に微笑む。

「まったくだ。俺の運転する車でひき殺したら寝覚めが悪くなるからな」と、男性は安堵の吐息をもらした。

 どうやら男性と少年は親子らしい。私は少年の父親が運転していた車に撥ねられたのね。

「ねぇ、父さん。この、治るまでウチで面倒みられないかな?」

「そうだな……先生、ウチに連れて帰ってもいいですか?」

 ちょっ、ちょっと待ってよ!

 いくら私が可愛いからって、家に連れ込んでどうするつもり!?

「ええ、構いませんよ」

「よかったな、カケル。だけど世話は、お前がするんだぞ」

 少年の名前は『カケル』っていうのね。人の良さそうな顔してるけど信用ならないわ。男はみんな狼だっていうもの。

「うん。大丈夫。ちゃんと世話するよ」

 少年は嬉しそうに頷くと医者に尋ねた。

「先生。ウチで猫を飼っているんですけど、この娘にもキャットフードを与えていいですか?」

 キャットフード!? この少年、私に猫のエサを食べさせるつもり? なんて失礼な!

「できれば他にも野菜や残飯などで構わないので、いろいろと与えた方がいいでしょう」

 残飯って……いくらなんでも酷くない!?

「はい」と頷き少年がこっちに振り向いたので、私はとっさに目を閉じて意識が戻ってないふりをする。

「先生。この娘ずっと目を覚まさないけど、大丈夫なんですよね?」

 心配げに少年が尋ねた。

「狸は臆病だからね、気絶しているんだよ。レントゲンのときも麻酔は使ってないから、じきに目を覚ますでしょう」

「もしかして寝たふりをしてんじゃないか? これこそ本当の狸寝入りだな。はっはっはっはっ」

 しょうもないことを言って一人高笑いする父親に、私はギクリとした。

 ばっ、バレてないわよね。覚醒してること。

「ところで狸を飼うのに、ゲージか何かあるのかい?」

「いいえ、先生。でも使われてない部屋があるので、そこで飼います。ウチの猫も拾ってきたときは、そこで飼っていたんです。いいよね、父さん」

「ああ、構わないけど責任もって部屋を使うんだぞ」

「うん」

 しばらくすると私はペットキャリーに移され、そのまま車(私を撥ねたミニバン)に乗せられた。助手席で少年が、ペットキャリーを膝の上に乗せ両手で抱える。

 私は人間の目を盗んでは、薄目で状況を確認した。

「なぁ、カケル。たぬこうが完治したら、どうするつもりなんだ? まさか飼うつもりじゃないんだろ」

「山に帰すよ。またハンターに狙われるといけないから、鳥獣保護区にね」

「それがいい」

 今は体中が痛くて逃げ出すのは無理だし、一週間もすれば回復して解放してくれるみたいだから、とりあえず様子を見ることにした。


 五分ほどして車は停車した。どうやら親子の家に着いたらしい。二階建てのごくごく普通の一軒家である。

 少年はペットキャリーを持って家に上がると、二階へ行き洋室に入った。

 見たところ室内は物置になっているようで、収納ボックスなどが置かれている。

 少年がペットキャリーをそっと床に置いて中を覗き込んできたので、私は慌てて目をつむった。

 ややあって目を薄く開けると、少年は部屋から荷物を運び出していた。

 私に傷つけられたり汚されたりしないようにするためだろう。

 少年は「これでよし」と呟くと、再び覗き込んできたので、私は狸寝入りを続けた。

 ペットキャリーの扉をそっと開ける音がしたあと、少年が部屋の引き戸を閉める音がした。

 どうやら少年は部屋を出ていったようね。

 私はゆっくりと体を起こした。まだ体中が痛くて思うようには動けないけど、なんとかペットキャリーから出て辺りを見回す。

 猫用のトイレと小さな座布団、そしてキャットフードの入ったお皿と水の入った容器が置いてある。

「どうだ? たぬこうは出てきたか?」

 いきなり部屋の外で男性の声がして、引き戸が開いた。

 驚いて振り返った私は、男性を睨みつけながら「アウウウウゥ」と唸り声をあげる。

「あ、ダメだよ。父さん。気づかれないように、こっそり覗いていたんだから」

 親子が部屋に入ってきたので、私は今にも飛びかからんばかりに激しく唸り声をあげ威嚇する。

「そんなに怒るなよ、たぬこう。カケルはお前さんに覆いかぶさり、ハンターから命懸けで守ったんだからな」

 私を助けた!? この少年が? もしかして彼の手足に擦り傷があるのは、そのせい?

「父さん、そんなこと狸に言ってもしょうがないよ。言葉は通じないんだから」

 ところがどっこい、そんじょそこらの狸とはわけが違うのよ。この私はね。

「それに父さんだって、ハンターの前に立ちはだかってくれたじゃない」

「そりゃ、ハンターがお前に銃口を向けていたからだよ。そんなおっそろしいこと、狸なんかのためにやれるか。ママには内緒だけど、少しちびっちまったんだからな」

 男性が近づいてきたので、私は威嚇しながら後ずさりする。

「んじゃ、これ秩山動物病院ちちやまどうぶつびょういんに返してくるからな」

 そう言うと男性はペットキャリーを手にして部屋を出ていった。

「驚かして悪かったね。もう覗いたりしないから、ゆっくり休んでいいよ」

 優しく囁いて少年も部屋を出ていった。

 そんなこと狸に言っても──心でツッコみながら、引き戸が完全に閉められ、少年の足音が遠ざかるのを確認する。

 ふぅ。緊張が解けたとたん、ぐ~っと腹の虫が鳴いた。

 ……とりあえず食事にしようかしら。腹が減っては戦ができないもの。逃げ出すこともできないわ。

 それにしても猫のエサなんて、と臭いを嗅ぎながら一口食べてみる。

 初めて食べてみたけど……悪くはないわね。

 そのまま一気に平らげ、お水で喉を潤してひと息つくと、便意を催した。

 猫用のトイレを眺めながら少しためらう。

 もしトイレを使ったら、人間の言葉をわかることがバレないかしら? でもトイレでやらないと部屋の中が臭くなるし………………やっぱり臭いのは嫌。

 用を足し終えると、固まる砂を被せてニオイを抑える。

 お腹も膨らんだし、あとは寝るだけね。ふぁ~っと欠伸しながら、座布団の上に横たわった。ふわふわで、いい感じ。

 今日は心身共に……とても……疲れたわ…………。


 すぐに深い眠りに落ちて、気がつくと翌朝だった。

 まだ体を動かすと少し痛いので、しばらく座布団の上でウトウトしていたら、誰かが近づいてくる足音がした。

 そっと引き戸を開けた少年が覗き込み、「おはよう」と優しく微笑む。

 私は唸り声をあげて少年を睨みつけた。

「ごめんよ。すぐに終わるからね」

 小声で言い部屋にそっと入ってくる少年。

 そしてトイレを見て、

「君はお利口さんだな。教えてないのに、ちゃんとトイレでやるんだもの」

 と、感心しながら排泄物を片づける。

 私は、『当然よ。そんじょそこらの狸とは、わけが違うって何度も言わせないでちょうだい』と唸る。

 少年は朝食の皿を置くと、「じゃあ、また夕方に来るね」と、排泄物と昨日の皿を持って部屋を出ていった。

 朝食はリンゴや人参などで、食べやすいサイズにカットされている。


 夕食時に少年が部屋に入ってくると、そのあとから一匹の黒猫が飛び込んできた。

 猫が私に気づくなり「フーッ」と威嚇してきたので、私も負けじと唸り声で対抗する。

「ノブナガ。勝手に入っちゃダメだよ。この娘は大切なお客さんなんだからね」

 少年は威嚇したままの猫を持ち上げ、部屋の外に出すと引き戸を閉めた。

 この家の飼い猫のようね。ノブナガという名前らしい。もしかして私がキャットフードを食べたから怒ったのかしら。


 それから毎日、朝と夕方に少年は部屋へやってきて、同じように世話をしていった。

 この状況に段々慣れてきて、四日目には唸り声で威嚇するのをやめた。

 五日目からは食事を待つようになり、六日目の朝には近くに少年がいても気にせず食事をとるようになっていた。

 食事が終わると座布団へ戻り、少年に背を向けて寝たふりをする。もう体の痛みはない。

 優しい眼差しを向けていた少年が、

「もう体は大丈夫みたいだね。明日にでも山に帰してあげるよ」と囁いた。

 その言葉に思わず振り返ると、少年は驚いた面持ちで、

「時々君は言葉がわかるような反応をするね。偶然なんだろうけど」

 と微笑む。

 私は素知らぬふりで大きな欠伸をすると再び狸寝入りした。やばかったわ。気をつけなくちゃ。


 やっと山に帰れる……とても嬉しいはずなのに、素直に喜べなかった。

 それは私が文福茶釜の唯一の子孫であることが関係している。

 文福茶釜は人間に恩返しをした狸として、今もなお人々に語り継がれている。そんなご先祖様が誇りだった。

 人間に恩を受けたら恩返しするという家訓を、私はパパとママに教えられて育った。

 そうすることが当たり前だと思っていたのに、その人間に両親は殺されてしまった。

 ママは、かちかち山の狸みたいに悪い狸がいるのと同じで、人間にも善悪があると言ってたわ。

 私をハンターから守ってくれた少年は良い人間なのだろう。いつも私を気遣っているのがわかるもの。

 それでも人間は親の仇。憎い怨敵に恩返しなんて、できるわけないでしょ。それなのに、なんなのよ。この心のモヤモヤは!?


 翌朝、少年はペットキャリーを持ってきた。動物病院のとは違うから、きっと飼い猫のだろう。それを床に置いて扉を開けると、中に座布団を入れた。その中に誘き寄せるつもりらしい。

 最後だからか食事の量がいつもより多い。食べ物を粗末にしてはいけないという親の教えに従い、頑張って完食した。決して食い意地が張ってるわけじゃないのよ。げっぷ。

 お水を飲んで一息つくと、私は大きく欠伸して恐る恐るペットキャリーに近づく。あたかも座布団の上で寝たいけど戸惑っているかのように、芝居を打ってみせた。だって、すぐに入ったら疑われるもの。人間の言葉が、わかるんじゃないかってね。

 そしてペットキャリーに頭を突っ込んだときだった。

「どうだ? たぬこうは入ったか?」

 勢いよく部屋の引き戸が開き父親が現れた。

 驚いた私は飛び跳ねてペットキャリーに頭を強打。いった────い。

 私は男性に対して唸り声をあげて威嚇する。

「ダメだよ、父さん。もう少しで入ったのに」

 少年はがっかりした様子で嘆息した。

「そりゃあ悪かったな。けど、いつまでも待っていられないから、ペットキャリーに入れるのを手伝おうと思ってな」

「もうちょっと待ってよ。この娘に負担をかけたくないから、自分で入るのを待ちたいんだ」

「そっか、わかったよ。でも、あまり時間がかかるようなら、無理やりでも押し込むぞ。今日中に山へ帰せなくなるからな」

「うん」

「じゃあ準備ができたら、声をかけてくれ」

 そう言って父親は部屋から出ていった。

「驚かしちゃって悪かったね」

 と囁いた少年は、引き戸を背に小さく腰かけ、こちらの様子を窺っている。

 あまり長く待たせても悪いし、無理やり押し込められるのも嫌なので、再び芝居を打ってペットキャリーに入った。

 大きく欠伸をすると狸寝入りして、忍び足で近づく少年に気づかぬふりをする。

 そっと扉を閉め「君は本当にお利口さんでいい娘だ」と、少年は微笑んだ。

 それからすぐ車に乗せられ、小一時間ほど走って目的地の鳥獣保護区に到着した。

 かなり山奥まで来たらしく、ここから先は車では行けないようだ。

「父さん。もう少し奥で放してくるから、しばらく待っていてくれる。二十分ほどで戻ってくるよ」

「おう。気をつけて行ってこい」

 少年は車を降りるとペットキャリーを手にして登山道を歩き出した。ゴツゴツした岩が散在して歩きにくそうな山道を慎重に登っていく。

 私に負担がかからないように気遣っているのだろう。ほとんど振動を感じず、とても乗り心地がいいもの。

 そのため数分後には、少年は汗をかき息を切らした。断じて私が重いからじゃないわよ。だって私の体重は五キログラムしかないんだから。

 十分ほどすると立ち止まって大きく息を吐いた少年は、

「ここまで来れば大丈夫だろう」

 ペットキャリーを地面にそっと置き扉を開けた。

 私はゆっくりと外に出て辺りを見回す。狭い空間から一週間ぶりに解放され、やはり嬉しい。

「さあ、お行き」

 少年に腰を軽く押されて、私はそろりそろりと山道を登り始める。

 ただの狸なら走って逃げ去るところだけど、心のどこかで少年に恩義を感じているのか、足取りが重い。

 そりゃ両親を殺したのは少年じゃないし助けてもらったけど……それでも憎んでも憎みきれない人間に違いないもの。

 私は心の惑いを振り払うように頭をぶんぶんと振ると、顔を上げ小走りで前へ進んだ。

 そもそも人間が私たちに危害を加えるから、いけないんじゃない。

 それを少年が償ってるだけよ。

 きっと自己満足や罪悪感で、私の世話をしていたに違いないわ。

 どんなに償ったって人間は親の仇、もうパパとママは戻らないんだから!

 私は立ち止まって振り向いた。

 とっくに居ないはずの少年を睨みつけてやるつもりだったのに、彼は優しい眼差しで私を見守っていた。

 そして、大きく手を振りながら、

「精一杯生きて幸せになるんだぞ」

 と叫び、山道を足早に下りていく。


 どうして……どうして、そんなこと言うのよ。パパとママが最後に残した言葉と、同じことを──


 一瞬にして怒りが雲散霧消し体が震えだす。

 優しくて大好きだったパパとママ。思い出が次々と蘇り涙が溢れ出た。その両親と少年の姿が重なる。

 もしあのとき少年が身を挺してハンターから守ってくれなかったら、私はきっと殺されていた。彼は自身も撃たれる危険を顧みず助けてくれた命の恩人じゃない。

 やはり私は文福茶釜の唯一の子孫、パパとママの子だもの。

 どんなことがあっても少年に、カケルに精一杯尽くして恩返しするわ。

 私は全力疾走で来た道を引き返す──が、しばらくして突然便意を催した。

 欲張って朝食を目いっぱい食べたのに、まだトイレに行ってなかったのよね。

 そもそも少年の見てる前じゃ、出るものも出ないわよ。

 ギュルルルルル。お腹が悲鳴をあげている。

 ううううううううううううううううっ、もうダメぇ~~~~~~~~っ。

 慌てて近くの草むらに飛び込み用を足した。

 ブリブリブリブリブリッ。抜けるような青空に炸裂音が鳴り響く。

 はああぁ~助かったああぁ~。

 雲がのんびりと流れ、爽やかな風が頬を撫で、草木がそよいだ。

 やはり野外は開放感が違うわ──って、青空を眺めながら小さな幸福感に浸ってる場合じゃないでしょ!

 私は急いでカケルの後を追いかけた。

 車道に近づいたとき、バタンというドアの閉まる音が響いた。

「カケル、行かないで!」

 叫びながら車道に飛び出すも、すでに車は発進していた。

 そのあとを「カケル! カケル!」と、叫びながら必死に追いかけたが、車はどんどん遠のき見えなくなってしまった。

 息を切らせながら徐々にスローダウンすると足を止めて辺りを見渡す。

 かなり遠くまで来たらしく、ここがどこなのか皆目見当もつかない。

 とにかく、この道を下るしかないわね。

 車一台がようやく通れるような道を歩くこと数時間、なんとかふもとまで辿り着いた。

 遠くに人家も見えてきたし、そろそろ人間の姿で行動した方がよさそうだわ。

 私は道を逸れて獣道もない木々の中に入り身を隠す。

「ぽんぽこ、ぽんぽこ、ぽんぽこりん」

 呪文を唱えると、私の周りを一陣の風とともに落ち葉が渦を巻きながら舞い上がり、私の体を隠した。つむじ風が止んで落ち葉がひらひらと舞い落ちる中、私は人間に化けた姿を現す。年齢は狸と同じで十四歳の女の子。

「カケルの家まで距離がありそうだから、動きやすい格好がいいわね」

 近くの枝から葉っぱを数枚取り、「ぶんぷくぷん」と呪文を唱えると、それぞれの葉っぱが衣服や手鏡になった。

 靴下と下着を身につけ、赤とピンクのジャージを着て運動靴を履けば身支度はOK。

 おっと、忘れていたわ。

 狸はあまり視力が良くないのよね。

 あと二枚葉っぱを取り呪文を唱えると、ひまわりのヘアピンと、赤いフレームの可愛い眼鏡になった。

 ヘアピンで髪を留めて右側の額と耳を出し、眼鏡をかけたら手鏡で容姿を確認する。

「うん。完璧だわ」

 髪の色はショコラブラウンで、ミディアムのヘアスタイル。

 胸には躍動感あふれるプーマ……ではなくタヌキのマーク。

 狸には化けられる狸と、そうでないただの狸がいる。私のご先祖様は茶釜に化けた偉大な狸。とは言っても茶釜から元に戻れなくなった、ドジな狸なんだけどね。文福の家系は変化へんげの術を代々受け継いできた。私も幼いころから両親に術を教わり、人間に化けられるようになったわ。人間についての知識も教わり、言葉やある程度の常識はわかるつもりよ。

 確か病院の名前は秩山動物病院だったわよね。

 まずはそこを目指すことにした。

 木々の中から出て、再び道なりに進む。


 途中で人間に尋ねながら彷徨うこと三日、どうにかカケルの家に辿り着いた。はぁ、疲れた。

 カケルはもう夏休みのはず。時間は午後三時ごろよね。家にいるかしら。

 ドキドキしながら呼び鈴を鳴らすと、「はーい」と返事がしてドアが開きカケルが姿を現した。

「あっ、あの、恩返しにきたの」

「?????????????????」

 彼はしばらく口をぽか~んと開けたあと、

「えっと~、家を間違えてるよ」

 笑顔でドアを閉められた。どうして?

 いきなり見知らぬ美少女が、恩返しにやってきたのよ。

 健全な男の子なら、泣いて喜ぶはずなのに。

 きっと、そんなおとぎ話みたいなこと日常ではあり得ないから、素直に受け入れられないんだわ。

 再び呼び鈴を鳴らすと、ドアが開いて困惑気味のカケルが顔を出す。

「間違えてない。だってカケルが助けた狸の恩返しに来たんだもの」

「狸の!? えっと……君、誰?」

「私はりん。あの狸の飼い主よ」

「えーっ!? あの狸、君のなの? ゴメン。そうとは知らず鳥獣保護区に放しちゃったよ。どうしよう……」

 彼は申し訳なさそうに、両手を頭の上で合わせた。

「大丈夫。あの狸はちゃんとウチに戻ってきたから安心して」

「そっか。良かった。やはりあのは頭がいいんだな」

 カケルは安堵の表情を浮かべた。

「もちろんよ。そんじょそこらの狸とはわけが違うの。それに可愛くて性格もいいんだから」

「だけど、どうしてウチで狸を助けたってわかったの?」

「えっ!? それは……ハンター、ハンターから聞いたの。いろいろ捜したのよ。どうしても恩返しをしたくて」

「別にいいよ。そんなつもりで助けたんじゃないし、ウチの車で怪我させちゃったんだから」

「そっちは良くても、こっちは良くないの。恩返しをしないと、ご先祖様に顔向けができないんだから」

「ご先祖様?」

「ううん。こっちの話だから気にしないで。とにかく絶対に恩返しをするって決めたの」

「困ったな……恩返しって言われても、何をしてくれるの?」

「なんでもするわ。何がして欲しい?」

 するとカケルはニコッとして、

「本当だね。本当になんでもするんだね。武士に二言なしだよ」と私に詰め寄った。

「すっ、するわよ。なんだって……」

 武士じゃないけど命を助けられたんだから、それなりの覚悟はできているわ。

「じゃあ、こっちに来て」

 彼に手を引っ張られ、家の中に入り階段を上がる。

「ちょ、ちょっと、どこへ行くの?」

「僕の部屋だよ」

 え!? いきなりカケルの部屋へ連れていかれ、何をやらされるの?

 急に心拍数が上がり始める。

 部屋に入るとカケルが、「これを見て」と、興奮気味に両手を広げた。

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