エアコン7

 庭に足を放り出しながら縁側に座って星を見ていると雪村さんがやって来た。


「お風呂空きました」


 もう十一時半と時間が遅いことを気にして急いたのか、髪の毛がまだ濡れている。


「きちんと乾かしてからでいいよ」

「……」


 すこしの間があく。それから雪村さんが横に腰掛ける。

 甘い匂いが鼻腔をくすぐり、彼女が新しいシャンプーを買っていたことを思い出す。


「みのりちゃん可愛かったですね」

「ませてきてね。一緒にお風呂に入ってくれなくなった」

「みんないい人たちでした」

「いつも助けてもらってるんだ」

「私もっ」


 彼女は鋭く息を吸い込み、躊躇うように言葉をつづけた。


「私も、あの和の中に入れるんでしょうか」


 胸の内を吐き出した彼女は、不安と期待が入り混じる瞳で僕を見つめる。わずかにうるんだ黒い水晶は、光を反射し明滅する。

 間違えるなと、自分に言い聞かせる。

——漢なら背中で語ってなんぼのもんじゃい。


「風花」


 言葉よりも行動で。目の前の少女との距離を縮めたいという意思を、振る舞いに乗せろ。


「はいっ」


 何故だか正座になり、居住まいを正した彼女につられて、僕も正座になる。


「ええと、その……」

「はい」


 行動で。行動……。えぇ……?

 行動どころか、言葉すら出て来やしない。言葉で表せぬ意思を行動で表すことができようか。いや、できない。


「「……」」


 視線をそらさず相対する様は、さながら武道の試合前か。

 虫の音が星々の瞬きと共鳴するが沈黙は埋めきれない。


「「……」」


 沈黙。


「あの」「あのさ」

「「どうぞ」」

「「……」」


 お互いに我慢の限界を迎え正面衝突。武道の試合なら、目を覆いたくなるような出だしだ。


「ええと」

「はい」


 さりとて自分も沈黙の間にただ手をこまねいていただけでは無い。今、言うべき最良の言葉を考え抜いた。


「とりあえず、敬語やめない?」


 所詮私の浅知恵などこのようなレベルです。

 僕の提案に対して、彼女は


「はいっ!」


 と答えた直後に、「あ」と何かに気づいてから


「うん!」


 と答えた。

「うん」


 曖昧な返事をしつつ、もう一度夜空へと視線を逃がす。


「晴人、ありがとう」

「うん」


 もう一度、彼女の方へ振り替えることはできなかった。


 銀砂のように散りばめられた星々と、山々に反射され降り注ぐように響く虫たちの声。静謐な空気を胸いっぱいに吸い込もうとすると、ここら一帯にたなびく葡萄と樹液の甘い香りで満たされる。夏一杯の風景は、胸の扉を期待でノックした。

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