エアコン5
「お待ちしておりましたよお」
玄関の戸を開けると、わざとらしく両腕を広げた妖怪がいた。新井少年である。
「あのさぁ。不法侵入って知ってる?」
妖怪に現代社会の常識を教えてやろうという意気込みで問いを投げた。
「ささ、早くしないと皆さん来てしまいますよ」
都合の悪いことは聴こえない優秀な聴覚を備えた妖怪は手拍子を打ちながら僕らを急かす。
「皆さん?」
この三人の他に誰か来るのか、と雪村さんは首をかしげる。
「谷渡氏ぃ……」
お前伝えていないのか、と非難の視線を向けられる。
「あれ? サプライズとかじゃなかったの?」
「何ですかな。サプライズって。お誕生会でも開くつもりですかな?」
人を小バカにした調子で妖怪は言った。
「パーティとか洒落た言葉をはじめに使ったのは君じゃあないか」
ムッとしつつも妖怪に昨日から尋ねたかったことを聞く。
「誰が来るのか僕も知らないんだけど」
「まあ、大体いつもの面子ですかなぁ」
「まあ、そうなるよね」
恒例行事となりつつある。状況報告会とは名ばかりの食って飲んで騒ぐだけの夕飯か。
昨晩からの楊枝の先程度の疑問が解決されたところで、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「そういえば裕兄帰ってきてるの?」
「一昨日帰ってきて、このままお盆明けまでいるみたいですかぁ」
「サークルの合宿みたいなのないのかな?」
「そういった類は九月に行うみたいですなあ」
「ああ」
そういえば大学は九月も休みなんだっけ。
裕兄こと小林裕作は僕と新井少年にとって二つ年上の幼馴染にあたる。去年までは僕らと同じ高校に在籍しており、我らが担任小林康作の弟でもある。
「てことはそろそろ穂乃果さんも来る感じ?」
「そのようですなあ」
「早く言ってよ。そういうのは」
風呂を沸かして、食材の下処理を始めてたほうがいいなと結論付けたところで、雪村さんがポカンとしていることに気づく。僕だけが疑問に対する答えを得たことで困惑しているのだろう。
「ええと、裕兄っていうのは大学一年の近所の兄さんで、穂乃果さんってのは裕兄の
お兄さんのお嫁さん」
「一応私と谷渡氏とは十年来の知り合いになりますかなあ」
僕の説明に対して、新井少年が注釈を付け加える。
「お兄さんのお兄さんのお嫁さん……?」
口頭で説明するには若干入り組んだ交友関係に雪村さんは一瞬の混乱を見せるが、すぐに点と線がつながったようで「ああ」と小さく納得し、次の疑問を口にする。
「では裕兄……さん? のお兄さんは?」
「来ると思うよ。ちなみに僕らの高校の担任でもある。先生の娘も来るかな」
あとは……。と続けようとしたところで新井少年に疑問を投げかける。
「そういえばおじさんとおばさんは?」
「父君は仕事があるみたいですかなあ。母君は例の婦人会ですかなあ」
「えぇ……。あれまだやってるの?」
ここ最近婦人会は耕作放棄地について侃々諤々の議論を行っている。継ぎ手がおらず放置された農地はタヌキやイタチといった野生動物の住処になったり、植物病の温床になったりする。
それを解決すべく先月から始まった房町婦人会臨時集会は耕作放棄地対策とは名ばかりの大規模井戸端会議をしばし繰り広げている。ここ一週間の議題は突如として『谷渡家に現れた謎の美少女の正体について』がほとんどだろう。
小言の好きなおばあさん連中が年頃の男と娘が一つ屋根の下に暮らしている状況に「破廉恥な。破廉恥な」と繰り返す姿を想像してげんなりする。
「あの」
「ん?」「はい?」
再び次の話題を始めようとした僕らに雪村さんが声をかけ、僕らは同時に顔を向ける。
「とりあえずお肉、冷蔵庫に入れません?」
僕の持つエコバックを指さし、至極全うな提案をした。
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皮の剥かれたジャガイモに包丁を押し当て力を加えると、芋の切断される子気味いい感触の後に、金製の包丁と木製のまな板のぶつかる音が鳴る。隣に立つ新井少年は器用にも包丁でジャガイモの皮をむく。器用さは新井少年の持つ数少ない長所のうちの一つだ。
今日はきみが主賓だから休んでてと言ったら、「いえ、私も手伝います」と妙に食い下がってきた雪村さんは、今は風呂の準備をしに行ってる。先ほどまで新しく彼女用に購入した食器を鼻歌交じりで洗っていた。嬉しそうに肩をゆする彼女を見ているとみぞおちの辺りから熱い何かが込み上げてくる感じがした。
「よかったですなあ」
先ほどの雪村さんの姿に新井少年も思うところがあったようで、賛辞とも独り言とも取れる言葉を台所という空間にポンと置いた。
「うん」
新井少年の言葉を拾い、代わりに同意の言葉を置いた。
「よかった」
もう一度、自分自身に対して確かめる様に新井少年がこぼした言葉と同じ意を示す音を呟く。
ジャガイモを全て切り終わり、今度はニンジンに刃を入れ始める。
「なんかさ」
「はい」
僕の言葉に返事を返した新井少年にとつとつと語りだす。
「今日の雪村さんさ。よくしゃべったんだ」
買い物中の彼女の姿を思い出しながら言葉を続ける。
「はい」
「リアクションもいつもより大きくてさ」
いや、と思い直す。彼女のリアクションはここ一週間、常に特大だった。局地的氷結現象というおまけつきだ。苦笑しつつも言葉を続ける。
「なんていうかすこしだけ近づいた気がする。 閉まってた扉が少しだけ開いた感じ」
「はい」
「新井少年のおかげじゃない?」
包丁を動かしていた手を止めて、ジャガイモの皮をむき終わり、鶏肉を捌き始めた少年に顔を向ける。
「なんのことですかあ」
「彼女に何か言ってくれたんじゃない?」
「本当に私は知りませんなあ」
目の前の少年はこちらを向くことなく、鶏もも肉を唐揚げ用の大きさに切っていく。これから来るであろうカレーと唐揚げが大好きな小学校に上がったばかりの女の子の為に僕たち男子高校生にとっては少し小さめの大きさ。とぼけているような様子もない。
「ただ……」
「?」
いぶかしげな眼を向ける僕に対し新井少年は語り掛ける。
「谷渡氏なら何とかすると思ってますかなあ」
「え、あ、うん」
悪友もしくは親友からの唐突な信頼している宣言を受けて、背中にむず痒いものを感じ、思わず返答に詰まる。
彼女の持つ寂しさというのは、僕が彼女から直接聞くべきことなのだろう。
「あー無し無し。今のは無しでありますかあ」
新井少年も照れはじめ、調理中の二人の間に数年来の付き合いでも稀な妙な空気が流れる。
カッ、カッ、カ。包丁の音だけが鳴る。
誰かこの空気を何とかしてくれ! と願ったところで、タイミングよく雪村さんが戻ってくる。
「あ、お風呂のお湯入れ始めました」
「ありがとう」
「何か手伝いことありますか?」
「新井少年なんかある?」
「唐揚げとかどうですかなあ」
「唐揚げの下処理わかる?」
「はい。できると思います」
「じゃあ、お願いしてもいい? 小麦粉と片栗粉は机の上に置いてある。しょうがは冷蔵庫にあるから」
「まかせてください!」
雪村さんは両手をぎゅっと握って小さくガッツポーズをするとなんだか少しうれしそうに頷いた。
時折言葉を交わしながら三人で料理を進めているとチャイムの鳴る音がして、穂乃果さんと娘であるみのりちゃんがやって来た。
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