エアコン4

「雪村さん。今日予定ある? ちょっと街の方まで降りてみない?」


 翌朝。一晩必死で考えた作戦。それは買い物だ。


「町?」


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 焼けつくような日差しの中、アスファルトで舗装された坂を下りながら歩いていると雪村さんが声をかけてくる。


「何か用事でもあるんですか?」


「うん。買い物に行こうと思ってね」


 道の両脇にあるのは低い塀の民家とブドウ園ばかりで日陰を作るような遮蔽物は存在しない。道幅は軽自動車がギリギリすれ違うことの出来ない程の広さしかなく、僕らの他に歩行者はいない。


「あ、雪村さん」


「はい。なんでしょう」


「スイカ持ってる?」


 数秒間、返事がないのを不審に思い彼女の方へと顔を向けると、頭の上にはたくさんの疑問符が浮かんでいた。小さく首をかしげる様子がなんとも愛らしい。


「スイカですか……? 持っていませんが」


「あー。ちがうちがう」


 否定の意を込めながら手を振り、財布から緑色のICカードを取り出す。なんだこのお約束。


「あぁ」


 握った右手で手の平を打ち、納得の意を示した彼女は、バックから僕の持っているのと全く同一のカードの入った水色のパスケースを取り出す。。


「持ってます」


 彼女はパスケースを僕の眼前へと掲げる。


「街までバスで行くからね」


 掲げたパスケースのビニールに太陽の光が反射された。




 住宅地を抜けると歩道の広く取られた片側一車線のこの辺りでは比較的広い道に出て、視界の中をブドウ園が占める割合が多くなる。

 

 青々とした葉を茂らせた枝が作る緑の天井からは日の光が抜けていて、袋をかぶせられたブドウの房が垂れさがる様子はまるでシャンデリアのようだ。


 僕らを追い抜くように走っていく軽トラックは段ボールを積んでいる。おそらくあの中にはたくさんのブドウが詰まっているのだろう。樹から地面に落ちて潰れたブドウの甘い匂い、土のにおい、日に焼けるアスファルトのにおい。いつも通りのこの町のにおいだ。


「谷渡さん」


「なんだい?」


 彼女に目を向けると、UMAでも目撃したかのような表情でブドウ園の一角を指さしていた。人差し指の示す方向には一台の白い軽トラがある。


「ああ。軽トラだね。さっきも通ったよね?」


「いえ、あれが軽トラックであったことは理解できます」


「いや、今も十分軽トラだと思うけど」


「上半分がないじゃないですか!」


 彼女はブドウの樹を車庫の屋根の様にして停まるキャビン――いわゆる乗車席の部分――の上半分が切断され中途半端なオープンカーのようになった軽トラックをもう一度勢いよく指さす。鋭利な何かによるものと思われる切断面はそれがいわゆる交通上の事故によってできたものではないことを物語っている。


「まさかこの辺りには鎌鼬が……」


 おびえる様にあたりを見回す彼女はなんだか食事中に尻尾を触られた猫のようだ。


「もしかしてああゆう形態は一般的じゃない?」


「少なくとも私は初めて見ました」


 なんてことだ。小さいころから慣れ親しんでいたせいで全く違和感を持っていなかった。まさかオープンカー(笑)などと言って乗っていたあれが鎌鼬の仕業と見紛う程の珍品であったとは。


「ブドウの樹ってかなり低いじゃない?」


 実際ブドウの樹の作る屋根の高さは一メートル五十センチをやや超す程で少し屈まねば潜れないほどには低い。


「たしかに想像よりは低いような気がします」


「普通の軽トラは入れないじゃない?」


「まぁ、たしかに」


「だから切るわけですよ」


「なぜ!?」


「あのまま運転して、軽トラの中から作業をすると楽なわけですよ。ほらブドウの収穫って腰を痛めそうでしょ」


 そう言ってブドウの収穫をしている人たちを指さすと背中をそるようにして木下に


 入り込みブドウを一房ずつ収穫している。


「ええ……。でも確かに。でも、ええ? いいんですか?」

「車道を走るわけじゃないしいいんじゃない?」

「うーん。でも……。うーん……」


 その後も彼女はうんうん唸りながら歩いていた。少女の唸り声と靴底がアスファルトを叩く音を引きずりながらしばらく、バス停についた。



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 バスに揺られて三十分ほど、ショッピングモールについた。


「イオ〇じゃないですか!」


 何が気に入らないのか彼女は張りのある声で叫ぶ。終始無言だったバスの中とのギャップがひどい。


 いちショッピングモールが占めるとは思えないほどの雄大な敷地に巨大な竜のように横たわったそれは、その壁面に東〇シネマ、ユニク〇、ダイ〇―、といった有名店舗の広告を誇るように掲げている。


「そうだね」


「なぜ、町なんて表現を」


「昔は買い物といえば街だったんだよ」


 街に繰り出せ、みたいな。


「今は邪知暴虐のショッピングモールの勢いに押し負けて衰退したけど」


「随分と棘のある言い方ですね」


「まぁ、実際に潰れた店を見ているからね」


「その割にはしっかりと利用するんですね」


「常に権威には逆らえない。それが、庶民が庶民たる所以なのだよ」


「その民衆の意志の弱さが、権威の増長を許すんじゃないですか?」


「まあ、人間はより便利なものに惹かれるからねぇ」


 元も子もないことを言いながら、一時でも早くアスファルト灼熱地獄から逃れるべく足早に建物の中へと入っていく。


 わずかながらにも減らず口をぶつけ合えるようになったのはここ数日のコミュニケーション努力の賜物といえるのではないだろうか。減らず口が一、沈黙が八、そして連絡事項が一くらいの割合。何とも歪んだコミュニケーション体系である。


「それで何を買いに来たんですか?」


「ああ、食器とか」


「ご、ごめんなさい……」


「?」


 肩身の狭さを感じるかのような態度に、彼女はコップを割ったことを気にしているのだと納得する。またしても笑顔の幻影が脳裏に飛来する。


「そうじゃなくてさ」


 雪村さんの瞳を見据え続ける。


「箸。いつまでも来客用のやつを使う訳にはいかないじゃない?」


 彼女は一瞬、ぽかんとした後に、


「あ」


 と発し、肩を震えさせる。それから目を細めて。


「はい!」


 とうなずいた。僕は自分のセリフに背中がかゆくなり、彼女から目をそらす。


「あと食料とかもついでに買っていこうかな。今晩、新井少年が来るらしい」


 ついでとばかりに付け加えた後に、彼女を促し雑貨屋へと向かった。


 僕らの足取りは心なしか弾んでいたような気がした。

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