エアコンとの出会い

「谷渡氏ぃ。新井がやってきましたよお」


 予告通り午後一番に夏の陽気と共になんとも責任感の無い声がやって来た。登場BGMはセミたちの割れんばかりの大歓声。例の如く、玄関を勝手に開けてのご入場だ。


「昨日ぶりだね……。このクソ暑い中ご苦労様」


 昨日のこの時間帯にはしばらく会うことも無いだろうとか思っていたのに何とも不幸なことだ。だるさが前面に押し出るように心掛け、待っていた客を迎え入れる。


「ていうか、朝一番に来てくれよ。今からエアコン設置とか熱中症で倒れる自信しかない」


 もうすでに、ティーシャツの首から背中にかけては汗でぐしょぐしょになっている。天気予報では今日の最高気温は三十六度らしい。


「その点は心配ありません」


 したり顔で、新井少年は告げる。

 業者がやってくれるのかな。そんな淡い期待はやはり新井少年の言葉によって打ち砕かれる。


「どうぞお入り下さるかあ」


 ガラガラといきなり開けられた引き戸。外の眩しさに目が眩む。




 真昼の光量に瞳孔が一気に収縮する。


 徐々に慣れてくる視界に入るのは目を覆いたくなるほどに青い空、輝き膨らむ入道雲。


 そして一人の少女だった。


 日の光を背にしていて、その表情は十分にうかがうことはできないが、澄んだ深い夜色の瞳は彼女が背にした太陽の作る影よりも濃い色で輝いていた。

瞳の湛える深さに深さに深さに深さに思わず吸い込まれそうになる。夜空に星を見出すときの様に、ただまじまじと見つめてしまう。


(綺麗な目だなあ……)


 両手には、大きなカバンが二つ提げられている。


 エアコンでは無い何かが来るとは予想していたが、女の子が来るとは完全に予想外だった。


「こちら、今日から谷渡氏のご自宅でお世話になります雪村風花さん」


「今日から? お世話になる?」


「ゆっ、雪村風花ですっ。よろしくお願いします!」


 雪村さんが深く頭を下げると、長くのびた綺麗な黒髪がはらりと風に乗る。硝子の様な声だった。この時期には風鈴のような声、と表現するのが最も適当なように思えた。


「あ、谷渡晴人です。どうも」


 疑問も置き去りに。礼儀正しい挨拶についこちらも返してしまう。


 真昼の光量に目が慣れてくると、目の前の少女の見姿が徐々に見て取れるようになってくる。


 身長は新井少年と同じくらいだろうか。すらりと伸びた手足は白く、朝露の様に透き通っている。上気した頬は夏の暑さのせいだろうか、もしかしたら緊張しているのかもしれない。


「あー、外は暑いしとりあえず入ったら?」


 玄関の前できちんと足をそろえて動こうとしない少女に促す。


「お、お邪魔します」


 恐る恐る、と言った風に玄関の中へと入ってくる。


「で、どうゆうこと?」


 今さっき、今日からお世話になるって言ったよな。聞いてないぞ。そもそもエアコンが来るはずじゃなかったのか。数々の非難、疑問を乗せ新井少年へと言葉を投げる。


 雪村さんもつられて新井少年の方を見る。


「まあ、立ち話も何ですから。涼しい部屋の中へ入りましょう」


「クソ暑いけどね。誰かのせいで」


「まあまあ。すぐに涼しくなりますかなあ。ねえ雪村氏」


「きょ、恐縮です」


 この状況についていけない少年。拳を胸の前でぎゅっとにぎって何やら恐縮する少女。相変わらず、人間を化かした狐の様な嫌な笑みを張り付けた妖怪。二人と一匹がそこにいた。


 妖怪だけは、この上なく楽しそうであるのが非常に気に食わない。風に揺れる切りそろえられた前髪が何とも憎らしかった。





「新井少年。つまり君の話によると彼女がそのエアコンだと」


 三人で木造りの机を囲みながら、ここまでの話をまとめ、認識に齟齬が無いかを確認する。


「だからそういってますかな」


 雪村さんはオロオロと首を振り、僕ら二人の間をいったりきたりさせる。


「君の話を聴くと、彼女が雪女でこの夏、快適な涼しさを提供してくれるということになるけど?」


「そのとおりですかな」


「ええい! 信じられるかい!」


「あ、あのっ!」


「ごめん。雪村さんちょっと待っててもらえる?」


「は、はい……」


「こんな可愛らしい少女の言葉を遮るとは何事ですかあ!」


「ええい! 元はと言えば全部君のせいだろ!」


「なんですと! 自分が雪村氏を連れてきたのが原因だと申されるかあ!」


「ご、ごめんなさ……」


「ち、ちが、雪村さんは悪くなくて」


「そうですとも。そうですとも。すべて谷渡氏が悪いのであります」


「なんだと!」


「あ、あのっ。二人とも落ち着いてっ」


 あわや殴り合い。取っ組み合いの喧嘩が始まろうという所で雪村さんが僕らを止めに入る。


「し、深呼吸して。二人とも。ほら、すってー、はいてー、すってー、はいてー」


 どうどうと、牛をなだめるように、雪村さんが僕ら二人を落ち着けようとする。


「すってー。はいてー」


 雪村さんの言う通りに呼吸を整えていると、高ぶっていた気持ちが急速に冷えていくのがわかる。冷静になり、初めて自分が尋常じゃないほど汗をかいているのが分る。暑い。


 そうして、雪村さんに対し、お茶も出していないのに気付く。


「ごめん、喉乾いたよね。麦茶でいい? 今持ってくるよ」


「い、いえ……。お構いなく……」


「おお! そういう事でしたら自分が」


 あとは若い二人にお任せしますかなあ、と意味不明な口舌を残して、そそくさと新井少年が出ていく。


 初対面の少女と二人残され、気恥ずかしさにおそわれる。


 彼女の方を見ると、目が合ってしまい、お互いに顔を俯ける。新井少年が去ったからか、心なしか部屋が涼しくなった気がする。


 もう一度、顔を上げてその顔を確認する。気恥ずかしいと感じているのは僕だけではないのか、雪村さんの頬は赤く染まっている。両手は、正座をした膝の上で硬く閉じられている。


(綺麗な人だなぁ)


 感心するとともに、申し訳ないと思う。これまでの彼女の様子から、かなり緊張しているのだろう。新井少年の話を信じるなら、彼女は今日からしばらくここに住むつもりで来たのだ。


男一人が住む家にたった二人きりで。彼女の持つ荷物の量からもそれはうかがえる。緊張しないわけがない。そんなこと、少し考えればわかるはずなのに、つい熱くなって。


「あぁ……。かっこわり……」


 僕の言葉に反応したのか、雪村さんが顔を上げる。再び目線が絡み合う。今度は逸らされることなく。

 

「ねえ。雪村さん。君は本当に雪女なの?」


「はい。私は雪女と呼ばれる存在です」


 嘘を言っているには瞳が澄みすぎている。これで嘘ならよほどの悪女か、もしくは脳内が完全にお花畑だ。どうしたもんかと、思わず天を仰ぐ。あー、暑ぃ。


「ごめん。にわかには信じられなくてさ。証拠見せてもらっていい? どうにもさ……」


 雪村さんは一度うんと、何かを決心するように頷く。


「では今から、この部屋を涼しくして見せます」


 まるでマジックでも始めるかのように、雪村さんは両手を広げて告げる。


 雪女だという少女は祈るように手を組み、瞼をおろす。そうするとひんやりとした心地よい空気が室内を満たしていく。そうしている様は妖怪と言うよりも、むしろ巫女や妖精といった風で。


 気温は肌に感じられる程に下がっていく。この室内はあっと言う間に涼しくなり……。寒い……。寒い寒い寒い。


「ゆっ、ゆき、きむらさんっ? ちょ、さささ、下げ過ぎ、じゃない?」


「あ、あああ! すっ、すいませっ!」


 窓を開け、夏の外気を取り入れることで部屋の気温はなんとか落ち着く。たった今感じた寒さと、暖かさは明らかに本当だった。


「谷渡さん?」


 ああ、参ったな。本当に、雪女だっていうのか? こんなに可愛い女の子が?


 いっそ新井少年が妖怪だと聞かされた方が、百倍くらい信じられる。そもそも彼はどこまで正気なんだ。今聞かされた全てが真実だとして、何故、新井少年は彼女と知り合いで、ここへ連れた来た。納得できないことだらけだ。いったい彼はどんな目的で――。


「あの! 谷渡さん!」


「あ」


「どうしました? やっぱり驚かれましたよね?」


「かなり」


 雪村さんは、瞳を伏せて震えるように息を吸い込んだ。それは、申し訳なく思っているのか、あるいは。


 気にしないで。君のせいではないよ。そういった励ましは、どうしても口には出せなかった。


「「……」」

 

沈黙を切り裂く男が一人。


「さあさあ、お二人とも、お茶が入りましたよお」


 新井少年である。


「遅くない?」


「ああっ! なんと嘆かわしや! 客にお茶を淹れさせるだけでは飽き足らず、よもや文句までつけるのですかあ!」


 やかましい。でも、そのうっとおしく、ちぐはぐな語り草が今は少しだけありがたい。少しだけ、本当に少しだけ。


「あ、ありがとう、ございます……」


「おや、雪村氏。元気がないご様子で」


「い、いえそんなことは」


「君が元気すぎるんだよ」


「そもそも、これから一緒に暮らすというのに余所余所しいのですよお。お二人は」


 無視か。ていうか。


「それ、やっぱり本気なの?」


「もちろんですとも!」


 この上なくわざとらしい笑みだった。不安以外の何物も呼び起こさぬ笑みである。


 姿勢よく正座をする少女は遠慮の透けて見える笑みをその涼しげな面立ちに浮かべていた。このある種の神秘性さえ内包する少女と共に過ごすということが、これまでの人生において比類ない期待感を胸に抱かせた。

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