ジェリーフィッシュに続きたい

 小学館ライトノベル大賞に応募を終えたけれど、まだ息をつくには早かった。

 僕はこの賞と、第27回鮎川哲也賞への応募を狙っていたからだ。


 ほとんどのミステリー系新人賞は「広い意味でのミステリー」を募集しているが、鮎川哲也賞は「本格ミステリ」を求めている。

 本格ミステリの定義は読者の数だけあって、正解はないものだと思っている。


 今の僕は、だいたい次の二つを意識している。


・読者に驚きを与えることを最優先に考える。

・その驚きは、可能な限り伏線で支えられていることが望ましい。


「後出しジャンケンせずに読む人をびっくりさせよう」という目標さえ達成できれば、それは本格ミステリと呼べると思うのだ。ゆるゆるな判定かもしれないが。


 ともかくそういう本格ミステリを書いて鮎川哲也賞へ応募することは、僕の目標の一つだった。


 しかし小学館ライトノベル大賞の原稿に予想以上の時間を使ってしまったため、時間的な余裕がなかった。締め切りは10月末日。鮎川哲也賞のことを考え始めたのは9月終わりのことだった。


 残された時間はちょうど一ヶ月。

 10月1日は仕事に出ていた。勤務中、ずっと考えていた。今から書き始めるか。今回は見送るか。

 ネタ自体はあった。新潮ミステリー大賞の結果を待っている間に作ったプロットが完成していたからだ。


 僕はお客さんがいなくなったのを見計らって、こっそり携帯を出した。

 メモ帳に、ストーリーの流れをフローチャート形式でまとめてみようと思ったのだ。

 第一章ではこれを書き、第二章ではこの人物と云々……という具合に。

 すると物語がすっきり整理でき、今すぐにでも書けそうな状態が出来上がった。

 貴志祐介さんに指摘された「ミステリとして書くべきことを省いている」という点を踏まえ、各章で書かなければならないことを箇条書きで並べていった。


 舞台は長野市、善光寺の近くだ。

 そこにある古いお屋敷で、主人公は生まれた。彼は双子だったのだが、幼い頃、弟が何者かに誘拐される事件が起きた。警察の捜査もむなしく事件は迷宮入り。弟は帰ってこなかった。それをきっかけに家庭は狂い、主人公は高校卒業と同時に東京へ出る。――ここまでが、本編開始前に起きている出来事だ。


 本編はこう始める。

 二十七歳になった主人公は静岡県の田舎で中学の教師をしていた。そんな彼のところに父危篤の連絡が来る。かくして主人公は数年ぶりに長野へ帰郷。そして、ダルマに支配された実家を目にする――。


 この作品ではダルマの木というものを出す。ダルマに似た実をつける、不思議な木が屋敷の庭にあるのだ。主人公の父はこのダルマの実に顔を描いて、屋敷全体に並べた。どこに行ってもダルマの実が主人公を見つめているという、怪奇色強めの設定である。


 さらに、幽霊が見えるヒロインが登場する。初登場シーンでは、誘拐された弟の姿を見て主人公を困惑させる。


 いける、と確信した。

 僕は帰宅すると、すぐパソコンを起動させた。つまづきやすい序盤をしっかり構築できたことにより、ためらいなく書き始めることができた。

 どの場面で何を書く、とあらかじめ決めておいたおかげで、キーボードを打つ手は軽かった。


 僕にはフローチャート形式のプロットが合っているのかもしれないと本気で思った。そのくらい迷わずに原稿が書けたのだ。


 今回はいわゆる「回想の殺人」形式だ。物語の現在で事件は起こらず、主人公は過去の事件を追いかけていく。岩崎正吾『風よ、緑よ、故郷よ』や仁木悦子『殺人配線図』といった先行作品を読んで物語の形もイメージできていた。


 本編は20日で書き終えた。

 残る10日を推敲に使えば、締め切りに間に合う。

 鮎川哲也賞は他のミステリ新人賞と規定枚数が異なり、下限は360枚以上と地味に10枚多い。

 400字詰めに換算してみると、350枚だった。


 書き上げることを優先したので、地の文は最小限で進んできた。描写を追加すべき部分には赤い※をつけておいたので、僕はすぐそれらの場面に飛んで心理描写や風景描写を足していった。


 締め切りまで残り一週間という段階で、原稿は390枚になっていた。

 さらに何度も通読して加筆し、最終的にジャスト400枚で原稿は完成を見た。


 ちょうどこの月に、第26回鮎川哲也賞受賞作が刊行された。市川憂人『ジェリーフィッシュは凍らない』だ。緊迫した展開と大胆なトリック、独特の世界観に胸が躍った。

 この作品に続きたい、と強く思った。


 10月末はプロ野球の日本シリーズの時期でもある。2016年は久しぶりに広島カープがリーグを制覇した。僕は小さい頃からカープファンだったので、中継を流しながら原稿の確認を行った。不真面目かもしれないがどちらも譲れない結果である。仕方ないね。


 最終的にカープが負けたのは残念だったが、ともあれ原稿は完成し、プリントアウトした原稿の印字ミスなどのチェックも終えた。

 タイトルは赤江瀑の短編「カツオノエボシ獄」を参考にした「ヒョウキンダルマ獄」とした。


 10月31日。

 母が市街地に下りる用事があるというので一緒に街まで行った。途中で降ろしてもらい、僕は善光寺へ向かった。

「ヒョウキンダルマ獄」は善光寺周辺を舞台としているので、応募前にお参りしていこうと思ったのだ。


「受賞させてください」というつもりはない。それは自分の力で勝ち取るものだ。ただ、「ここら辺を舞台に小説を書いたので、それを新人賞に出してきます」と報告だけした。


 参拝を終えてから、のんびり郵便局へ向かった。


 2016年の応募はこれで終わり。

 原稿を送り出すと、ようやく気分が楽になった。最初は間に合わないと思ったが、なんでも挑戦してみるものだな、と思った。

 そして、今回使ったフローチャート形式のプロットが、その後の僕の基本スタイルとなる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る