-16-
武器を構える二人にイヴが手をかざす。
甲冑の吸血鬼が震え、背の羽根が細かく砕けていく。
砕けた破片は蝙蝠の形に変わると無数の鳴き声が響いた。
二人に十数匹の大型蝙蝠が襲い掛かる。
即座にその場で二手に分かれ、蝙蝠を手にした武器で叩き落とす。
アネットは空を飛んで蝙蝠を引き付けると、
赤く輝く手を大きく振って複数匹の蝙蝠をまとめて薙ぎ払う。
蝙蝠が弾けた赤い輝きの奥から甲冑の吸血鬼が剣を突き刺してきた。
アネットはかわし切れず、左肩と翼が裂かれて床に落ちた。
さらに甲冑の吸血鬼は二本の剣を振り下ろす。
戦斧で受け止めるが、表情は険しい。
天使だったときよりも膂力が増しているようだった。
そしてアネットは悲鳴を耳にする。
ブロードの声だ、ちらりと見ると蝙蝠たちに群がられている。
その四肢は光を失っていた、エネルギーが切れたのだろう。
ブロードの名を叫ぶ。
その直後に腹部に衝撃が走った。
「よそ見とは余裕ですわね」
甲冑の吸血鬼のつま先がめり込み、アネットは床を転がって悶絶する。
そこに蝙蝠が群がってきた。
必死に手の斧を振るうが、蝙蝠に噛まれた激痛に斧を取り落とす。
体を食い破られ、声にならない叫び声を上げた。
イヴが手を上げると蝙蝠たちは甲冑の吸血鬼の翼へと戻っていく。
後には全身がズタズタになり、赤い血に染まったブロードとアネットが床に倒れ伏す。
イヴはその様子に頬を緩めると、アネットの方へと悠然と歩いていく。
目の前にイヴがいることに気づくとアネットは首をもたげる。
翡翠の瞳は未だギラギラと光り、イヴの赤い双眸を射抜く。
その反抗的な目にイヴはイラつき自身の足で頭を踏みつける。
長く赤い髪を踏みにじり、靴の裏を擦りつけると少しスっとした。
だが、足を上げてなおその瞳が意志を失っていないと、さらに頭がカッと熱くなる。
「何だ、その目は」
思わず出た言葉と同時に頭を踏みつける。
何度も踏みつける。
吸血鬼化したことで身体能力は上がり、人の頭くらいは容易く踏み砕ける。
「泣き喚いたらどう?命乞いでもしなさいな!このゴミがっ!」
口汚く罵りながらアネットの頭を踏み続ける。
足先からの感触が変わる。
硬い骨を踏んだものから、柔らかい感触が混じるのを感じた。
頭蓋が砕けたのだろう。
足を上げる。
だが、アネットの目は死んでいない。
憤怒の意思を宿した翡翠の瞳は、焦点を失わず真っすぐにイヴを射抜く。
言いようのない感情が溢れるのがわかった。
怒りと同時に認められない感情が込み上げてきていた。
頭の中が真っ白になる。
甲冑の吸血鬼が剣を逆手に持ち替えている。
足を上げて、頭蓋を踏み抜こうとする。
剣が体を貫こうとする。
全ては否定をするために。
目の前の吸血鬼を。
アネット・エルドレッドという存在を。
自身が彼女に恐怖したことを。
足を下すと同時に剣が突き立てられた。
……ブロード・イライアスはイヴがアネットに向けて、
歩いていくのを這いずりながら見ていた。
目が霞み、全身が痛み、立ち上がれない。
だが目を背けるわけにはいかなかった。
アネットに足が振り下ろされる。
俺のせいだ、彼は思う。
こちらに気を取られたせいで、アネットは致命的な一撃を受けていたのだ。
助けなければ、その思いだけで這おうとする。
這いずる腕も動かない。
体は重く、目を開けていることすら辛い。
全身に走っていた激痛は余り感じなくなっていた。
そもそも体が自分の物ではないかのように言うことを聞かない。
こういう時に限って力が発動しなかった。
理解ができない自身の超常の力、自分の意思で制御できない。
ここぞという場面で出てくれるかと言えばそんなこともない。
自分の無力さが、情けなさが苦しかった。
体が正常ならば涙を流していただろう。
何度も何度もアネットの頭が踏みつけられている。
やめてくれ。
頼む、それ以上は死んでしまう。
やめてくれ、俺はまた一人になってしまう。
……また?
目の前の景色が消える。
何も聞こえないが、雨が降っているのはわかった。
体に打ち付ける雨が体を冷たくしている。
跪いて腕に何かを抱えていた。
雨の冷たさに対して、その何かは温かく感じる。
だが、その温かさが急速に失われていくのを感じた。
頭を上げる。
黒い影が見えた、人影だ。
その人影の顔、双眸に相当する部分の色が変わる。
透き通るような翡翠色。
それを認識した瞬間に感情が爆発した。
景色が元に戻る。
甲冑の吸血鬼は剣を振り下ろし、イヴはアネットの頭を踏み抜こうとしている。
考えるより先に体が動いた。
血を吹き、激痛を訴える体を無視して、ブロードは立ち上がると思い切りイヴへ突っ込む。
両足は赤い光を放出し、水平に飛び出す。
頭から甲冑の吸血鬼に突っ込むと、イヴと共に床を転がっていく。
ブロードはそのまま床に倒れると、アネットの真横であった。
目を開くと丁度、アネットと目があった。
言葉はない、言葉を発することすら困難だ。
だがアネットはわずかに目線を動かすと手にした戦斧の柄をブロードの前に寄せる。
彼がそれを震える手で握る。
柄から温かい何かが体に流れ込んできた。
すると、立ち上がれるぐらいに体に力が満ちていた。
ブロードは血で赤く染まった目をしっかり開いてアネットを見る。
血まみれだが、翡翠の瞳は優しく彼を見つめていた。
立ち上がり、懐の薬を飲み干す。
目の前には憤怒の形相でイヴがこちらを睨んでいた。
「これ以上」
手を握りしめる。
右手には大剣を、左手には戦斧を。
戦斧が光を帯びる。
見る見るうちに形を変え、右手の物と同じ形状で赤い刀身の大剣へと変わった。
二本の大剣を構える。
「私をイラつかせるな!」
ブロードは咆哮をあげ、二人は同時に距離を詰める。
甲冑の吸血鬼が振るう剣をブロードは大剣で受け止める。
いや、弾き返していた。
片手で振るわれた大剣は巨人の剣の勢いを殺し、それ以上の力で押し返している。
イヴが両手の瞳を輝かせる。
だが、衝撃がブロードに届く前に範囲外へ飛びのいている。
蝙蝠が飛び出し、ブロードへ襲いかかる。
だが彼は蝙蝠を二本の大剣で両断し、さらに剣を弾き、
蝙蝠以上の速度で移動をして一匹も捉えられず全ての蝙蝠を落とした。
一気にイヴへ距離を詰めるブロードを甲冑の吸血鬼が剣で迎え撃つ。
大剣で剣を受け、もう一方の大剣を横薙ぎに振るう。
イヴは上空を飛びあがってかわすが、甲冑の吸血鬼は胴から真っ二つになった。
甲冑の吸血鬼が弾ける。
数多の黒い塊を撒き散らすと、蝙蝠となって飛び交う。
それらは黒い翼を生やしたイヴの両隣で巨大な腕に変化した。
「さぁ、これでどうだ!」
イヴは自身の頭上に蝙蝠を数匹集め、蝙蝠の胴体が剣に変化したものを生み出す。
その切っ先は倒れているアネットへ向けていた。
悪態をついてブロードはイヴへ突進する。
両足に力を込め、さらにグリーブからも光を放ち、空中のイヴへと突っ込んでいく。
二本の大剣の先をイヴへ向ける。
だが、それを黒い両腕が刀身を掴んで止めた。
イヴの顔は勝ち誇った笑顔になる。
そして両手の災厄の瞳をブロードに向けていた。
同時にアネットに向けて剣の蝙蝠が疾駆する。
「今だ、相棒!!」
ブロードが力の限り叫んだ。
アネットは待っていたとばかりに拳をぐっと握り、意識を込めた。
自分の残した力、最後の力を振り絞って最大の技を放つ。
ブロードの手にした大剣の赤い刀身が輝くと、破壊の光をイヴへ向けて放つ。
フィアーズ・ターミネイト、アネットの必殺技だ。
「何っ!」
太い光の帯がイヴへと迫る。
イヴは両手を掲げると災厄の瞳が輝く。
光の帯は不可視の壁に阻まれ、イヴまで届かない。
ブロードは苦悶を浮かべながら剣を握り絞める。
イヴは勝ち誇ったように顔を歪ませた。
ブロードは吠える。
腹の底から力の全てを出し尽くさんと吠える。
「砕けろぉー!!」
その言葉の直後、戦いの中にも関わらず音が響く。
ピシリっとした音を二人は確かに聞いた。
両手に埋め込まれた瞳にヒビが走り、
不可視のバリアが歪んでいく。
「そんな、まさか……本当の転生体は……!」
イヴが光の帯に飲まれる。
空へ向けて赤い光が突き進む。
天井を突き破り、赤い光が空に一条の線を描いた。
ブロードは反動で床に叩きつけられていた。
左手の大剣は役目を終え、手から消えていく。
さらに黒い塊や蝙蝠も消え失せていた。
変わり果てた瓦礫の中に静寂だけが流れている。
勝ったのだ。
ブロードは首だけを動かして相棒を見る。
アネットもこちらを見ていた。
首だけを縦に一度振った相棒に彼は親指を上に立てて見せて答えた。
「……随分と派手にやったな」
ブロードは声の向きに首をもたげる。
「生きているか、ブロード」
「どうだろうな」
声の主はフギンだった。
「……全て見ていた」
ブロードはそうかっと言おうとしたが、言えたかどうかわからなかった。
「悪いがケジメだけはつけなきゃならない」
口は動かない、目も開かなかった。
意識が急速に遠のいていくのを感じた。
この男に終わらされるなら悪くはない、心のどこかでそう感じていた。
ああ。
せめて、相棒だけは見逃してやってくれないか。
その言葉が届くことはなかった。
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