-15-
「立てるか」
ブロードはシェリーを支えて立ち上がる。
シェリーは一緒に立ち上がるとブロードにしがみつく。
ごめんなさい。
何度も何度も啜り泣きながら、言葉を紡いでいた。
ブロードは背中をさすり続ける。
抱き合う二人に頭上から声がかかった。
「お見事です。ブロード・イライアス」
聞き覚えのある声に二人は同時に上を向いた。
「よくぞ試練を乗り越えました」
聖女イヴが最奥の自身の椅子の前に立っていた。
シェリーはその目線に気づくとブロードからぱっと離れる。
「試練とは何です?」
ブロードは違和感を覚えながらも答える。
「あなたは吸血鬼に魅入られながら、その呪縛を自ら断ち切ることができました」
イヴは片手を差し出してさらに続ける。
「ブロード・イライアスよ。我が元に来なさい」
怪訝な顔をするブロードにさらに続ける。
「私ならば全てを与えられます。
教会騎士としての地位を、あなた次第で名誉と富も得られます」
「……なぜ俺を誘う。この教会を守ったのはアネットだろう」
「私はずっとあなたを助けたいと思っていました。
人でありながら吸血鬼に囚われたあなたを必ず救えると信じていました」
イヴは笑みを深めた。
「ですから共に教会の力になっては頂けませんか?
あなたのように強く正しい心を持った戦士が一人でも多く必要なのです」
隣のシェリーが視線を送っている。
言葉はないが、その目はイヴと同じことを語っていた。
地位と安定した生活が欲しいのならば、これはまたとない機会だろう。
だが答えは決まっていた。
「お断りします」
隣のシェリーからは、なぜっと声があがる。
「……なぜ、拒むのですか」
対してイヴの問いかけは穏やかだった。
「相棒だから?恩人だから?優しくされたから?
あなたはその吸血鬼の本性を垣間見たのではないのか?
それともただ妄信しているだけなのかしら?」
ブロードは一拍置いて答えた。
「俺は別にアネットに服従してるわけじゃない。
アネット・エルドレッドは俺の相棒だ。
俺は俺の意思で、アネットの味方をしている。
多少頭には来ることもあったが、それはそれだ」
ブロードは口の端をわずかに歪める。
「聖女様、あなたにはアネット程、命を賭けられる理由がない。
それが俺の答えだ」
「……いいでしょう」
イヴの顔から笑みが消える。
その手には災厄の瞳が浮かび上がった。
「手に入らないならば必要ありません」
金色の眼球のモニュメント、そして銀色の眼球のモニュメント。
これが対になった災厄の瞳、紅の災厄の力を封じたアーティファクトの真の姿。
イヴの両の手の平に二つの瞳が吸い込まれる。
光がイヴを包む。
眩い輝きが収束して、彼女の背後に集まると巨大な人影となる。
一言で言えば全身を甲冑で着込んだ天使であった。
赤と銀が基調の鎧は全身を固められ、顔は見えない。
その腰には二本の剣を携え、背中には純白の白鳥のような羽毛に覆われた美しい羽を伸ばす。
その体躯はブロードの倍近く、見下ろされるだけで威圧されるのを感じた。
「力の具現……これは紅の災厄と呼ばれた者の力の断片です」
甲冑の天使は両手で剣を抜く。
ブロードも剣を抜いて構える。
「イヴ様!どうして……!」
「シェリー!離れていろ!」
でもっと言うシェリーに再度怒声を浴びせる。
飛び出してきたイヴと甲冑の天使を足を止めて迎え撃った。
片方の剣をかわして、もう片方の剣を受け止める。
めぎぃっと嫌な音がした。
同時に後ろに飛ぶが衝撃を吸収しきれず後ろに転がる。
右手が軽い、音で覚悟はしていたが剣は半ばから無残に折れていた。
イヴは悠然と歩いてくる。
「……やっぱり教会騎士の話、ちょっと考えさせてもらってもいいですか?」
イヴはにっこりと笑った。
「うふふ、ダメです」
ブロードは背中の大剣を鞘から引き抜き、四肢に意識を集中させる。
四肢の鎧から金色の輝きが溢れ、力が漲った。
手加減なしのオーバードライブ、本気にならざる得ない状況だった。
頭上から剣を振り下ろされる。
剣の腹を大剣で叩きつつ、横へ避ける。
横薙ぎに振られた剣を飛び退く。
ジグザグに走り、狙いを攪乱させる。
「ちょこまかと」
甲冑の天使が剣を水平に大振りする。
大きく飛んで避けた。
その勢いのまま、回転し、もう片方の剣を水平に薙ぎ払う。
ブロードは地面を這い蹲って掻い潜った。
二本の剣を振りきった若干の間隔を彼は逃さない。
思い切り踏み込む。
両足のグリーブから光が放出され、ロケットのように彼は飛び出す。
狙いは本体、すなわち聖女イヴだ。
「中々ですね」
両手を掲げる。
手の平に浮かぶのは二つの眼球、ギョロリとしたそれが輝く。
全身に衝撃が走った。
飛び出した勢いがそのまま反転したかのように弾き返されて、床を滑った。
「っつぅ……」
苦痛に言葉が漏れた。
床に落ちたとき以上に全身に浴びせられた衝撃が強烈であった。
ぼやける視界をどうにかイヴに焦点を合わせつつ、ふらつきながら立ち上がる。
「イヴ様!」
ブロードに近づくイヴの前にシェリーが飛び出す。
「もうやめてください!なぜこんなことをするのですか!」
イヴは手を振り上げて甲冑の天使が剣を振るおうとする。
「う、うう……」
だが、呻き声と共にその腕は止まる。
イヴの背後に何かが浮かび上がる。
鏡だ。鏡はイヴの後ろ姿を映している。
その鏡に映る後ろ姿が、振り向いた。
イヴと変わらない姿をする鏡の中のイヴの赤い瞳が輝く。
「うふふ、別に大した理由はございませんわ。
ようやく手に入れた力を試したいだけですのよ」
鏡の中のイヴと本物のイヴの口が同時に動いて言葉を紡いだ。
あれが何かブロードにはわからない。
そして剣が再び振り上げられた。
ブロードは叫び、駆け出すが間に合わない。
剣が振り下ろされ、シェリーが目を閉じる。
響いたのは鋼と鋼がぶつかり合う甲高い音だ。
飛来した巨大な斧が回転しながら飛来し、
ブロードの横を通り、甲冑の天使に向かっていっていた。
それを二本の剣で受け止めた甲冑の天使は、
その体勢を崩して背後の階段を破壊していた。
「あれは魅了の魔眼だな。奴は悪魔か」
ブロードの隣にアネットが立っている。
その姿は吸血鬼のそれだ、彼女も本気のようだ。
「ブロード、大丈夫で―」
駆け寄ってきたシェリーが言葉を言い切る前に、
アネットは襟首を掴んで彼女を壁まで投げつけた。
壁に叩きつけられて彼女は意識を失う。
「おい!」
「生きてるから安心しろ。起きてても邪魔なだけだ」
文句を言おうとしたブロードをギロリと睨んで黙らせる。
「今の私は機嫌が悪い。助けに来ただけ有難く思え」
苦い顔をしながらもブロードは思う。
来なくても不思議ではないことをしていた。
「そうだな、助かったぜ。ありがとう」
「ふん、この代価は高いぞ」
「期待しててくれ、相棒!」
起き上がった甲冑の天使と共にイヴが立ち上がる。
「どうやらまだ力が馴染んでいないようです」
イヴから光が溢れ、光が甲冑の天使へ吸い込まれていく。
天使の腹から一対の腕が生え、イヴを包むように抱き上げる。
白い翼を大きく広げると空を飛びあがった。
「任せておけ」
アネットが言うと戦斧を手に飛び上がる。
甲冑の天使が空から二本の剣を振るう。
赤髪の吸血鬼は戦斧で真正面から受け止める。
力づくで押し返すとさらに戦斧を振るい、剣が受け止める。
返しの斬撃をかわし、甲冑の天使の肩を切り裂いた。
イヴは笑みを浮かべる。
彼女が手をかざすと光が裂いた肩を元に戻した。
「随分と遊びがいのある玩具だな」
空を駆け、斬撃が飛び交う。
アネットの攻撃は何度も甲冑の一部を破壊するが、
再生されて致命傷には至らない。
アネットは眼下でブロードの視線を感じた。
彼に指先でイヴを刺し、くるりと回転させる合図を送る。
うなづいたのを見てから、再び斬撃を交える。
何度目かの刃の競り合いを押し返すとアネットは距離を置く。
「こいつはどうだ」
アネットの体から赤い光を帯びた鎖が飛び出す。
彼女の戦斧と同様に彼女の持つエネルギーで作られた鎖だ。
一本、二本と鎖を交わすが、7本、8本と放たれる鎖が増えてついに捉える。
甲冑の天使は四肢と二本の翼を鎖で拘束された。
だが、それは一瞬で終わる。
力を込めると鎖は一瞬にしてはじけ飛んだ。
「何だと」
「これはこれは素敵な子供騙しですね」
そのとき、甲冑の天使の胸から大剣が飛び出した。
外れた鎖を伝って、ブロードが背中から飛び込んでいたのだ。
「外れだぞ、馬鹿者!」
アネットが叫ぶ。
大剣はイヴの真上に突き出ていたのだ。
「まじか!すまん!」
叫びながらブロードは大剣で下を斬ろうとする。
「小癪な!」
イヴは怒気の籠った声を上げると、背中から腕が生えてブロードを掴みかかる。
腕を振り払いながら大剣を握る腕に力を込めると、剣がイヴの頭上から少しづつ降りていく。
だが大剣が降りきる前に生えてきた腕がブロードの腹部を殴打し、
大剣もろともブロードは背中から落ちていった。
イヴが安堵の表情を浮かべたその眼前。
戦斧を振り下ろすアネットが目に映る。
眼を見開いた直後、刃が無慈悲に振り下ろされた。
甲冑の天使が地上に落ちる。
瞬時に甲冑の天使が庇ったものの、イヴは致命傷だった。
言葉は出ず血を吐き、その体は血に染まっている。
「やったな」
「お前にしては上出来だった」
へっとブロードは相棒に笑いかけた。
イヴの眼前に再び鏡が現れた。
二人の口は同じように動き、同じ言葉を紡ぐ。
「あなたは私、私はあなた」
鏡の中のイヴが振り向いた。
「私はあなた、あなたは私」
鏡の中のイヴが手を伸ばすと鏡から手が飛び出す。
さらに歩み寄り、顔が、そして上半身が鏡から出てきた。
「私は私になる」
イヴが叫ぶと鏡の中のイヴがその首筋に牙を立てる。
恍惚とした表情で血を抜かれる。
そしてイヴの傷が塞がっていく。
「そんな馬鹿な」
その行為に気づいたアネットが呟いた。
「奴は吸血鬼だったのか」
「ありえない。そんなことがあるのか」
イヴが立ち上がる。
白い肌はより青白くなり、口の端には牙が生える。
赤い瞳を見開くと高笑いを始めた。
それに呼応するかのように甲冑の天使の姿が変わる。
赤い鎧は血のように赤く、棘が生え、翼は羽が抜け落ち黒く染まる。
その姿はまさしく甲冑の吸血鬼と呼ぶに相応しい禍々しさだ。
「ブロード、知ってるはずだ。吸血鬼は“鏡には映らない”」
ああっと答える。
目の前の異様な存在に気負っていた。
「だがあれは“鏡の映る吸血鬼”だ。擬態でも何でもないイレギュラーな存在。
吸血鬼という種の中でも異様で嫌悪と畏怖の対象となった存在」
イヴが笑みを浮かべている。
そこにはもはや聖女の面影は微塵も無かった。
「奴は“鏡の悪魔”、吸血鬼の中でも異端にして強大な力を持つ伝説の吸血鬼だ」
拍手が響く。
「素晴らしいですわ。あなたは中々に聡明ですね」
「お前はイヴ、いや鏡の悪魔なのか?」
ブロードの言葉にイヴは若干の間を置いて答える。
「どちらでも私ですわ。今の私は紛れもなくイヴァルティア・アーカナム。
その存在は鏡の悪魔であった私が転写され、同一の存在となっています」
「ふざけるな!イヴを返せ!」
イヴは侮蔑の表情で見下ろす。
「わかっていませんね。返すも何も私たちは心も体も同一なのですわ。
何年もかけて同調してきたのですよ。今更返すも何もありませんわ」
隣のアネットが怒りの震えるブロードの肩に手を置く。
「奴は恐らく自分の名も姿も捨ててイヴを複写したのだろう。
その上で魅了の魔眼で少しづつ自分と同じ心を持つように洗脳してきた」
アネットはイヴの目を見据えて言う。
「目的はイヴァルティア・アーカナムと自身が入れ替わること、違うか?」
素晴らしいですわっと声があがる。
「ルドヴンや冒険者を使って、災厄の瞳を手に入れた理由はなんだ?」
「簡単な話ですわ。イヴァルティア・アーカナムこそ災厄の瞳の適合者、
すなわち、紅の災厄の転生体。だから体を奪うことにしたのです」
「災厄の瞳と転生体の体を手にする。
それ以外の事は全て“ただの遊び”に過ぎませんわ」
「俺を教会に引き込もうとしたのも、ただの遊びなのか」
「ええ、吸血もされず吸血鬼に従うあなたに興味があった。
あなたの価値はそれだけの存在ですのよ」
満面の笑みが浮かぶ。
「どうせすぐに飽きて捨てていたでしょうけれどね」
イヴが高笑いをすると、甲冑の吸血鬼が動き出した。
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