-14-

凄惨と言うのは簡単だが、余りに悲惨な光景が目の前に広がっていた。

美しい装飾で飾られた聖堂は廃墟のように無残に荒れている。

そして教会騎士たちの死体が無造作に転がる。

ある死体は瓦礫に埋もれたり、さらに酷い有様のものもあった。

胃液の込み上げる光景の中で一人の女性が天を仰いでいた。

整った顔立ちと女性らしい体のライン、

そして背中から生えた大きな黒い翼。

彫刻のように美しい姿に一瞬だけ見惚れる。

そして理解する、あれは悪魔だと。

殺戮と瓦礫の中で無表情に立ち尽くすアレは天使ではない。

あれは殺さなければならない。

否、退治しなければならない。

用意していた術式を動かす。

迷いは無い、もし彼女が人間だったらなどという考えには至らない。

“あれは化け物だ、退治しなければ死ぬ”

その思考だけが頭を埋め尽くす。

シェリーは術式を装填した杖の先をアネットへ向ける。

アネットが物音に気付いて顔を向ける。

声をかけようとしたが、シェリーの悲壮な顔を見て息を呑んだ。

そして放たれる光を避けられない。

全身に衝撃が走り、視界が白く点滅する。

堪らず膝をついていた。

「これは……?」

思わず口に出ていた言葉にシェリーが答える。

「対吸血鬼用の封印術よ。あなたはこの場で退治するわ!」

「なぜ……?」

「みんなを殺したから!」

アネットは暗滅する思考を振り絞って言葉を紡ぐ。

「森にいたワーウルフの原種がここに来た。

 それで教会騎士たちをみなワーウルフに変えたのだ」

「そんなこと信じられるわけないでしょう!」

ヴィオラを跡形もなく消滅させたのは間違いだったか。

教会騎士を殺しただけで聖堂がこれ程破壊されることはないはずだが、

それすら彼女は思い浮かばない状態だろう。

シェリーは杖を構えて近づく。

さらなる対吸血鬼用術式でアネットの息の根を止めんとしていた。

どうやら説得はできそうにない。

彼女は心の中でブロードに詫びていた。

「(すまん、ブロード……)」

アネットは覚悟を決める。

「(どうやら、彼女は殺さねばならない)」

戦斧を思い切り振るう。

体が重い、思うように動かないが無理やり腕を振り回す。

シェリーの杖をはじいた。

その手にまだ杖があるのを見て、アネットは自分の弱り具合を認識する。

飛びのくと、呪文を唱えて光の玉を放つ。

弾こうにも腕が重いため、戦斧の刃で受け止める。

腕に衝撃が走り、足がふらつく。

頭の中に怒りが渦巻く。

不甲斐ない自分に、そして調子づく小娘に。

続いて放たれた光弾をかわしつつ距離を詰める。

避けきれず腕が焼けるが意に介さず駆ける。

戦斧を大きく振るが、後ろに飛びのかれる。

アネットはその勢いのまま回転し、勢いづけて戦斧を振るった。

シェリーは杖でどうにか受け止めるが、背中から床に倒れ込む。

奴を倒すにはもう一度あの術式を使うしかない。

そのためにシェリーはさらに距離を置き、精神を集中した。

「あまねく邪悪よ!」

シェリーが左手をかざすと眼前に白い光の球体が浮かぶ

「輝く意志よ!」

左手を下げて、さらに光の球体を出す。

「奮い立つ勇気よ!」

左手を右にずらすと光の球体は三角に配置される。

「穏やかなる慈悲よ!」

三つの光の球体からのびた光の帯が球体を繋ぎ、円形の陣が浮かぶ。

「邪悪を討ち給え!」

球体の中心に向けてシェリーは杖の先端を構えた。

「セイクリッド・フォース!」

光を纏う杖を作り上げた陣に突き入れることで、聖なる光が放たれる。

はずであった。

空中に浮かぶ陣の中心から腕が飛び出し、突き出す杖を押し返す。

アネットが笑みを浮かべて力を込めると、不完全な術式が崩壊する。

弾けた光はアネットを焼くが、力の大半はシェリーの側へ逆流した。

シェリーは背後の階段に打ち付けられ、立ち上がれない。

肩で息をしながらもアネットは歩み寄る。

ダメージは残っているものの、体の動きは回復していた。

シェリーはか細い息で横たわり、こちらを見つめる。

命乞いでもするかと思ったが、彼女は口を紡いでいた。

どうするか、アネットは思考する。

殺さなければ、後で面倒だ。

心の中に声が浮かぶ。

殺さなければ。

なぜ。

殺してしまえ、こんな女。

脳裏に友の隣で顔を赤くした女の顔がチラつく。

殺せ!

こんな泥棒猫!

黒い感情が心に満ちていく。

殺す!

奪われる!

殺す!殺す!

戦斧を振りかざす。

何も渡さない!

私の物は何一つ渡さない!

殺す!殺す!殺す!!

衝動のまま戦斧をシェリーの頭に目掛けて振り下ろした。

だが、返ってきたのは石の砕ける感触だった。

「何やってんだ、お前!!」

戦斧の脇にはシェリーを抱きかかえたブロードがいた。

アネットは呆然とブロードを見つめていた。

その様子に彼は周囲を改めて見渡す。

「一暴れしたみたいだな。ルドヴンの手先か?」

アネットは床に突き立つ戦斧を引き抜いて答える。

「多分そうだろう。ワーウルフのメイドが教会騎士を全員ワーウルフにした」

「それはえげつないな」

ブロードはシェリーに目を向けると、彼女は酷く怯えて縋り付いてくる。

何に怯えているのかは彼にははっきり伝わっていた。

「何があったんだ」

「殺されかけた」

アネットは即答する。

シェリーの顔を覗き見るが、彼女は反応しない。

「なるほどな」

ブロードはそう言ってアネットへ目を戻す。

「その女を庇うつもりか?」

「別に殺す必要はないだろう」

そういうと思っていたブロードは即座に返す。

「この姿を見られた。生かしておく必要はない」

「これだけ騒ぎを起こしたなら、

 どうせすぐ街はでなくちゃいけない。

 生かす必要がないかもしれないが、殺す必要もそこまでない」

アネットが吸血鬼だと知られれば街にはいられない。

だが、教会がこの有様で数日は混乱は避けられないだろう。

その間に街を出るのは容易なことだ。

「いや、ある」

アネットは言う。

「その女は教会騎士だ。彼女の言葉は一般人とは異なる。

 放っておけば消えるか細い声ではないぞ。

 教会全体に広まり、いずれは世界中に広まる恐れがある」

ブロードは返事に詰まった。

「フギンも怪しんでいた」

「だがあいつは直接見たわけじゃない。

 それでは教会は動かない」

口の端をわずかに歪めて続ける。

「跡形もなく消せば時間は稼げる」

反論ができなかった。

彼女の味方として見れば彼女の言葉は正しい。

だがその正しさを否定する感情も溢れている。

「ブロード、お前に殺せとは言わない。

 少しだけ目を閉じていてくれればいい」

アネットが歩み寄ってくる。

「頼む」

ブロードが顔を上げる。

悲壮に歪むその顔は今にも涙を零しそうだ。

「殺すのはやめてくれ……彼女には俺から頼むから……」

彼の懇願にアネットは足を止める。

そんなにその女が大事か。

そう思うと同時に、先ほどまで膨れ上がっていた殺意が急速に冷めていった。

ふんっと溜息を漏らしてアネットは言う。

「勝手にしろ」

アネットは振り向いて歩き出す。

翼が背中に畳まれ、服装が元に戻っていく。

「アネット」

ブロードは涙声で言う。

アネットは足を止めるが、振り向かない。

「すまない。ありがとう」

アネットは何も答えず、再び歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る