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アネットは出された紅茶を口に含む。

「どうでしょうか」

「美味しいです」

目の前には聖女イヴ、イヴァルティア・アーカナムが居た。

イヴの背後にはシェリーが修道女の姿で佇んでいる。

今さっきまで自分を吸血鬼として扱っていたとは思えない程穏やかな対応だ。

ブロードとフギンたちが屋敷へ出発した後、彼女は客間へ通されていた。

そこで紅茶を二つ用意したシェリーと共に聖女イヴが同席を求めたのだ。

アネットはそれ以上の言葉を話さず、紅茶を楽しむ。

「実はあなたとお話がしたかったのです」

イヴが言葉を発する。

何をですかっとだけアネットは返す。

「ブロードさんとは恋人同士なのですか?」

こ、こいびと……。

予想外の言葉に紅茶が少し戻るが、どうにか平静を保つ。

「違います」

「あら、それならどういうご関係なのですか?」

イヴは興味に顔を輝かせている。

恋に恋する年相応の振る舞いだ。

彼女がそれをしていることにアネットは内心で驚いていた。

「私にとって彼は……そうですね。掛け替えのない友人であり、

 相棒であり、あとは、手のかかる弟のようなものです」

「お友達と弟はわかりますが、相棒とはどういう関係なのでしょうか」

アネットは相槌を打って少し考える。

友人が信頼できる相手、弟が守り慈しむ家族と言い換えられる。

ならば相棒は……。

「互いの運命を預けられる相手、とでも言いましょうか」

「運命、ですか?」

「はい。今もブロードが戦って戻ってこなければ、

 私は教会に罪を問われるでしょう。

 それでもこうして紅茶を楽しめるのは彼を信じているからです」

言って紅茶を口につける。

「本当にそうなのですか?」

イヴが言う。

その顔は面白いものを見つけた子供のようだ。

「あなたならこの状況、もしかして自分で打開できるのではありませんか?

 本当の意味で彼に運命を委ねていないのではありませんか?」

イヴはアネットの翡翠の瞳を覗き込む。

「あなたは彼を支配したいだけなのではないですか?」

場には奇妙な沈黙が流れた。

一方教会では、封鎖された入口をこじ開けて、人影が入り込んでいた。

「誰だ、今日は教会は立入禁止だぞ」

教会騎士の一人が詰め寄る。

銀の髪をした若い女性だ。

紺のワンピースに白いエプロン、カチューシャをしたポピュラーなメイド服だ。

「祈りは悪いが家で捧げてくれないか」

目の前で教会騎士がそういうがメイドの女性は答えない。

整った顔立ちだが、どこか愛嬌を感じる可愛らしさを内包しており、

男はしばし言葉を失う。

だが、その頭に突如異変が起こる。

銀色の毛に覆われた犬の耳が頭に生えてきたのだ。

その様にぽかんと再び言葉を失う。

「お耳を拝借~」

撫でるような声で両手を教会騎士の首に回して抱き寄せる。

苦痛に叫ぶ。

「はいはい、今度はこれを飲んでね~」

教会騎士に瓶に入った薬を手渡す。

呻きながらも言われるがままに飲み干した。

彼は頭を抱えて苦しみ呻く。

その体が肥大化し、毛が生え、鼻が尖り、目が血走る。

凄まじい速度で変化し、彼だったものは遠吠えを教会に響かせる。

「いい感じですね~、獣化促進剤、よいものをご主人様は手に入れられました」

ワーウルフの遠吠えを聞きつけて警護の教会騎士たちが駆け付ける。

メイドは両手を合わせて囁く。

「それでは、あの子たち全員。お仲間にしちゃって」

咆哮で答え、彼だったものはかつての仲間へ疾駆し蹂躙した。

「今の咆哮は!?」

狼の咆哮は客間にも響き、沈黙を破る。

アネットは立ち上がった。

「私が見に行きます。シェリーはイヴ様を避難させてください」

不安そうにシェリーに縋り付くイヴを見て、シェリーはわかったと答えた。

シェリーを見送るとアネットは手斧を手に広間へ足を向ける。

そこでアネットが目にしたのは地獄絵図だった。

ワーウルフが教会騎士に飛び掛かり、噛みつくとその教会騎士が即座にワーウルフへ変化する。

正気を失ったかのように仲間を襲い、残った者は仲間だった者との戦いを強いられる。

ここに残っている教会騎士は手負いもしくは新米の実力に劣る者ばかりであった。

全ての教会騎士がワーウルフになるのはあっという間の出来事であった。

「おやおや~」

メイドは赤い瞳をぎょろりと動かして、アネットに目を向けた。

「ようやくおいで下さいましたね~」

満面の笑みを浮かべて挨拶をすると、お辞儀をする。

「ご主人様の命を受けて参りました。私はヴィオラと申します。どうぞよろしく~」

ヴィオラと名乗ったメイドは間延びした声で、浮かべる笑みもどこか白々しい。

「あなた様のために、ご用意させて頂きました~。ご主人様のお気持ちです~」

一斉にワーウルフたちがアネットに顔を向け、凝視する。

驚きや怯えを期待していたヴィオラは微動だしないアネットに不満げだ。

「どうして欲しい?囲まれて動けない状態で臓物を引きずり出されたい?」

不満を吐き出すように早口で言葉を紡ぐ。

「あ、それか一匹ずつ交代で回されちゃうのはどう?みんな凄まじいのよ」

アネットの顔が一瞬歪む。

それを見たヴィオラは笑みを深める。

「ふふん、興味有り気ですね~いいんですよ、素直になっちゃえ~」

「黙りなさい」

抑えきれない怒気が言葉から漏れている。

虫唾が走った。

この女の言葉、一挙一動が癪に障る。

「そういう連れない返事をしてる子程、ド嵌りしちゃうんですよ~。

 なんていったか、あの魔女みたいに!

 ううん、想像してると堪らないですねぇ。

 でもその反応、もしかして初心だったり?」

アネットは答えず、無言で床を蹴る。

だが、ヴィオラの周囲を守るようにワーウルフが囲んでいる。

アネットは手斧を手に駆ける。

両脇からワーウルフが迫る。

乱暴に振るった腕をかわし、腕を伝って首筋を斬りつける。

その肩を蹴って隣のワーウルフの首元に刃を走らせる。

鮮血が教会を汚し、二匹の獣が倒れ伏す。

倒れた獣を見てアネットの顔に驚愕が浮かぶ。

二匹の獣は元の人間の姿に見る見る戻っていったのだ。

「あらあら~」

ヴィオラはにんまりとした笑みを浮かべた。

「いけないんだ~教会騎士を殺しちゃうなんて~」

「あなたがワーウルフにしたのでしょう」

「ん~でも君の相棒君はわかるかな~」

獣のように口を開いて笑う。

人の顔をしているのにまるで狼のようだった。

「……心配はいりません」

今度は三体のワーウルフに囲まれる。

そのうちの一体が振るった腕をくるりと飛んでかわす。

飛んだときに外したボウガンを空中で手にして、背後のワーウルフの眉間に打ち込む。

特殊な合金と鋼糸を用いたボウガンは引くのに非常に膂力が必要な代わりに桁外れの威力を持つ。

ワーウルフの眉間に打ち込まれたボウガンは頭蓋を貫通し、脳を破壊していた。

ボウガンを装填し、首元、眉間、眼を的確に射抜き、最後の一体の首筋を斧で斬り裂く。

「あーあ、みんな殺しちゃいましたか……」

血に染まった教会の広間には教会騎士たちの死体が転がる。

「ん~これだと、ワーウルフのリンカン☆ショーは無理そうですねぇ」

首を傾げ、人差し指を顎に添えながらヴィオラはわざとらしく考え込む。

あっと言うと眼を細めて、口の端を歪める。

「いいこと思いついたっ!相棒くんもワーウルフにしちゃいましょ。

 それで相棒くんの思いの丈をぶち込んでもらいましょ!そうしましょ!」

キャーっと興奮した声を上げるヴィオラに対して、

アネットの顔には明確な怒りが浮かび上がっていた。

「うふふん、いい顔ですねぇ。ちょっと楽しくなってきましたよ!」

ヴィオラの手は大きく膨れ、銀の毛が生え、指と爪が鋭く伸びる。

足も人間のそれから靴を引き裂き、鋭い爪の生えた銀の脚に変化した。

あおーん!っと人の声のまま雄たけびを上げてヴィオラは飛び出す。

そのスピードは教会騎士のワーウルフたちより遥かに早く、アネットは一瞬面食らう。

爪による一撃を斧ではじき返すが、その腕が痺れた。

ヴィオラはさらに加速する。

地面を蹴り、壁を蹴り、アネットへすれ違いざまに爪を振るい、切り裂く。

「反吐が出る。お前は八つ裂きだ」

アネットの口調が変わる。

手斧に力を込めると形状が変化する。

身の丈より長い柄が伸び、先には槍と両刃の大きな斧がとりついている。

彼女の本来の得物、戦斧またはハルバードと呼ばれる武器だ。

アネットは戦斧の柄で爪を受け止めるとヴィオラの腹部に蹴りを入れる。

ヴィオラが空中で体勢を変えて着地をする。

その間にアネットの姿は変化していた。

髪留めがほどけて、赤く長い髪がさらりと靡く。

服も胸元が開き、スカートが燃えて短くなる。

背中の服に擬態していた蝙蝠のような翼が大きく広がる。

目つきが鋭く、口の端から白い牙が飛び出す。

「ようやく本性を出してくれましたねぇ~」

再び、ヴィオラは四肢に力を込め突撃する。

アネットはその場を動かない。

前足を片手で持った戦斧の柄で受け止め、蹴りはもう一方の手で受け止める。

脚を握った腕をその場で力任せに振り回して、ヴィオラを放り投げた。

空中で体を捻って足から着地したヴィオラは再び高速でアネットの周囲を走る。

そしてアネットに突撃する。

瞬間、悪寒が走った。

嫌な予感、野生の勘、そういった類の何かが全力で警告を発する。

無理やり体を曲げ、軌道を変えると元々の行く先を戦斧の刃が横切っていた。

床を転がりながら、ヴィオラは距離を取る。

「どうした、今更逃げる気か?」

「うーん、ムカつきますねぇ。でも手を抜いてるのは事実ですしいいでしょう!」

ヴィオラの目つきが変わる。

「私を本気にさせたことを後悔させてあげますよ!」

鼻が伸び、銀色の毛が顔を覆う。

手だけだった獣の部分は腕、胴体と広がり、メイド服が体の中から引き裂かれる。

一回り大きな銀色のワーウルフが現れる。

獣の咆哮が響き、赤い瞳が殺意を持ってアネットを見下ろす。

「あなたも相棒くんも、玩具にした後は八つ裂きにしてあげましょう!」

言ってヴィオラが床を砕いて地を飛び出す。

一瞬で眼前に飛び込んできたヴィオラに対してアネットは戦斧を振りつつ体を逃がした。

「なるほど、やはりお前が原種のようだな」

原種とは感染した人間がワーウルフとなったものでなく、生まれつきのワーウルフのことだ。

ワーウルフとしての存在が濃いため、感染したワーウルフよりも強大な力を持っている。

現に、その膂力と速度はブロードたちが戦っていたワーウルフよりも遥かに高い。

アネットは戦斧を握りなおして、床を蹴る。

翼はアネットの意思で自在に推進力が生まれ、空中を縦横無尽に飛び回る。

ヴィオラの爪をかわし、死角から戦斧を振っていく。

スピードはアネットの方が上であった。

かわしきれない戦斧をヴィオラは手で受ける。

戦斧は爪を容易に砕き、手首の先まで切り裂いた。

苦痛に叫びながらもヴィオラはアネットをかみ砕こうと、口を開けて突進してくる。

斧を手放してその場で前に回転してかわすと、その頭を掴んで床へ叩きつける。

さらに空中で前進し、顔面で床を抉っていく。

斧を手に取りヴィオラを乱暴に掴みあげて投げ飛ばした。

教会の片隅が瓦礫の山と化す。

その中から顔がズタズタになったヴィオラが這い出てきた。

「殺してやる……!」

怒りに歪んだ顔から怨嗟の言葉が出る

「期待外れだ、つまらん」

アネットの言葉にヴィオラが瓦礫の中から一直線に突っ込んでくる。

身を屈めて飛び出し、戦斧の先をヴィオラに突き立てた。

だが戦斧の先にある槍の穂先はヴィオラの胸の前で止まっている。

ヴィオラが突き立つ寸前に戦斧の柄を握っていたのだ。

にぃっと顔が歪む。

動きの止まったアネットを仕留める気だ。

だがアネットはその状況に眉一つ動かさない。

判断は一瞬だった、アネットは戦斧をヴィオラごと真上に放り投げる。

空中に投げ出されたヴィオラは戦斧を投げ返そうとする。

……動かない。

見ると戦斧は赤い輝きを見る間に強く放っていく。

まさかっとヴィオラの脳裏に過り、恐怖に顔が歪む。

その顔を見てアネットは口の端を歪めた。

「そうだ、その恐怖ごと消えろ」

戦斧の先から放たれる赤い光がヴィオラの視界を覆いつくす。

「“フィアーズ・ターミネイト”!!」

ヴィオラの体全体を包むほどの太さの光の柱が空に向けて放たれる。

光は教会の天井を突き破って天空まで伸びていく。

やがて光が細くなり、消えていった。

ヴィオラは八つ裂きどころか跡形もなく消滅していた。

「くだらん存在だった」

空から落ちてきた戦斧を片手で受け止めると、そう言い捨てた。

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