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シェリーたちの属する教会は単に教会と呼ばれることが多い。

正式にはウェイズ教会と言う、救世の白き女神ウェイズを讃えるのが主の教団だ。

他にもウェイズの名の元に人々に教えと説いたり奇跡の名で治癒術を行使している。

各地に元々根付いていた土着信仰をまとめ上げ教会として発足されたらしい。

その歴史は数十年と短いが元々の信仰心もあり、今や国をも動かす一大宗教だ。

またかつて女神ウェイズもしくはその子孫が紅の魔王を倒した一人と言われている。

魔王への恐怖が未だ根強いのも教会が信者を増やす要因の一つであった。

そしてここは教会の中心部とも言える礼拝堂である。

首都より離れた街であっても、教会の権威が伺える様々な装飾品が見られた。

女神ウェイズを模したステンドグラスの眼前、

礼拝堂の奥には彼女を讃える壮大な十字架が建てられていた。

そして十字架の前に立つのは教会の聖女イヴ、イヴァルティア・アーカナムだ。

白い肌と赤い瞳は先天のものであり、白き女神の再来と信じられていた。

そのため彼女は年若い少女でありながらこの街の教会の指導者の立場にいる。

傍らには教会騎士が二人、脇を固めている。

彼女の眼前には四人の人間が跪いていた。

彼らの周囲は教会騎士が取り囲んでいる。

「頭を上げなさい」

イヴが透き通るような声で言う。

年齢に合わない威厳に満ちた声色だ。

以前、依頼を受けたときに会話したときとは全く違う。

軽口など口から出せそうにはなかった。

頭を上げるブロード、アネット、シェリー、フギン。

彼らは街に戻ると入口で教会騎士たちにここまで連行されていた。

フギンとシェリーは大丈夫としきりに言うがブロードは気が気でなかった。

「此度の働きについての報告は早馬より受けました。

 大変よくやってくれました。心より感謝致します」

フギンとシェリーが深々と頭を下げ、謝辞を述べる。

ブロードとアネットも後に続いて真似をした。

単なる感謝を述べる場としては異様な雰囲気なのは明らかだ。

実態としては査問会のようなものだろう。

「ですが、今回の件についていくつか聞きたいことがあります。よろしいですね」

「はい、あらゆる質問について?偽りなく述べることを誓います」

聖女イヴの質問をフギンが答える。

森の外にいた早馬の教会騎士に報告していた内容とほぼ同じだ。

その内容はブロードとアネットも聞いている、ブロードの事は伏せられていた。

「それでは最後に」

聖女イヴの視線が移る。

「ブロード・イライアス、あなたに質問です」

声が裏返りそうになるのを堪えて返事をした。

「災厄の瞳から何かを感じましたか?」

「いいえ、何も感じませんでした」

イヴはしばし目を閉じて思案をする。

「わかりました。質問は終わりです」

イヴは脇の教会騎士に耳打ちをする。

包囲をしていた教会騎士たちは一歩下がり、前後が開かれる。

さらに別の教会騎士が大きな麻袋を持ってきた。

屈強な騎士でも足取りが若干重く、かなりの重量なのが伺えた。

「報酬はご満足頂けるだけ用意する。というお話でしたので」

聖女イヴが言うと麻袋の口を開き、中身見せる。

全てが金貨だった。手で中をかき混ぜて、底まで金貨であることを示す。

思わず唾を飲む、多めに見積もっていた請求額の軽く三倍はあった。

「ご満足頂けますか」

ぐうの音も出ないとはこのことだろうか。

首を縦にぶんぶんと振るので精一杯だった。

麻袋の口を閉じてブロードに渡される。

ずっしりと金貨の重みを感じた。

「今回の依頼について、特に災厄の瞳について口外しないようにお願いします」

つまり口止め料も含まれているということだ。

ブロードが口上に困っているとシェリーが耳打ちする。

「女神ウェイズの名の元に誓います!」

聖女イヴはそこで初めて笑みを浮かべた。

……解放されたブロードたちは教会の出口へと歩いていく。

「ちょっといいかブロード、渡したいものがある」

フギンに言われて、ブロードは教会の修練所へ連れられた。

アネットを待たせているので、二人きりだ。

フギンは武器置き場から鞘に収まったままの真新しい剣を手渡す。

教会騎士団に支給される両手剣だった。

「持っていけ。教会騎士団の件は考えてくれよ」

「さっきみたいに並ぶんだろ?あんな堅苦しいの俺には合わねぇよ」

ブロードは笑って受け取った。

鞘から軽く抜くと鏡のように磨かれた鋭い刃が覗く。

「ブロード」

フギンの顔は険しい。

何かを口にしようとするがすぐ目を反らす。

「どうした、もったいぶって」

「ああ……」

ブロードの顔からも笑みが消える。

聞きたいことはおよそ見当がついていた。

「彼女……アネットは何者なんだ?」

ブロードは即座に答える。

「あいつは吸血鬼ハンターだ。訳有りで公認じゃないが凄腕だ」

吸血鬼を専門に退治する専門家のことだ。

もちろん便宜上そう名乗っているに過ぎない。

「一対一で吸血鬼と戦って無傷でいられるのは何故だ」

「そりゃあ、吸血鬼の専門家だからな。対策はバッチリだろ」

フギンは食い下がる。

「入念な準備の上で吸血鬼討伐の任務を行ったならそうだろう。

 だが今回のケースは完全に不意打ちだ。

 普通の人間が無傷で済むようなケースじゃない」

「なら、俺はどうなる?」

フギンの顔が強張る。

彼の命を救ったが、“あのときのブロード”は明らかに人間の領域を超えていた。

今までその力について言及はされなかった。

いや、ずっと避けていたのだろうとブロードは思っていた。

「……お前は人間だ」

ブロードは答えない。

「お前はただの人間だ。それでいい」

「誰がそれで納得する?」

「俺がだ。それで充分だ」

ブロードはフギンの目を見る。

強い意志の光が感じられた。

「ならアネットもただの人間だ。俺はそれでいい」

話を打ち切ろうと視線を逸らす。

「本当に」

足が止まる。

「お前はそれでいいのか。ブロード」

フギンの言葉が突き刺さるようだった。

ああそうだ、そう言えればどれだけ簡単か。

だが彼の目を見てそれを言う自信が無かった。

どこまでも愚直で快活なこの男は納得はしないだろう。

「なぁ、フギン」

ブロードは視線をフギンに戻す。

その顔には憂いが浮かんでいた。

今にも泣きそうな目をしながら微笑を浮かべている。

「知らなくていいことって、誰にでもあるだろう?」

フギンは意外に思った。

この男がこんな顔をするとは思わなかった。

「……そうだな」

やっと出た言葉を聞いたブロードは踵を返した。

その背を見て思う。

この男は何を抱えているのだろうか。

アネットとシェリーに声をかけている。

そこにはいつもの軽い調子のブロードがいた。

宿の部屋でブロードはブラックコーヒーを一口飲む。

そこそこうまい、この宿で気に入っている点の一つだ。

「いいのですか?すぐに街を出なくても」

「あの絶好の場で何もしなかったんだ。ひとまず信用していいだろう」

そうですねっと目の前で座るアネットは答える。

彼女は砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーを飲んでいう。

「もし何かしてきたら……そうは考えなかったのですか?」

「その時は……助ける義理はない」

もしあの場でブロードやアネットを処断しようとしていたら、

アネット・エルドレッドの恐るべき本性により教会は瞬く間に血の海と化したはずだ。

ブロードはフギンの言葉を信じた。

仮にそれを裏切られて容赦するほど優しくはない。

それはアネット、そしてブロードも同じだった。

「だけど近いうちに街は出るべきだろう。まぁ潮時だろうな」

「そうですね。最後にいい稼ぎができましたからね」

とはいえ、手元にはそれほど残っていなかった。

溜まっていたツケや装備の補修、薬の補充でかなりの額を使っていた。

それでも借金を無くして気持ちは軽い。

「それで、ブロード」

アネットは立ち上がり、ブロードの後ろに回り、肩に両手を置く。

「これからどうしますか?」

「どうするって?」

空気が震えた。

「決まっているだろう。災厄の瞳を手に入れる気はないか?」

アネットの口調が変わる。

“このときの”アネットはいつもこの口調になる。

肩に置かれた手の爪が鋭く伸びる。

骨が砕けるような音がし、足元で大きな蝙蝠の翼の影が広がった。

アネットが彼の前に歩み寄る。

背中の服は大きく開かれ、腰付近から翼の付け根が伸びている。

ワンピースのスカートは短くなり、すらりとした白い足を惜しげもなく見せつける。

胸元も開き、先ほどと打って変わって煽情的なスタイルに変貌する。

温和な印象を与える瞳も吊り上り威圧感を与える。

そしてわずかでも口を開けば鋭く尖り伸びる白い牙が見える。

その姿は吸血鬼。

本物の悪魔の姿であった。

「災厄の瞳が欲しくないのか。

 全ての悪意は肯定される。

 あらゆる悪徳が実を結ぶ。

 この世界で欲しい物を全て手に入れ、

 気に入らない物を残らず踏みつぶす。

 思うが儘に世界を食いつぶす快楽に興味はないかと聞いているのだ」

尊大な態度だがまるでペットを可愛がるような甘い声色でもあった。

「無い、と言えば嘘になる。だが人間をやめる気はないね」

ブロードは極力興味の無い顔をするよう心掛けて答えた。

「人間に固執する意味がない、望めば容易く人間の枠を踏み越えられる。

 必要なら手伝ってもいい」

最後の部分をニンマリとしてアネットは言う。

その内容は想像に難くない。

「お断りだ」

連れないなっとアネットは肩をすくめる。

「私は別に災厄の瞳に興味はない。

 今も昔も変わらず、お前の味方で居続けるだけだ」

アネットが手を差し出す。

長い爪の伸びた手を差し出し、握手を求めた。

「友よ、私はお前の意思と共に行こう。

 この世界に混沌と破滅を求めるか?」

思わず手を伸ばそうとしてしまう。

その手を取れば後には引き返せない。

恐らく全ては彼女の言う通りになるだろう。

あらゆる欲望を満たし世界を食い潰す紅の魔王が再び蘇る。

彼女は傍らで笑みを浮かべ続けるのだろう。

ブロードの命が果てるまで、もしくはその欲望が果てるまで。

心のどこかでそれもいいのかもしれないと思った。

このままどこの誰なのかもわからないまま傭兵を続けていくよりも、

世界の全てを平らげる方が魅力的なのは事実だろう。

―戦う人が必要なのはわかってる。―

―それでも悲しむ人を一人でも減らしたい。―

彼女の言葉が心を過ぎる。

悲しむ人間は確実に増えるだろう。

―お前は人間だ、俺はそれでいい。―

彼の言葉が心を過ぎる。

人間のままではいられないだろう。

あの二人は生死を共にしたとはいえ出会って数日しか経っていない。

それでも心になぜ突き刺さるのか。

わからない、知りたいと思った。

「俺は」

ブロードは伸びていた手を引き込める。

拳を握りしめ、アネットの目を見据える。

「俺は人間だ」

「そうですか」

赤い光がアネットを包むと、元の姿に戻った。

「あなたがそういうのなら構いませんよ」

アネットはいつもの微笑を浮かべていた。

「気が変わったらいつでも言ってください」

遠慮しとくっとブロードは返す。

彼女はあくまでブロードの意思を尊重していた。

災厄の瞳を奪うだけなら、教会に渡す前にフギンとシェリーを殺す方が早い。

そうしなかったのはブロードがそれを望んでいないからだ。

今回も彼にその意志がないことを確認するだけだった。

アネットは笑みを浮かべてブロードを見つめる。

その視線に籠ってるのは呆れのようであり、慈しみのようでもあった。

「いいわよ、あなたがそうしたいなら」

アネットは席を立つ。

「忘れないで、私は永遠にあなたの味方よ」

ああっと答えてアネットを見送る。

忘れたことなんてない。

お前が居なければ俺は何もできない。

お前が居なきゃ俺は人間ですらいられないんだ。

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