第四章 鍋島のどか 4


 ぼんやりとのどかの話を聞く俺の机の上に、ライトが後ろから丸まった紙屑を投げてくる。

 なんだなんだとそれを広げると、汚い文字でこう書いてある。


『なにかあった?』


 別に何もない。

 俺はそれをそのままくしゃくしゃの紙屑に書き足して後ろに戻す。

 のどかが黒板にチョークを走らせる音に混ざり、かさかさと紙屑を広げる音が聞こえてくる。

「じゃあ八百メートルリレーの選手は桑原君と藤崎君ねー。あと誰かやりたい人―」

 本日のHRの議題は体育祭の参加科目について。桑原とか運動部のメンツは無駄に気合が入っているらしいが、俺はあまり興味がない。正直八百メートルリレーなんてやりたがる奴が珍しい。疲れるし面倒くさいし、あと、目立つ。案の定、教室のどこからも手が挙がらなくて、のどかが眉を八の字に下げる。

「仕方がないなぁ。先に他のを決めましょう。じゃあこれ、ムカデ競争は――」

 ぱらぱらとまばらに上がる音に混ざり、再び後ろから紙屑がやってくる。


『何もないなら別にいいけど。ところでさ、お前加藤の誕生日プレゼントどうする?』

 

 ココアの誕プレ?

 俺は少し考えて、書き足して後ろに投げる。


『お前はどうするんだよ』


『まだ何も決めてない。でも俺、誕生日にプレゼント貰ったし。お前は?』


 プレゼント。ココアへのプレゼントね。

 俺は斜め左前にいるココアに視線を向ける。花のカチューシャをしたココアは、隣の席の女子とこそこそと内緒話をしながらくすくすと笑っている。

 最近、ココアは少し髪が伸びた。

 少し前までは顔の輪郭を縁取るようなショートカットだったのに、最近は少し縛れるくらいまでなってきている。笑顔も増えた。ベリ子やブー子だけではなく、他の女子とも会話をし、放課後や休日遊びに出かけているようだ。いいことだ。

 けれど、最近ココアは少し清美に似すぎてきている。笑顔も、横顔も、時々見せる拗ねた表情も、甘える仕草も清美を彷彿させるものでしかない。健一にも似ている。ゲームが好きで本が好きでオカルトが好きで、優柔不断な癖に時として頑固で思い込みの激しいところなんか健一そっくりだ。

 当たり前だ。子は親に似る。俺だって真美子に似ている真美子に似ていると今まで散々言われてきた。ライトにさえ言われた。

 けれどそれはある種の真実を俺に突き付ける証拠でしかないのだ。

 ぼんやりと悲しみの底に沈んでいく俺の背中をライトがシャーペンで突く。なかなか返ってこない返事に痺れを切らしたらしく、こそこそ声をかけてくる。

「……おい、テル、返事、返事返せよ……なぁテル、テルってば……テル……」

 その声に反応したのはぼんやりと机の上を見つめ続ける俺ではなく、ライトの隣のベリ子。

「のどかちゃん、テルルと清水が遊んでるよー」

 いい玩具を見つけたというような口調のベリ子に、俺は漸く我に返る。

 焦ったのは俺の背中を突いていたライトだ。

「おいっ」

「だってあんた達、さっきから手紙の回しっこしてるじゃんー。授業中なのにいけないんだー」

 なんてにやにやするベリ子に、こいつは一体何を言っているんだと思う。手紙の回しっこなんていいものじゃない、これはただの紙屑だ。大体、手紙の回しっこなんてお前のほうが頻繁にやってるだろう。しかも俺やライトを通して。

 ベリ子の報告を受けたのどかが、呆れたように眉を顰める。

「もー。仲がいいのはいいことだけど、授業中はやめなさい。そういうのは休み時間にやるものなのよ」」

 のどかの注意に、俺とライトは居心地の悪い思いをする。にししと笑うベリ子に俺は呪いの念を送るのだけれど、悪夢はそれだけでは終わらない。ベリ子の斜め右に座っていたブー子がいいこと思いついたとばかりに「センセー」を手を上げた。

「じゃあさぁ。リレーの選手、テルルと清水にすればいーじゃん。こいつら、足速いでしょ?」

 ブー子とベリ子の悪乗りにライトが抗議する。

「はぁ!? なんだよそれ! 意味わかんねー」

「いーじゃんそれー。HR中に手紙回し合うくらいヨユーなんだからさぁ」

 顔を見合せて笑うベリ子とブー子。少し離れたところから、ココアがぱちぱちと瞬きをしながらこちらを見ている。

 のどかは腕組みをしながら、黒板と俺達の顔を交互に見て

「そうね。二人は体育の成績もいいし。授業中におしゃべりした罰」

 なんて俺達の了承も得ずにカツカツカツと俺達の名前を書いていく。

 男子八百メートル 桑原 藤崎 清水 辰巳

「これで決定。頑張ってね、仲良しコンビ」

 ケタケタと笑い声をあげるベリ子ブー子と対照的に、顔を覆う俺と項垂れるライト。指の間から窓際を見ると、体育馬鹿で有名な桑原亮二が俺達に向かって手を振っている。その斜め左前にいる藤崎はちらりとこちらを見ただけで興味の欠片もなさそうにすぐ目を逸らした。

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