第三章 津島花野 7

 東京都中多摩群赤多摩町の奥深くに存在する赤多摩湖から救出された俺は、ずぶ濡れのままありったけの力を使い平介のことを罵倒する。

「おい平介、お前一体どういうつもりなんだ、お前が招待状なんて送り付けるからこんなことになってんだろうが。しかも何が紹介したい人がいるだ、碌なもんじゃねぇだろうが。頭は殴られるし廃工場に閉じ込められるし腹は減ってるし汗だくだし喉は乾いてるしなんで車ごと湖にドボンしねーといけねーんだよ。MTだぞMT今このご時世MT使ってるところなんて清水家のトラックぐらいじゃねーか一体どういうつもりなんだよしかもあいつらバンバン拳銃向けてくるもんだからどこで拳銃なんて手に入れるんだ道は最悪だし木やらなにやらにぶつかりまくるしダニエル・モラレースだってもっとまともな道は知ってるわ!」

 そこで平介の

「TAXiシリーズだったら僕も見たよ」

 という見当はずれの答えに俺はこのイケメンの顔面をボコボコにすることを決める。が、俺が黄金の右手はココアが差し出してくれたタオルによって封印されたのでそれは阻止される。『百年先の未来で待ってる』というロゴの入ったイベント特製タオルだ。悪いなココア、これ、買っちゃったって嬉しそうにしてたのに。そして俺は救急車両に押し込められ、中多摩郡の病院に搬送される。検査結果は少しの脱水症状、それだけ。診察を終え院内パジャマに着替えベッドの上で飯を食ってると、警察が来て色々なことを聞かれる。スーツ姿の男性二人組。三十代くらいの背の高い人と太って頭の薄い五十代過ぎくらいの人。なんであそこにいたの、とか、どうして津島花野と一緒にいたの、とか、あの人たちを知っているか、とか、車はどうしたの、とか、色々なこと。俺は病院食を食いながら、その色々なことに馬鹿正直に答えていく。

 津島花野とは知り合いじゃありません。昨日のイベントで初めて知り合いました。イベントの休憩時間にトイレに行ったら、喧嘩している声が聞こえたので気になって覗いたら津島さんが二人組の男に誘拐されそうになっていました。それを止めようとしたら誰かに頭を殴られました。気が付いたら廃工場にいて、津島さんと相談して逃げ出しました。車を運転したのは僕と津島さんです。

「運転したのは初めて?」

「そうです」

 嘘は言っていない。それから、若い刑事が不思議そうな顔で問いかけてきた。

「君、どこかで会ったことある?」

 ないと思います。

 それで警察が帰り、入れ替わりに真美子が来て俺は散々怒られる。あんたは一体何してるの、東京まで来てこんな大変なことに巻き込まれて、どれだけ心配かければ気が済むの。等々、憤怒に燃える真美子は正しく火山だ。それこそ、病室で俺と一緒にのんびりお菓子を食べていたライトとココアが焦って大慌てで病室の外に避難する程度噴火レベルだ。真美子が放出した溶岩は病室一帯を包み込み、地獄の園を作り上げた。大災害、いや、もはや天災ですらある。そこに平介ことプリンス・ジャッキーが天の恵みを投下させる。

「真美子さん、今回の件は僕の監督不届きです。輝大君が危険な目にあってしまったのは僕の責任です。彼は悪くありません。彼を叱らないであげてください。彼は勇敢な少年です。誘拐されそうになった津島さんを助けようとし、誘拐され監禁されても諦めず立ち向かう勇気、度胸、知性。どれもこれも素晴らしいものです。他の誰にこんなことができるのでしょうか。少なくとも僕には無理です。確かに、お母さんとしては心配で心配で夜も眠れなかったことでしょう。無茶をしすぎてしまったことも確かです。けれど、認めてあげてください。そして誉めてあげてくれませんか? 彼の勇気と行動力を」

 平介に説得され見事鎮火した真美子火山は、「ちょっと売店に行ってくる」と言ってステップ軽く病室を出ていく。イケメンの力って、ほんと、すげーな。それを入れ替わり、恐る恐る病室に戻ってくるライトとココア。おっかなびっくり泥棒みたいな足取りで俺のベッドまでやってきて、ライトが言う。

「なぁ、テルっておばさん似だよな」

 そうかもね。

 さて、ここで色々な疑問が残る。

 まず、平介のベンツがなぜ東京都今川市から赤多摩町赤多摩湖までやってこれたのかということ。

「それね、これ、花野が君に渡したボールペン」

 ボールペン?

「元々僕が花野に渡したものなんだけどね。GPSつけてあったんだ。最近とあるメーカーが――電気機器メーカーのKANZAKIって知ってる? そこが子供が誘拐されたときのためにボールペンにGPSをつけてみてはどうだろうって研究しててね。花野に試しに使ってみてって頼んだんだけどお気に召さなかったみたいで。でも捨てるのも気持ち悪いって。君が貰ってくれてよかったよ」

 うんうんなんて頷く平介とドン引きする俺。なんてもん俺に渡してくれたんだ花野め。

「でもそれだけじゃないんだ。あそこら辺一帯は電波がちょっと悪くてなかなか位置が掴めなくてね。ライトくんとココアちゃんに頑張ってもらったよ」

 ライトとココアが?

「この二人がなんの役に立つんだよ」

 俺はバナナを頬張っているライトとジュースを飲んでいるココアを指す。ほんとアホみたいな顔してるよなこいつら。和むわ。

「ココアちゃんには助手席に座ってもらったんだ。すごいよ彼女は。地図も読めるし地理にも強い。勿論ナビの指示も使い方も完璧だ」

 へぇ、すごいな。流石現代っ子。伊達に学年五位を取得してるわけじゃない。ココアの頬がぽっと赤くなっている。照れてるのか。

「ライトは?」

「彼は勘が鋭いね」

「かんがするどい?」

 思わずひらがなでオウム返しする俺に、平介が言う。

「なんとなく、で選べるんだよ。例えば道が二手に分かれていて、右と左どっちだと思う? という問いかけに対して、右だと思う、ってすぐに答えるんだ」

「なんで?」

「こっちから風が吹いてるから、テルは騒がしいのが好きだから、って」

 苦笑する平介の向こう側で、ライトがバナナを喉に詰まらせて咽ている。ライトめ。俺だって別に騒がしいのが好きなわけじゃないんだけど。

 涙目でジュースを飲むライトを眺めながら、俺は最後の疑問を投げる。

「おい、平介、お前どこまで気が付いてた?」

「気が付いてたって何を?」

「色んな事。全部だよ全部」

 どこまでもすっとぼける平介に、俺はまた腹を立てる。けれど平介は、俺が少し怒ったくらいでは微動だにしない。ただ、いつも通り端正な顔立ちに宝石みたいな美しい笑みを浮かべて、こう答えた。

「僕は何も知らないよ」

 嘘こけ。この一人奇人変人博覧会が。

 湖の中、車ごと突っ込んだ俺と花野を救ってくれた幾多の光が無数の腕が一体何だったのかよくわからない。朦朧とした意識が見せた幻覚か、もしかして本当に天使だとか死神だとか死者の類が迎えに来たのかもしれないけれど、その真相は定かではない。平介に話そうかと思ったけど、また面白がって詮索されるのが嫌なのでやめた。この話は俺だけの秘密にして、すぐに忘れることにする。

 津島花野が誘拐されて解放されたというニュースは瞬く間に全国に広がった。今はすでに保護され都内の病院で療養。軽い熱中症気味らしいが、命に別状はないということ。それ以外の情報は俺のところまで来ていない。なぜなら運ばれた病院が別だからだ。全く、芸能人様様だよな。でも、どのニュース番組を見ても俺の名前どころか共に誘拐された人間がいたとも車を暴走させたとも報道されていないことに感謝しよう。

 そして俺は一日丸々中多摩群総合病院で過ごし、看護師である真美子の徹底的な管理を受け、退院し、埼玉県勅使河原市にある2DKのアパートに戻る。勅使河原市はいいところだ。高いビルも駅前のバンドマンも未来シティビルもないけれど、畑は多いし蝉はうるさいし小型特殊自動車に乗った年寄りが公道を時速30キロで走っている。平和だ。平和すぎる。あまりに和む環境に、俺はついつい暴れ狂うバンも銃口から発射される弾丸の恐ろしさも忘れてしまい遠い日の出来事に変わる。勿論、湖の中に転落した俺達を救出した幾多の光のことさえも過去のことだ。

 そして俺が獣道の走り方を完全に忘れ切ったある日の夜。

 津島花野がうちのアパートにやってくる。

「こんばんは」

 一体何かと思った。玄関を開けたら津島花野。光沢のある絹のような黒髪とすらりと伸びた手足、知性溢れる瞳。黄色いリボンのついた麦わら帽子を被り緑色のワンピースを着た津島花野が、思わず見とれてしまうような綺麗な笑みを浮かべて立っていたからだ。

 俺はドアノブに手をかけたままの状態で数秒フリーズし、言った。

「帰れ」

 勢いよく閉めようとしたところに、花野がぎゅいと足を割り込ませた。

「なんでそんなひどいこと言えるの?」

「誰に聞いた? 平介か? 平介だよな? うちの住所を簡単にホイホイ伝えるようなやつなんてあいつ以外にはいないよな?」

「あなたって薄情ね。わざわざ訪ねてきた人に対しそんな言葉を吐けるの? 信じられない。人間の風上にも置けないわ」

「連絡先も知らないような奴の住所を入手して突然訪ねてきた挙句足を突っ込んで無理やり侵入しようとするようなやつにかける言葉なんてねーよ」

「冷たい人。あなたなんてきっと親兄弟友達にみんなに見捨てられて寂しい老後を送るに決まってるわ」

「本当に嫌な奴だなお前ってやつは!」

 俺の叫び声に反応し、エプロン姿の真美子が包丁を持ったまま玄関までやってくる。

「ちょっとテル、あんまり大声出さないでよ。誰? ココアちゃん? どうせなら上がってもらえ、ば……」

 面倒くさそうな表情が一変、見開かれ、輝く。それからすっ、と包丁を投げ捨て、秒の速さで俺を押しのけ、花野の手を握りしめた。尻餅をついた俺の足と足の間に包丁がぐさりと刺さる。恐怖だ。

「あら、あら、あらららら!」

 キラキラと目を輝かせ声にならない声を上げる真美子に、花野は少しばかり困惑しているように見えた。が、そこはプロだ。にこ、というアルカイックスマイルを浮かべると、

「初めまして。津島花野と申します」

「あらららららららら!」

 奇声を上げる真美子に手を握られたまま、笑顔を浮かべた花野が仰け反る。驚くよな、俺も驚いたし。

「まぁまぁまぁまぁ輝大ってばいつの間に花野ちゃんなんかとお友達になってるの! いつもテレビで見てるわー!」

「輝大くんにはいつもお世話になっています。これ、お菓子なんですけど、よかったら」

「そんな気を使って頂いて! もー、本物ってこんなに可愛くて綺麗なのねー! テレビで見てもかわいいけど、実物は本当にお姫様みたい!」

 なんてもっともらしい台詞を吐くが、真美子の行動は正直だ。受け取った紙袋をその場でひょいと覗き込み、歓喜の声を上げる。白の紙袋には金の文字でこう書かれている『lovely Angel』南青山にある、芸能人ご用達のスイーツショップだ。

「お口に合えばいいのですが」

 眉を八の字にして控えめに笑う花野は控えめに言ってかわいい。天使か女神か妖精かと見間違えるほどだ。俺も数週間前だったらきっと騙されていただろう。しかし、腹の内を知った今となってはそうもいかない。こいつどこまで平介と同じ手を使うのだ。女狐め。

 だがしかし、美形にも頂き物にも高級スイーツにも弱い真美子はあっさりと騙される。

「悪いわぁ、輝大なんかと仲良くして頂いている上にこんな高級な頂き物まで」

「いえ、ほんの気持ちですので」

 完全に舞い上がった真美子は床に刺さったままの包丁を抜くことなくその場でくるくる回りだした。危ないだろ、包丁抜けよ。

「よかったらお夕飯を食べていって!」

 包丁の柄に手を掛けた俺の耳に飛び込んできた言葉はそれはもうとんでもないものであり、真美子の浮かれっぷりに、嘘だろと俺は思う。床に刺さったままの包丁は、「ズボッ」といういい音を立てて抜けた。結構深く刺さってたなこれ。この廊下の傷どうするんだよガムテープでも貼っておくかな。

 花野は困ったように眉を顰めると、

「申し訳ありません。お気持ちは嬉しいのですが、実はもう食事を済ましてしまいまして……」

「あ、そうなの。残念ね」

 あからさまに残念そうな表情をする真美子。本当に美形好きだよな。

「ところで、輝大くんと少しお話がしたいのですが、大丈夫ですか?」

「は?」

 包丁を持ったまま眉を寄せる俺。なんだ一体、お前と話すことなんてひとつもない。けれど、浮かれた真美子がそれを許可する。

「どうぞどうぞー。こんなんでよかったら一時間でも二時間でも」

「なんでっ」

 と抵抗しようとするのだけれど、俺の力など些細なものだ。ぴかぴかの包丁は真美子に奪われ、エプロンを翻しながら廊下の奥に消えていく。聞こえてくるのは鼻歌ばかり。玄関に残された俺は、あまりの居心地の悪さに下を向いたままじっと口を閉ざしていた。が、花野がそれを許すはずもない。

「さ、行きましょうか輝大くん」

 なんというデジャヴ。完璧なまでに美しい笑顔はまるで天使か悪魔のよう。

 ほんと、芸能人様ってどうしてこうも強引なんだろうな。 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る