第三章 津島花野 6
バンに乗ってガコガコガコガコ山道を走る。
全く、一応車道はあると行っても道路は変形してるし砂利や小石で道路はガタガタしてるし一分ごとに体が宙を浮いてしまうくらいの悪路だ。とんでもない。≪
後ろからSUVがついてくる。
「待ちなさい!」
「この野郎とっ捕まえてギッダギタにしてやるからな!」
慣れない真夜中の山道と戦っている俺の代わりに、花野が後ろを振り向く。そして叫ぶ。
「今何キロ!?」
95キロってところですかね。
満タンのガソリンメーターの下に現在時刻が表示されている。AM3:42。
十五年ぶりとも言えど、青春の日々を共に過ごした《
けれどしつこいSUVは後ろからちゃんとついてくる。俺もそれなりに頑張って飛ばしているはずなのに、やはり慣れと経験か車の性能の差か、ルームミラーに映る前照灯が近づいてくる。
「ちょっと!」
なんて花野がハンドルを握る俺の左腕を掴む。うるさいなこいつ。文句代わりにちょっと大きくカーブを曲がってやると花野の体が遠心力に沿って左に大きく浮くんだけど、シートベルトを着けているおかげで吹っ飛ばない。花野が般若みたいな顔で俺を睨む。ざまぁ。
俺達の行く風景は高い木と草と土と砂利ばかりで、いかにもっていう絵に描いたくらいの山道だ。時々空を見上げれば満点の星空と月が笑っている。ひょっこりと顔を出す動物達は絵本みたいに可愛らしい。昼間、水筒片手にハイキングでもしたらきっと気持ちがいいだろう。
でもそんな俺の空想も虚しく俺は今、更にアクセルを踏み込んで100キロを突破させた。
SUVは順調に車間距離を縮めてきていて、なかなか距離を離せない。運転しているのは花野のマネージャーの樫本洋子。とんだ悪質ドライバーだ。その、悪質ドライバーの運転するSUVの天井が開いて、赤シャツの男がひょっこりと顔を出す。何か細長いものを構えているが俺はそれが何なのかわからない。銃であると気が付いたのは、パン! パン! と銃弾が発射されてからだ。俺は焦る。
「なんで銃なんか持ってるんだよ!」
「知らないわよ!」
ほんとこいつは知らないことばっかりだな!
俺達が揉めている間にも弾はどんどん発射され補充され木やらバンの車体やら何やらを傷つける。パン! という甲高い音を立てて左のサイドミラーが割れる。正気かこいつ。この日本でどうやって銃なんか手に入れたんだ、ハンバーガー屋の強盗なんてドンキで千円で買ったやつだぞ!
そうこうしている間にもSUVはどんどん距離を縮めてきて、もう目と鼻の先だ。しかも向こうは銃を持っている。やばい、殺す気だ。何か、何かないのか。応戦できる何かが!
俺はハンドルを右に回したり左に回したりしながら、車内をくるくる見渡した。そしてラゲッジになにやら袋が転がっているということに気が付いた。
「おい、後ろに袋があるだろ」
花野が後ろを見る。
「あるわ!」
「今すぐ中身を確認しろ!」
一度銃声にびっくりと小さくなってから、
「なんで!」
と答える。
「いいから早く!」
と言う俺の言葉に花野がしぶしぶ後ろを振り向こうとする。けど、俺が急にハンドルを切ったことで花野の薄っぺらい体がまた吹っ飛びそうになる。
「無理!」
なんで無理なんだよ!
俺は花野に強制的に運転を代らせる。ごそごそとシートベルトを取って後ろに乗り込む俺に、花野が叫ぶ。
「無理よ! 運転なんかできない!」
「お前、人生二週目のくせに運転の一つもできないのかよ!」
「もう三十年以上も昔の話よ!」
三十年て、お前は一体何歳なんだと俺が突っ込む前に運転手を失ったバンは速度も碌に落とさないまま安定性を失って頭から獣道に突っ込んでいく。
「きゃあ!」
なんて叫んでハンドルにしがみ付く花野。それから意を決したようにハンドルを握りしめ、叫んだ。
「右がアクセル!?」
俺は銃声を聞きながら、上下に激しく揺れるバンのリズムに乗ってごろんとラゲッジに転がり落ちた。
「右がアクセルで左がクラッチ! 真ん中がブレーキ!」
それから木にぶつかったり石を乗り越えたりするバンに耐えながら、半透明のビニル袋を開けた。『スーパーホソダ』って書いてある。トマト、マヨネーズ、玉ねぎ、ピーマン、小麦粉、レモンジュース等々。ピザでも作るのかな。
SUVはどんどん距離を縮めてきて、あともう数メートルでぶつかるくらいだ。
俺はレモンジュースを上下に振りながら、歯を食いしばってアクセルを踏む花野に指示をする。
「速度を落とせ!」
「なんで!?」
「距離を近づけろ! もっと、ぎりぎりまで!」
鬼みたいな形相の花野は本当に意味がわからないという表情で振り向いたのだが、すぐ目の前を兎が通ったことで急にハンドルを右に切る。ケチャップや玉ねぎを一緒に転がる俺。転がるついでに靴は脱いでおく。この天才女優の皮を被った女狐はちゃんと俺の話を聞いていて、限界ぎりぎりまでSUVとの距離を縮める。
「後ろを開けろ!」
「後ろ!?」」
「ラゲッジだよ! トランク、トランクの扉!」
「どれかわからない!」
「右下にあるだろ!」
必死にハンドルに食らいつきながら花野が運転席右下に手を伸ばす。ラゲッジの扉が開く。ほんの数メートルの距離でご対面した俺のことを、樫本洋子と赤シャツが驚いたように見ている。そうだよな、驚くよな。でもこれからもっと驚くことが沢山あるんだぜ?
優秀な運転手である花野は俺の言うことを聞いて、もうぶつかる寸前くらいまで距離を縮めてくれている。いけるかな。ケチャップとかマヨネーズとか小麦粉とかを詰めたスーパーの袋を抱えて、俺はバンからSUVのボンネットに飛び乗った。驚いた顔のまま固まっている赤シャツと樫本洋子。バックミラー越しに目を見開いている花野。
俺はまず手始めに銃を持ったまま固まっている赤シャツの顔面目掛けてレモンジュースをぶっかけた。
「うわ!」
と言って体勢を崩す赤シャツ。その拍子に、銃が手から滑り落ちて地面に落ち背景の一つに溶け込んでいく。ムスカみたいに「目が、目が!」とか叫ぶ赤シャツは劇場にて奈落に退場する役者みたいだ。それを見送りながらフロントガラスにしがみ付き、挨拶代わりに手を振ってやる。樫本洋子が紐で縛られたハムみたいな顔で俺を睨んでくるので、フロントガラスに思い切りマヨネーズをかけてやる。びっくりする樫本の化粧はもう殆ど落ちかけていて妖怪そのもの。可哀そうだからガラス越しに小麦粉で化粧直しをしてやる俺はとても優しい。「ガガガガガガ」とか「ギュヴヴヴヴヴヴ」とか表現できない悲鳴を上げながら回転するSUVは懐かしいメリーゴーランド。
「輝大!」
早く来いとばかりに花野が呼ぶもんだから、俺は回転木馬からボコボコのバンに飛び移った。俺がラゲッジに転がり込むとほぼ同時に裸足の花野がぎゅいとアクセルを踏んで、SUVが遠くなる。おい、花野。お前、俺の名前知ってたんだな。
混乱した樫本はマヨネーズと小麦粉で程よくされた化粧をワイパーで広げガスガスガスと四方八方を木々にぶつける。SUVはボコボコだ。正面からぶつからないことが不思議なくらいだ。
花野の運転するバンは順調に獣道を走り続け、ロケットみたいに公道に飛び出した。湖が見える。東の空が白んでいる。夜が明けるのだ。向かいからトラックが来る。眠そうだけど、俺達のバンのボコボコ具合にびっくりして完全に覚醒したらしい。公道のど真ん中を走る花野に気が付いて慌てて左にハンドルを切るおっちゃんの目ん玉は飛び出てしまいそうなくらいだ。哀れにも右のサイドミラーが折られて持っていかれるが、まぁいい。これだけ速度を出していればあってもなくても同じものだ。サイドミラーなんて。
サイドミラーが道端に置き去りにされることを見送って、俺は案内標識が出ていることに気が付く。
『この先 赤多摩湖展望台』
都内じゃねーかここ。
俺はラゲッジから追ってくるSUVを見つめる。ウィンドワッシャーを使ったんだろう、マヨネーズと小麦粉が正面が見える程度に綺麗になっている。折角化粧してやったのに残念だ。途中何度も木にぶつかったり回転したりしたおかげで、随分車間距離は開いているが、それでも車としての性能は失っていないらしく鬼のようなスピードで迫ってきている。
眩しい。太陽がどんどん顔を出して、辺りが明るくなってきている。花野が叫ぶ。
「輝大! 道がないわ!」
俺は進行方向を見る。海みたい広い湖がどんどん近くなってきている。後ろにはボコボコのSUVがどんどんどんどん迫ってきている。風が気持ちいい。爽快だ。まるで籠から飛び出た小鳥のよう。素晴らしい開放感が俺の心を包み込んでいる。最高だ。最高すぎる。今にも背中に羽が生えて空にも飛んでいけそうだ。
俺は胸の中に湧き上がる自由と衝動を抑えることもできず、感情のまま花野に問いかける。
「花野、選べ」
「何を!?」
「このまま俺と一緒に湖に落ちて死ぬか、それともあいつらに捕まって殺されるか」
それは究極の選択だった。落ちて死ぬか、捕まって殺されるか。生きる選択なんてどこにもない、DIE or KILLだ。
花野は綺麗に整えられた細い爪をぐっ、とハンドルに食い込ませると、言った。
「そんなの、どっちもごめんだわ!」
花野の細い脚がぎゅっと力強くアクセルを踏む。俺はちらりとスピードメーターを見る。140キロ。
見たことも感じたこともないような速度で走る車はちょっとした天国へのチケットみたいだ。展望台と称されるその場所は木でできた弱弱しい柵で囲ってあって、鉄の化け物はそれを簡単に突き破りぶっ壊し空を飛ぶ。まるで羽が生えているかのようでもあった。太陽が一日の始まりと希望を暗示するかのように顔を出し、美しい広い湖には白い光が反射している。讃美歌が聞こえたとしても仕方がないくらいに美しい。人間は死ぬ瞬間、こんなにも美しいものを見るのだろうかと錯覚をしてしまうくらいに。けれど一秒後に襲ってきたのは「ドボン!」という紛れもない落下音と衝撃であり、一瞬にして地獄を見る。息ができない、苦しい。痛みというものは人間を常に正気にさせる。俺は湖の中でもがきながら、花野の姿を探す。どこだ、どこにいるんだ。未だ運転席にへばりついている花野を抱えて浮上しようとするのだけれど、なにせここは車の中だし運転席だし、開けっ放しのラゲッジに向かおうともなかなか抜けられない。次第に俺の呼吸も苦しくなり怪しくなり、意識も段々遠くなる。
死ぬのか。
俺はまた、こんなところで、死んでしまうのか。
折角生きようとしたのに。折角また生き抜こうとしたのに。
駄目だ。
そんなの駄目だ!
俺はまだ生きる。まだまだ生きていたいんだ!
瞬間、俺の目の前に広がったのは正しく天の光だった。それは巨大な布となり無数の腕となり俺のことを包み込むと、花野ごと水面に浮上させた。気を失う寸前だった俺の意識は太陽の光を浴びて見事生還を遂げる。生きている。俺は生きて呼吸をしているのだ。咳込みながら思う。なんだ? 今のは一体なんだったんだ? と混乱する俺の意識を、腕の中でぐったりとする花野が現実に戻す。
「おい、花野、花野。起きろ、しっかりしろ」
ぺちぺちぺちと頬を叩くと、花野がうっすらを目を開けた。
「いき、て、る?」
なんてぼんやりした口調で言うもんだからついつい笑ってしまう。こうして見るとかわいいな。いつまでもこんなしおらしい態度でいればいいのに。
展望台を見上げると、なにやら煙が出ている。SUVがぶつかったのか。ウーウーというサイレンさえも聞こえてくる。ところで俺達はいつまでここにいればいいのだろう、一体どこから陸に上がればいいんだと未だ意識のはっきりしない花野を抱えたまま水から顔だけ出してカバみたいにぷかぷかうろうろしていると、
「テル!」
という懐かしい声が聞こえてくる。
「ライト!」
『遊覧船乗り場』とでっかく書かれた看板の隣、銀色に輝くベンツを背景に、黄色いTシャツを着た誰かがいる。ライトだ! 俺がプレゼントした「獅子座のB型」Tシャツを着たライトがこちらに向かって手を振っている。ココアもいる。今にも泣きだしそうな顔で、「百年先の未来で待ってて」の特製タオルを掲げている。水の中でぐったりとした花野を抱えながらほっとする。会いたかったよ俺の親友! それからベンツが並木平介のものだと理解して、ベンツの中から平介が手を振っていることに気が付いて、無意識のうちに両手の力をこめる。おい平介よ、取り合えずお前には、パンチ一発だからな。
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