第三章 津島花野 5

 作戦としては簡単だ。

 俺が急な腹痛でとんでもない叫び声を上げて地べたを転げまわり埃塗れの砂利塗れになったところで花野が大慌てで扉を叩く。そして、あまりの騒ぎに外にいた見張りが「うるせぇ! 静かにしろ!」と怒鳴りつけてくるからそこでへこたれずに花野が助けを求めるというそういう計画。

「助けて! お願い、この子急にお腹が痛いって苦しみだして! 食中毒か、盲腸なのかもしれないわ!」

 ドンドンドンドン扉を叩きつける拳のなかなか力強いこと。でも誘拐犯もそう簡単には腹痛で苦しんでいる俺を助けてくれない。

「そのまま転がしておけ!」

「駄目よ! だって顔色がすごく悪いし、真っ青で……死んでしまうかもしれないわ!」

 流石清純派天才女優、迫真の演技だ。地べたで胡坐をかいたままの俺は思わず拍手してしまいそうになるが、天才女優に目の動きだけで「演技しろ」と怒られる。

「痛い! 痛いよぉ! 誰か助けて!」

 なんて台詞だけで痛がる俺に演技の才能はないらしい。壁をどんどん叩いて交渉する花野が冷めた目で俺を見てくる。黙れ女狐、そんな養豚場の豚を見るような目をしやがって。

「ほら! 早く! 早くしないと! お願い、助けて! ねぇ、お願い! お願いだから!」

「うー、痛い! 痛いよぉ! 腹がちぎれそうだよぉ!」

 なんて痛がる俺はホースを持って扉の右に待機する。

「きゃあ! 口から血が!」

 出てねーよ。

 花野の大げさな演技に驚いたらしい見張りが、鍵穴に鍵を突っ込んでガチャガチャ回す。花野が俺の向かい側、扉の左に移動し、ホースの先を持ってぴん、と伸ばす。

「おい! クソガキが! 一体どうしたんだよ!」

 バン! と勢いよく扉を開けて入ってきたアロハシャツを着た見張りの男が、ピン! と伸ばされたホースに躓いて、ガン! と顔面から勢いよく転倒する。うわ、痛そう。鼻、折れたんじゃねーの、なんて心配のひとつもすることなく、俺と花野の二人掛かりで細身の鉄パイプで俯せのそいつをタコ殴りにする。

「うわ! なんだ! やめろ!」

 なんて最初は抵抗していたのだけれど、人数ではこっちが上だ。花野がえげつなく後頭部をぶんなぐったところで頭の上に星を飛ばす見張り。完全に夢の世界の住人になったそいつをホースでぐるぐる巻きにして放置。暫く目覚めはしないだろう。さぁ、行くぞというときに、花野がそいつのポケットを探ってなにかを取り出した。鍵の束だ。

「いざというとき、必要になるかもしれないでしょう」

 抜け目ないな。流石天才女優、いや、人生の二週目というところか。

 勿論茶畑光太郎くんも連れていく。なにせ、今日のラッキーアイテムだからな。こいつにはまだまだ活躍してもらわねばならない。

 部屋の外に出て扉を施錠する。俺達にはもう、光太郎くんの光がなくともある程度暗闇でも周りが見えるようになっていた。暫く細い通路が広がっていて、そこを抜けると広場がある。広場、というには少々語弊があるのかもしれない。元々大型の機械だとかコンベアだとかそういったものが置かれていたのであろうそこは大きな柱がところどころ伸びているだけのただの広場だ。途中扉が一つあり、そこを抜けると大きな階段がある。下に広がった大きな空間には大きめのコンベアとかテーブルとかが置かれていて、その一角で赤いシャツのガタイのいい男と樫本洋子が話している。

「しっ、静かに……」

 と、俺の後ろからついてくる花野が俺のシャツを引っ張り、屈む。向こうはこちらに気が付いていないらしく、なるべく小さくなりながら階段を下りていく。埃だらけのコンベアだとか錆びた機械だとか柱だとかの陰に隠れながら出入り口に近づいていく俺達は忍者か昭和の泥棒だ。背景と一心同体になりながら誘拐犯二人組の会話に聞き耳を立てる。

「事務所とあいつの親は本当に金を出すのか?」

「出すでしょう。津島花野なんて今や金の生る木だもの。手放すはずがないじゃない」

「嫌な女だなぁおめぇも。これだけ手塩にかけた子供を誘拐して金に換えてやろうなんて」

「……背に腹は代えられないわ」

「あいつはお前のこと、本当の母親みたいに思ってるんだろ? ひどい母親だよ」

「あの子が勝手に思っているだけ。赤の他人よ。お金の方が大切よ」

 俺は隣で小さく丸まっている花野の顔を見る。花野は俯いて下唇を噛み、なんとも苦しいような悔しいような、そんな表情をしていた。俺は拳で花野のむき出しの膝を叩く。耐えろ。今はまだ、泣くところじゃない。

 出入り口は一つしかなくて、嫌でも誘拐犯の前を横切らなければならない。もう、数メートル先に誘拐犯がいる。誘拐犯二人はジュースを飲んだりパンを食べたり好き勝手していた。クソ、俺達なんかもう何時間も水の一滴飲んでないのに。

 配電盤の陰に隠れたまま、俺はまたポケットから塩タブレットを取り出す。まだ中身は少し入っている。その半分を花野の掌に乗せて、残りの半分を全て自分の口に突っ込む。俺は気合を入れる。頼むぞ、今日のラッキーアイテムゆるきゃらグッズ。ライトがわざわざ静岡まで行って買ってきた茶畑光太郎くん。

 俺は光太郎くんのボリュームを最大にする。それから頭をぐい、と押し、明後日の方向に投げた。ボト、という小さな音を立てて落下し、緑色に光りながら大音量でカタカタカタカタと大声で笑う光太郎くんはホラーでしかない。誘拐犯二人も突如出現した笑い声に心底驚いたようで、「なんだ!?」「なに!? 何が笑っているの!?」と混乱している。ウケる。まぁ、あんなもんが暗闇の中に突然現れたらびっくりするよな。だって不気味だもん。

 俺は目をまん丸くしている花野の手を掴んで、配電盤の陰から一直線に飛び出した。気分的には弾丸か、もしくはミサイル。でも意外とどんくさい……いやいや、花野の長い脚が床にそのまま転がっていたビール瓶に激突し、ゴロゴロゴロゴロという派手な音を立ててしまう。

「あっ!」

「こいつらどうやって!」

 未だ笑い続ける光太郎くんからあっさりと興味を失くした二人は、扉を開ける直前の俺達を見つけて、叫ぶ。叫んだだけ。ミサイルとなった俺は花野の手を掴んだまま扉の外に出る。後ろで「ぎゃあ!」とか「わぁ!」とか瓶が転がる音と誰かが転んだような音が聞こえたけど、無視。ざまぁ! 出た瞬間に俺達を迎えたのは長い長い階段で、これが上りであったことは俺達にとって幸運なことだった。なぜなら、あんないかにも運動不足ですっていうような体型をした中年の誘拐犯二人に全力でこの階段を走って上ることなど不可能だからだ。十代の体力舐めんな! 三階分くらいありそうな階段を走って走って上りまくって、現れたのはまた扉。途中で花野のサンダルが片方飛ぶ。

「私のサンダル!」

 けれど俺達は止まらない。おいシンデレラ、もう十二時は過ぎてるんだぜ? うかうかしてたら悪い魔法使いが来ちゃうかもしれないからな!

 それからまた少し直線コースを走り、また鉄の扉がやってくる。

 花野が俺の気持ちを代弁する。

「扉が多い!」

 本当だよな。

 そこからまた三階分くらいありそうな階段を下って下って下りまくって、再三扉が現れる。俺はそれを開く。遠くから「待て!」「このクソガキ!」とかいう罵り声が響いてくるけど、俺達は待たない。扉が開いた瞬間飛び込んできたのは見たこともないような満天の星空で、俺はその美しさに圧倒される。空には金色の三日月がきらきらきらきらと輝いて、その周りを星屑達が踊っている。ふと、その輝いていたはずの星屑がひらりひらりと天を離れ、俺の元までやってくる。星屑? 違う、蛍だ。蛍なんて久しぶりに見た。もう、何十年ぶりだろう。天然のプラネタリウムはまるで宇宙空間のようでもあり、沢山の宝石が散りばめられた大きな大きなドレスみたいだ。どんな素敵なお姫様でも着こなすことのできないような、とんでもなく素晴らしく美しいドレスだ。すごいな。この地球上にこんな素晴らしい場所があったのか。ふと目を凝らせば手を伸ばせば届いてしまいそうな距離に山があり、ビルと見間違えてしまいそうなくらい高い木があり、雑草だって俺の膝くらいまで伸びている。花野の手を握ったまま放心状態を維持する俺は、後ろから聞こえてきた誘拐犯の罵声で漸く我に返る。まずい、捕まる。逃げないと。何か、何かないのか。と、伸びた雑草と木々に隠れるようにして、車が二台止まっていることに気が付いた。黒と白。バンとSUVがある。

「鍵は!?」

 いつの間にか両足裸足になっていた花野がじゃらじゃらうるさい鍵の束を取り出して、叫ぶ。

「どれかわからない!」

 人生二週目の癖になんで車の鍵もわからないんだ! 

 俺は花野から鍵の束を奪い取って、どれが車の鍵か瞬間的に判断する。ひとつしかない。それを押すと、バンが「カチャン」という音を立てて解錠された。大急ぎで運転席に乗り込みながら、助手席に花野を連れ込む。シートベルトをし終わるとほぼ同時に、工場の扉が開いて息も絶え絶えの誘拐犯二人がふらふら出てくる。だらしないな、大人って!

 俺はざっと車内を見渡して車の構造を確認する。MT車か、大丈夫、多分いける。意気揚々とエンジンを掛ける俺のことを、花野が心配そうに見つめてくる。

「あなた、免許あるの!?」

「当たり前だろ」

 昔懐かしいクラッチとチェンジレバー。ハンドブレーキを引きながら、俺は笑う。

 免許なんかとっくの昔に取ったんだよ。もう、二十年くらい前だけどな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る