第二章 並木平介 13

 うちのアパートの前には道路を挟んで「まるた公園」と呼ばれる公園がある。それなりの広さがある敷地の中に、ぶらんこと鉄棒、丸太が三つ重ねて置いてある。あと木々と植物。それだけ。でも、昼間は近所の子供達が走ったり転んだりスキップしたりボールを投げたり蹴ったり縄跳びしたりとそれなりに騒がしい。夜だって時たま、カップルが愛を語り合っていたりホームレスが段ボールに包まって暖を取っていたりそれなりだ。でも、三日月の輝く今晩は、低いブランコに俺と平介の二人だけ。最低すぎる。何が悲しくて胡散臭い変態占い師と二人きりでブランコを扱がねばいけないのだ。

 そんな俺の思惑にも気が付かず、

「今日はありがとう」

 と平介が言う。

 ありがとう?

「何のことだよ」

「今日の強盗事件のこと。僕を助けてくれただろう?」

 子供向けの低いブランコを緩く扱ぐ平介。一見滑稽な仕草でしかないのに、このイケメン占い師が行うとちょっとした絵画に見える。俺は少し考えて、思い出す。両手をぽん、と合わせて答えた。

「ああ。結局無駄足だったけどな」

「無駄足? 無駄足なんかじゃないさ」

「無駄足だろ。お前、あれが玩具だって知ってたんだろ」

 そうだ、無駄足だった。俺が平介を心配したことも、真美子に頼まれたコーヒー袋を投げたことも、赤帽子に馬乗りになって玩具の銃を突きつける平介に制止の声をかけたことも、全部が全部無駄だったんだ。だって最初から、心配する必要なんてなかったんだから。

「無駄足なんかじゃないさ」

 月明かりの下、平介がうっすら笑う。

「大事なことだ。人を心配する心。優しさ。行動力。もし君がいなかったら、僕はどうなっていたかわからない」

「玩具の銃で?」

「玩具の銃でさ」

 冗談を言う平介の顔は冗談みたいに本当に綺麗だ。まるでこの世ではない違う世界から飛び出てきたかのようにさえ思える。王子様。月明かりの下、お迎えが来てこのまま消えてしまいそうな気さえする。どうしてこいつは、こんなにも現実感が希薄ないのだろう。

「……君はきっと」

「ああ?」

 思わず低い声を出してしまう俺。でも平介は気にしない。気にしないで、マイペースに、勝手に続ける。

「これから、運命の渦に巻き込まれていくだろう。決して逃げることのできない、とんでもなく大きな運命の渦だ。それは君を傷つけ、悲しませ、落ち込ませることになるかもしれない。知らなくてもよかったことを知るべきことになるだろう。時として絶望し、涙を流すこともあるだろう。けれど、信じていてほしい。君には、それを超えていくべき大きな力があるということを。間違いなく超えていけるということを」

 平介の声には不思議な力がある。

 まるで海の底のように静かで、満月のように魅力的で、地面に落ちた一滴の水のようにすぐに染み込んで消えてしまうけれど、その反面、ずっとずっと残るようなそんな声。魔術師。こんな三日月の夜、呪いでもかけられているみたいじゃないか。

 俺はブランコに乗ったまま少し悩み、考えて、やめる。

「へ、へぇ?」

 俺の出した精一杯の応答に、平介がぽかんとした顔をする。それこそ漫画みたいに、頭の上にぽかんという文字が浮かび上がるくらいにぽかんとした顔をする。それからぷっと噴き出して、盛大に笑い声をあげた。

「あはははは。面白いね、君」

「……馬鹿にしてるのかお前」

「馬鹿になんかしてないよ。ただ、素直でいいなと思って」

「……馬鹿にしてるじゃねーか」

 たかだが人生一週目の分際で生意気だ。

 俺がそれをそのままストレートに伝えると、平介は目元に浮かんだ涙を拭い、言った。

「そうだね、僕はまだ、たかだが一度目の人生のまだ途中だ」

 平介はそれからまた少し笑い、漸くの事それをやめる。

「はぁ、久しぶりにこんなに笑った。今日は帰るよ。ありがとう」

 ひょいとブランコから立ち上がる平介の足はやっぱり長いしスタイルもいい。平介、なんて名前の癖に。生意気だ。

「今から東京に帰るのか」

 もう時刻は、すでに二十時を廻っている。

 平介は意味もなく背伸びをすると、

「いや。小宮市にマンションを借りたんだ。よかったら遊びに来てくれ」

 行かねーし。

 なんて心の中で答える俺に、平介が封筒を差し出してくる。

「これは?」

 という俺の問いかけに、平介は笑ってこう言った。

「お礼だよ。君と、君のご友人に。あと、誕生日プレゼント。近いんだろう? よかったら来て」

「……へぇ」

 なんだろう、映画のチケットか、遊園地の招待券の何かだろうか。

 なんて少しそわそわしながら封筒を表裏返して眺める俺のことを、平介が微笑ましそうに眺めている。それから言う。

「……君は不思議だ。とても大きな力に守られている。とても優しく――力強く――それでいてとても眩しい――目も開けていられないくらいに輝いている――だから怖がらず――精一杯立ち向かってほしい――」

 俺の知る平介の断片的な人生なんてまるでちょっとした御伽噺でサーカスできらきら光り輝き続ける星屑みたいなものなのだけれど、去り際だって一昔前のトレンディドラマのエンディングみたいだ。こいつはきっと、自分の人生が長い長いミュージカルであり人に見せ楽しませるためのエンターテイメントであると自覚しているのだ。あくまで、俺の想像であるが。

 月明かりの下、形の持たない謎ばかり残る長い長い影を見送り、俺は真美子の待つ2DKのアパートに帰る。

「ジャッキーさんはどうしたの?」

「帰ったよ」

 と言うと、真美子がちょっと残念そうな顔をする。別にいいだろ、平介の顔なんて、テレビをつければ嫌というほど見れるのだから。

 豚の生姜焼きを食べながらテレビをつけると、案の定いい笑顔をしたプリンス・ジャッキーが映っていて、俺のことを不機嫌にさせる。嫌と言うほど見れるけれど、今見たいわけではない。だから真美子の制止を振り切り、勝手にチャンネルを変えると今度映ったのは津島花野。

『実はこの夏新作映画が発表されまして――』

 ほえー、と特に興味もなくキャベツを齧る俺。憤慨する真美子。キャベツを飲み込む瞬間、先ほどの平介の言葉が脳内でリフレインするのだけれど、意味が分からないし理解できないし理解しようとも思わないので、まず先に腹をいっぱいにすることに決める。平介の顔も津島花野の顔もいつでも見られる。でも、真美子の作った豚の生姜焼きなんて、次いつ食べれるかわからないからな。

 

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